第十四話 召喚初日の夜と刺客
挙動不審に声を弾ませる新兵の背に続いて王宮を出る間際に不意に黄昏色の鋭き双眸に突き刺され、ふと視線の先に振り返れば、色濃い淡い黄金色の艶やかにして手入れのしっかり行き届いた短髪で、凛々しく狼さながらの整った顔立ちをした青年が、円柱に身を隠しながらこちらの様子を窺っていた。
「……?」
腰には絢爛豪華なサーベルを携えて、筋骨隆々な長躯にこれ又純白主義者の衣服を身に纏っていた。
「先ずはベリル達と合流だ」
「えぇ」
槍を突き立て深々と首を垂れる兵士を横切って、燦々たる陽の光が降り注ぐ大地の元へと出ていく。
宮殿からも囂々たる喧騒が絶えず老若男女が微笑ましくこぞって集う、際限なく何処までも続く露店の中央を、不均等な肩を並べて淡々と進んでゆく。
「顔を隠しますか?」
「下手な事をすると後々、あの王妃にドヤされるぞ。ここは黙って声援に応えておいた方がいい」
「已む無しですね」
「あぁ。それで継承戦の件だが、すまないがお前が出てくれないか」
「貴方はどうされるんですか?」
「少しやりたいことがあってね」
「……聞いてもよろしいでしょうか」
「一応、国王の所在の偵察とあの二人の安全確認。後は、まぁ魔物と虹龍往来の常時巡回くらいかな。それにまだ騎士団の派遣要請を済ませてないからな」
「虹龍は現在、北東の境界を西側に横断中ですが」
「言っても、あれも生き物だからな。イレギュラーは常に存在するさ。万が一、あれに出会したら……《《ただ神に祈るばかり》》だがな。それか《《方向を変える》》とかかな? 望み薄ではあるけど」
「初耳です」
「やったこと無いし、無理だよ、きっと」
「そうですね」
「……」
「……」
こんな祝祭日の最高潮の瞬間にも、俺達の周辺は肌を突き刺すような重苦しい空気に包まれていた。
「我々、他国より武力の劣る東諸国にとって虹龍の存在は、諸刃の刃と言っても過言ではありません。それ故に――その全ての僅かな情報でさえ重宝し、現在では他の追随を許さぬ一歩先へと進んでます」
「大変だな、国ってのは」
「だが、売れるような情報源じゃ無いし、国に売るつもりも無いよ」
「……何故?」
「何処かの馬鹿がいずれ戦争の道具として昇華させ、俺の平和の意志を平然と踏み躙るからが、お前の望む真っ当な答えかな」
「残念です」
「俺もだよ」
ハゲた褐色肌のオッサンに山程のオマケを餌付けされるベリルが困り顔でその場を立ち去っていき、こちらの視線に気付き、忙しなく駆け寄っていく。
「彼女たちはどうされますか?」
「どうするか、ま、一旦は面倒見ておこう」
「承知致しました」
「あ、あの……たくさんあって食べ切れないので、宜しければ、どうぞ‼︎」
「良いのか?」
「はい!」
「ありがとう」
真っ白な紙に包まれた甘じょっぱいタレに絡めた肉を瑞々しい葉野菜で挟んだ生気の弱い食パンで、意外にも御坊ちゃまらしい上品なちまちまとした量を口に運んでいく10代目に、微笑んで肩に乗った精霊に千切ったパンの一部を嬉々として食べさせる。
俺も一口食べてみれば、口一杯に広がるのは非常食もどきのようなパサパサとしたパンと相対する、肉肉しい脂と薄切りの肉をシャキシャキとした葉野菜が優しく包み込んで、不思議な感覚に陥らせた。
「さ、行こうか」
不気味な噴水が際立つ街道に出た瞬間、急ぎ足で王宮へと向かっていく絢爛豪華な馬車が横切った。その刹那、窓辺の色鮮やかな菖蒲色を帯びた瞳に、角張った十人並みの面差しの黒をベースとした妙な制服を身に纏って、物憂げな表情を浮かべていた。
そして、その顔には何処か……身に覚えがあった。
「どうかされました?」
「いや、何でもないよ」
「では、また後ほど」
「あぁ、トーナメント楽しみにしてるよ」
「無駄な期待はしないでください」
「ハハ、上位に食い込むくらいはして貰わないと。お前も一応、勇者だろ?」
10代目は頬にタレを付け、怪訝な形相で一瞥する。
「……だったら、篤とその目に焼き付けて下さい。俺があの連中ごと全てを終わらせますから」
「大波乱の幕開けだな」
「えぇ、正に」
「なら、早めに寝ておけよ」
