第二十一話 鬼ごっこ
奇しくも視線が逸れているうちにそっと内部へと忍び込み、地下への入り口へと足を運んでいった。
「待て!」
無駄に勘の良い兵士の制止を見向きもせずに振り切って、ただ只管に前へと腕を振るって、突き進む。
此処もか。
暗闇に覆い隠されし螺旋階段。
止まらぬ筈の歩みであったが、無駄に長き関門に早々に止められてしまい、一瞬の立ち往生となる。
正に一寸先は闇へと徐に手を差し伸べて、告ぐ。
「吞め」
颯爽と影と一部となりて、突風の如く突き進む。
たった数秒足らずで突き当たりにまで行き着き、再び重苦しき体に舞い戻った俺は扉に爪先を向け、左手に【600MPの回復薬×1を召喚】を携え、右手には【鎖の短剣を召喚】し、緩慢に握りしめながら、僅かに荒々しく乱れた息を殺し、足音を忍ばせて、躙り寄るかのように扉の先へと歩みを進めていく。
やや半開きになった先は不気味なほどに静寂で、徐に触れんとした手が躊躇ってしまいそうだった。
だが――。
揺蕩う心と取り留めのない呼吸を落ち着かせんと迷いとともにため息を零すように息をそっと吐き、意を決して刃を構えながら勢いよく扉を蹴り飛ばす。
息を呑み、瞬く間に視線を仄暗さに覆い尽くされた資料室の隅から隅まで見回し、視界が以前とは異なる異変をいち早く指し示したのは、四隅の秘書。
それも壁に凭れ掛かってやっと坐した姿勢で、荒々しく脈々と浅瀬の如く息を切らし、真っ赤な鮮血が仄かな紅血を帯びた肋骨が透けるまで零れ出して、限りなく細まった薄らと霞む瞳が静かに俺を捉え、徐に小刻みに震わす掌を差し伸べんとしたが、志半ばで膂力が弛んでしまい、慌ててその手を支える。
「誰だ⁉︎ 手掛かりは?」
最後の力を振り絞り、人差し指が緩慢に机を差す。
其処に一瞥すれば、例の物が床に散らばっていた。
無意識に全ての玉を確認しても、数が足らない。
亀裂の走った丸眼鏡越しでも死の淵に立たされた秘書の燃ゆる意志は絶える事なく、永遠に凝視する。
それは決して手当なき俺や周囲の思い入れのある小物などと云う瑣末なものではなく、四隅の隠し扉。
俺と居た時には閉ざされていた秘密の部屋の入り口へと、ただ只管に一点に熱く鋭く注ぎ、俺に促す。
「あぁ、わかった」
徐に目を瞑ろうとする秘書から背を向けんと振り返った瞬間、眼前に忽然と現れし刃を携えた人影。
俺は一刹那に印を結びながら剣を振り翳したが、その無愛敬なる無骨な面差しには見覚えがあった。
宝石のように魅入ってしまう蒼き双眸が、獲物を捉えた猛禽類の如く俺を瞬く事なく凝視していた。
……。
仄かに息を切らしている全貌に視線を泳がせて、ふと緩やかに瞬いた瞬間に脳裏に現れたのは、席を外す俺を怪訝な形相で注視するベリルの姿であった。
「状況説明を願います」
次第に雄々しい面構えは更に鬼気迫る形相へと、卒爾に透き通った色鮮やかな濃い緑光を発しながら、まるで俺を無き者のように悠然と決して憚る事なく視線とともに横切り、秘書に歩み寄っていく。
「恐らく例の人物に襲われたんだろう。俺はこの扉から奴の後を追うから、お前も後からついて来い」
「承知致しました。俺は彼女の治療を済ませたら、直ぐに応援に行きます。どうか……どうかご武運を」
「あぁ、お互いにな」
地下水道に繋がっているであろう長き階段には、等間隔で燦々たる炎を灯す松明が支え木によって灰色の石とレンガもどきの壁に立て掛けられており、黒き闇の淀みへと沈むには、些か不十分であった。
両手を塞ぐアイテムを颯とボックスに収納する。
半端に手を握りしめ、捻りながら後ろに引いて、魔法欄から限りなく魔力消費を抑えた魔術を選ぶ。
そして、腕を回転させながら繰り出し、唱える。
「空波!」
ホールケーキに灯された蝋燭の火を吹くように、戦ぐ炎は手前から流れるように綺麗に消えていく。
その手の付け根同士を重ねて、長き詠唱を唱う。
「流動液・水龍化の術」
己が淡く清澄なる水の龍と成して、全てを喰らう激流の如く、ただ只管に出口へと突き進んでいく。
それと同時に【鎖糸の短剣を召喚】させ、念には念を、再び【600MP回復の魔法薬×1】を、手にした。
