第二十四話 王位継承戦 決勝戦Part1
「すみません……取り逃がしました」
まるで地獄に落ちたかのように深き淀みに沈み、片膝で立ったまま物憂げな表情を浮かべて、次第に真っ赤な血溜まりを作り上げていく俺を見つめる。
「あぁ、知っている。皆まで言うな」
「直ぐに救急――」
「不要だ。こんな時に悪いんだが、頼めるか?」
【多量出血により、臓器不全になる恐れがあります。今すぐに新鮮な血液を補充してください】
俺は徐に未だ歓声の止まぬ闘技場へと目をやる。
【MP全回復の魔法瓶を召喚】し、雑に蓋を外した。
【限界です。これ以上、魔力を含む物を外部から供給すると、身体に甚大な障害を来す恐れがあります】
フッ、何やってんだ俺は。
「それは?」
「魔法瓶だ、最高級のな」
「そ、それなら! 私の魔力で治癒を!」
「辞めておけ、耐性が無いと死ぬぞ」
「……では、やはり今直ぐにでも」
「あぁ、でももう体の感覚が無くなってきてな。此処から動けそうにないんだ」
「運びます」
「おいおい、意味分かって言ってんのか。医者に遺体見せてどうすんだよ、俺を解剖でもすんのか?」
「この国の医療技術なら、きっと何とかなります」
「そんなに生かして何になる?」
不意に10代目の純白の腰巾着を目にしてしまい、釘付けになった視線は離れようとはしなかった。
身に覚えのある太々しくがさつな指先がはみ出て、霞んできた眼を凝らせば、鎖の印が刻まれていた。
……!
そうか、そういうことか。
あの国だったのか。
ウォリア、お前は――――。
重き瞼のおかげで、眩い視界が閉ざされていく。
まだ何も終わっていないけれど、もうこれで良い。
ちゃんと眠れるのは、いつぶりだろうか。
だが、またしても眠りを妨げる者が立ちはだかった。
「おい! 大丈夫か、君⁉︎」
耳障りな還暦越えの御老人が、石壁に凭れ掛かった俺と魔法瓶を飲もうとした10代目に呼び掛けた。
それも、やけに慌てたご様子で泰然とした面構えを崩して、周囲に眼を泳がせて気が動転していた。
「お気になさらず、ただの睡眠ですか――」
「そんな訳無いだろ! 血まみれじゃないかっ‼︎」
鼓膜に良く響く声が周囲の視線を熱く注がせた。
そして、次第にぞろぞろと物見遊山とは、異なる意志を面差しに露わにした者たちが歩み寄ってくる。
「現在、先の大地に巡らせた襲来者の攻撃により、先代勇者のリア・イースト様が瀕死の状態にあります」
何を企んでいるのか、10代目は正に満身創痍の俺に同情の眼差しを向ける者たちに意気揚々と捲し立てて、澄んだ魔法瓶をこれ見よがしに見せつける。
「魔力が枯渇しているんだな! なら、私の魔力を使いなさい‼︎ 好きなだけ取って貰って構わない!」
「わ、私も」
その誉高き意志に呼応するかの如く続く、若人。
「俺もっ!」
「あの、良ければ僕のも……」
そして――。
「お兄ちゃん、わたしのも使って!」
先程の仲睦まじい家族の内の一人、人形を大事に抱えた少女までもが、寿命に等しき魔力を捧げた。
10代目は俺の許可も無く、徐に胸に手を添えた。
ハァ……何でこう、望まぬ時にばかり恵まれるのかな。
皆から無事に魔力を蓄えた10代目は意外にも器用なもので、深き傷口を濃い緑光で颯と癒していき、俺は死の淵から落とされそうになっていた体が、大地に仁王立ちで歩けるようになるまでに復活した。
軽い挨拶を交わし、不安げな表情を浮かべながらも大きく手を振って朧げな影として消えていった。
「すまないな」
「いえ、お気になさらず」
不服にも角張った10代目の肩を貸してもらいながら、闘技場への長き道のりを急ぎ足で進んでゆく。
俺が体を慣らすうちに地味に何処かに隠しやがったMP全回復の魔法瓶の代わりに腕を収納して……。
太陽が傾き始めた頃、かろうじて闘技場へと辿り着く。それもまだ最高潮の興奮が冷めやらぬまま。
俺たちを視界に捉えた観客が二つの意味で引いてくれて、ど真ん中の開かれた道を悠然と闊歩する。
「もう、終わりますね」
「あぁ、そうだな」
仄暗さに覆い尽くされた道を出て視界が急に開けた時、皆が立ち上がって体を振り回し、闘技場で刃を交わす二人に声援を送っていた。
「お前は、どっちが勝つと思う?」
「賭けにならないと思いますよ」
「なら、お前の意見を聞かせてもらおうか」
「まだ一撃も受けていないクローディア王が優勢。ですが、貴方が強く推しているのなら、勝つのは、切り札を隠しているであろうアルメリア王一択!」