透き通りし水縹を帯びた水龍に生じる泡沫の先、限りなく目を凝らせば、強固な鉄扉が佇んでいた。頑として威風堂々たる姿勢を貫くが、空を破る風切り音が絶えず鳴り響き、障壁も容易に突き破って、再び忌まわしき銅像が建てられし壁に凭れ掛かり、人形の如くピクリとも動かず項垂れる黒き人影を目にし、颯と己の体を包み込んだ水を派手に周囲に撒き散らし、人の形に舞い戻るとともに刃を向ける。
だが、周囲に広がっていく散った漣の波紋の方が遥かに勝るほど、その兵士は安らかに眠っていた。それも決して覚めることの無い、長き眠りについて、胸部を先が見通せる程に大きく穿たれていた。
「チッ」
【魂の存在を確認できません、対象者は――――】
もういい……それ以上、何も言わなくて。
【解除しますか?】
あぁ、これが終わったらな。
僅かに虚ろな瞳が大地へと向け、徐に屈みながら両目の瞼を閉ざそうした時、背後から怒号が飛ぶ。慌ただしく刃を胸元に添え、重心を低く落としつつ騒音を撒き散らす者に振り返れば、突然貫かれる。
「アッ……⁉︎」
喉笛に鼠色の鋒が頸をもあっさりと貫いても尚、咄嗟に出した声が陸で溺れるような感覚に陥れた。
鋒から掬い上げるかのように視線を上に向ければ、歯茎から緋色の鮮血が絶えず噴き出す程に、力強く歯を食いしばる一人の兵士が槍を握りしめていた。
「ぉ、おい゙!」
「貴様ッ! よくも我が友を‼︎ フォルスをッッ‼︎」
怒気を籠らせたあまり、完全に我を忘れている。ただ茫漠と膨張を続ける憎しみに駆られ、前はおろか背後に迫っていた皮膚を突き刺すような殺意に満ち満ちた襲来者の影にさえ気づいてはいなかった。
刃手前の柔な木の柄を握りしめて、力任せに全体重を乗せた突きの勢いを綺麗に手繰り寄せんと流す。まんまと目を見開かせて蹌踉けてくれた兵士の頸に目にも留まらぬ速さで迫った刃を躱さんと、強引に足を引っ掛けてその場に跪かせ、貧弱なる木槍を【無機物重強化をMP : 6を消費し、発動】させて、左手に保険で備えていた襲来者の大剣の刃と交わす。
それと同時に、王たちが双方の刃に火花を散らす。
だが、次の瞬間には俺の身軽な体は壁に激突し、重き筈の王さえも場外スレスレに吹き飛ばされる。
壁に歪み込む俺によって弾き出された無数の瓦礫の破片が、無意識に吐いた唾液とともに宙に舞い、朧げな意識と視界が襲来者の続く第二撃目を捉え、ただ膝立ちで打ち拉がれる兵士の首に迫っていた。
「ぉい!」
細やかな忠告も虚しく終わり、黒き淀む表情に沈んだまま敢えなく兵士の首がむざむざと宙に舞い、舞い上がった真っ赤な液体が収束し、忽ち刃と成す。
ナイフさながらの刃の鋒を三指の第一関節で力強く握りしめ、手首を捻りながら俺へと放り投げた。
短剣が右目が反射する眼前にまで迫ったが、かろうじて首を傾げて頬を掠め、刃は壁に突き刺さった。
矢継ぎ早の攻撃を止めんと右腕を振り上げた時、まるで何かに繋がれたかの如く動きはしなかった。
疑問が頭に巡らすよりも僅かに早く、目を向ける。其処には、再び形状変化で枷と成した鮮血が壁と一体化して、堅牢無比なる力強さを披露しやがった。
未だに震えが伝播しつつも何とか手に収めていた槍の矛先を枷へ最小限の動きに力を込め、振るう。
だが、牢獄から脱するのを襲来者がそう易々と見逃す訳もなく、怒涛の畳み掛けなる剣が迫っていた。
俺は息を呑んで左手を瞬く間に弛ませ、枷の隙間に皮膚を切り裂きながらも何とか刃を引っ掛けて、逆上がりをするかの如く下体を天へと持ち上げる。
鋭い金属音が壁に鳴り響くとともに限界を告げる腹筋に込められた力を颯と抜いて、踵を振り下ろす。無論、幾多に重ねし紫紺の魔法陣を張り巡らせて。
手応え無き襲来者は囂々たる地響きを轟かせ、真っ赤な鮮血と同時にレンガの一片にも等しき瓦礫そのものが、天井にも届き得る勢いで舞い上がった。
矢継ぎ早の一矢が迫る前に槍で枷を解き放ち、槍に吹き飛ばさんと全身を踊らせて、振りかぶった。
靄の如く紅き光を帯びた一条の光芒が放たれる。
無念にも一矢報いる事ができぬまま、逃げ道に事前に満たされた空間の歪みに飲み込まれていった。
「待て! 逃げるなっ!」
正に一寸先は闇。暗雲立ち込める道へと迷うことなく大きく一歩を踏み出して、襲来者の後を追う。