「切り札ね」
俺達は仁王立ちで2階からその行く末を見下ろす。
堅実に立て続けに巨躯に小技を繰り出していく鷹揚たるクローディア王と息を切らして大振りに全てを掛けるも一向に当たる気配の無いアルメリア王。
其々が心身の力が尽きるまで、只管に刃を交わす。
しかし、アルメリア王だけが、以前までは無かった筈の体の節々に鮮血が体を伝う切り傷や殴打による紫色に染まった痣が、痛々しく散らばっていた。
王関係者の観客席に逃げるように目を向ければ、其処には豚のように肥えた連中がほくそ笑む傍ら、王妃が下唇を噛み締め、鋭い眼光で凝視していた。
そんな予想通りの最悪の流れに胃が限界を迎えたのか、体の内側がキリキリとした痛みを上げ始め、【体内に循環する魔素が暴走を始めました】とまぁ、不穏なアナウンスが脳内に告げられてしまう。
そして、【先ほどアイテムボックスに収納した片腕は、現状維持のまま最後の空欄の大事なものの中に保存しました。片腕には幾多の魔法が施されているので、召喚時には細心の注意を払ってください】
触れた瞬間に感じた異様な感触。
それは骨と皮ばかりで焼け焦げたか如く疎らな凹凸に加え、指先にさえ一切の暖かさを感じなかった。
まるで地獄を彷徨い歩く、生ける屍のように――奴からは生きた心地を微塵も味わえはしない……。
そんな自然と項垂れてしまう物思いに耽っていると、戦況が動いたのか10代目が僅かに身を浮かせ、正に手を拱く様から泰然とした腕組みを徐に解く。
それ程までに目を見張るものがあるのかと、俺も不思議と蹌踉けそうになった身を手すりで支えて、その後に続く。
再び瞬く間に眼前へと迫った双方。
限りなく小振りな一太刀を振るうクローディア王の攻撃――それをまたしてもモロに丹田に喰らい、身を浮かせてのけ反りそうになるも、尚猪突猛進。
股に足を踏み込ませ、ガラ空きの額同士を交わした同時に眉を顰めて目を細めるクローディア王は、仄かに青みを帯びた光のオーラに身を包み込まれた。
「豪胆の持ち主第二王子ィ! 矢継ぎ早に繰り出していた一方的な攻撃の流れを強引に変えたぞぉ!」
ようやく初撃を与えたアルメリア王はその勢いに身を任せ、大きく掬い上げるように刃を振り上げて、咄嗟に構えた盾にもならぬ眼前に翳した刃と交わす。
だが、面食らいながらも冷静さを失わぬクローディア王の奇策の紫紺の魔法陣によって、双方飛ぶ。
だが、勝敗は決する事無くクローディア王は剣を大地に突き立てて勢いを殺し、アルメリア王は大剣を背中の床に深々と刺して、其々が場外スレスレで火花を散らした剣に救われ、未だ悠然と仁王立ち。
「アルメリア王は意外と器用な方だったようですね」
いつの間にか、肉体に纏わせる淡く紅いオーラ。
「無詠唱が使える時点でその片鱗は見せていたからな」
「でしたら、何故あのようにぎこちない戦闘スタイルを披露するのでしょうか」
「さぁな」
「なんと頭突きの際に第一王子に弱体化の魔術を施していたァ! 更に自らの肉体に強化を巡らし、双方刃を大地突き立て、素早い印を結び始めたぞ!」
「残念ながら、無詠唱を扱えるのはあの方だけでは無かったようですね」
「みたいだな……」
数十もの印を結び終え、大技を放つ大きな構え。
そして――。
「何と此処で両者共に魔法――最大火力のスノーウルフと、至高の大技、焔乃化猫のぶつかり合いだぁー‼︎ 二人共に遂に勝負を決めるつもりかァァァ⁉︎」
クローディア王の掌と口を中心にした鱗粉さながらの細かな蒼き氷を凛とした冷徹な狼を体現させ、アルメリア王は前傾姿勢の左足の突き出しと体を支えんと背後に回す右脚と燃ゆる闘志の煌めく瞳を思う存分に際立たせた、自らを包み込んでから放つ、燎原として燃え上がらせた紅き炎を身に纏う黒猫。
【白狼之霜晶とフレイムキャットがぶつかります。衝撃に備えてください】
奇しくも家の愛猫に良く似た黒猫とあの日の夜に現れた雄々しき孤高の一匹狼にそっくりであった。
誰よりも美しき我が雑種が、完璧なフォルムと強さを兼ね備えた皆から愛される存在を、完膚なきまでに蹂躙して欲しいと心から願うばかりであった。
そして、勝負を左右する互いの渾身の一撃がぶつかり合う。直様、吹き飛ばされるような凛とした突風が観客席にまで行き渡り、リングは舞い上がった粉塵と白煙のキノコ雲に完全に覆い隠されていた。
皆が己の身を案じる中、俺達だけはただ瞬く事なく、次第に晴れていくリングの上を注視し続けた。