「貴方も寝坊なさらぬように」
「わかってるよ」
そう言って、雑多な大中小に実力も多種多様な有象無象が、酒場にまで血気盛んに満ち溢れていた。
「すみませんが、ウルフ騎士団に要請を申し出たいんですが……」
「はい。こちらになります」
妖艶なる豊満な肉体美を曝け出す受付嬢が、望み薄な申請書を颯と俺の前に差し出して、希望的観測の意を限りなく強く込め、慎重に書き記していく。
「書き終えました」
「はい、では……あれ、貴方――――もしかして」
「人違いで――」
「9代目勇者のリア・イースト様ですか⁉︎」
この時くらい、変装すべきだったと熟思い知る。
静寂。
その一言を皮切りに全体に分散していた視線が、次第に俺だけに収束し、一点に熱く注がれていく。
「……」
「あっ、あの! サインよろしいでしょうか⁉︎」
「わ、私も!」
「あたしもっ! お願いします!」
「俺も良ければ……」
「あ、あの俺ずっと貴方に憧れてて‼︎」
そんな一人の酔狂なファンに呼応し、次々と目を眩く輝かせた強面の筋骨隆々集団が集っていった。
「ハァ……わかったわかった」
可愛い可愛いファンたちに、特別迷惑ファンサービス、全部こなせば、お空に浮かぶはキラキラ星。
ハァ……。
時間を無駄にした。
鉄球を引き摺るような牛歩の如く重苦しき足取りで、真っ黒な影の広がる大地に俯きながら緩やかに宿屋へと歩みを進めていく。周りの光景は夜の店やら居酒屋風の店が活気に満ち満ちた活動を始め、本物のファンが何故か俺の気配の消した存在に気付いて、怒号紛いの轟音に大きく手を振ったりなど、と、サザンダイング王国の楽しい夜は、頗る産毛を逆撫でされるような不快感と恐怖を掻き立ててくれる。
そして、ストーカーからの視線と尾行を巻いて、無事に安全かも定かではない薄暗い宿屋に辿り着く。
「ハァ……疲れた」
無駄にキイキイと心臓の締め付けられるような軋みを上げる床を進み、【透視の魔眼 MP : 3を消費して発動】させ、しっかりと人気の無い事を確認した上で、自分の部屋のドアノブに徐に手を掛ける。
当然、出迎えるのは薄らと街灯と外の目に悪そうな光に照らされた仄暗く埃臭そうな部屋であった。
そのまま出てくるのがネズミだけで済む事を切に祈りながら、ボフッと、まだコルマットの方が良く鳴くクッション性の悪い反抗期なベットに腰を下ろす。
息苦しさが絶えず襲う汚染された空気を最小限に抑えるべく、息をちょくちょく止めながらそっと目を瞑る。
……そんな最悪な環境が過去の記憶を思い起こす。
まだこの世界に来たばかりで、皆が何の状況も掴めぬまま先行きも不安な上に困惑の嵐が行き交い、最悪の雰囲気を漂わせたまま、最初の夜が訪れた。
限られた食料に最底辺の品質の衣服に、寝苦しい一人一つの部屋に生意気で弾まねぇ、臭いベット。
確か俺は、小刻みに身震いする両手を祈るように重ねて、乱れ切った心と呼吸を落ち着かせていた。
隣もその隣も会釈程度の見知らぬ生徒ばかりで、無駄に殺気立った衛兵共に見張られているせいで、トイレはおろか、まともに外にも出歩けずにいた。
まるで一分一秒が一年のように淡々と流れてゆく本当に死んでしまいそうな程に長い時間を過ごし、遂に俺は隣の部屋に暇つぶしで軽いノックをし始めていた。
最初のうちは、まるで応答がなくて干からびてしまったのかと頻りに思わせたが、それが数分続くとようやく切なる想いが強い力を込めて帰ってきた。
始まりはお互いに何と言えばいいのかわからずに、手当たり次第手応えを感じようと悪戦苦闘していたが、時間と共にそれは次第に解決していった。
数十分後、自分のターンと相手のターンが交互にやってきて、己の愚痴や怒りや不満の強弱を載せて、いつか破けてしまいそうな壁を幾度となく小突く。
でも、・・・ーーー・・・、そんな異様なトーンが外に漏れてしまいそうなほどに囂々たる音が響くと、それっきりその人との言葉は止んでしまった。
そして、扱いがぞんざいな俺たちの逃亡確認も兼ねての点呼を一人の衛兵が武器を床に叩きつけながらしていき、俺の部屋の前で耳に悪い音を轟かせ、大人しく返事をすれば早々に隣の部屋へと煩わしく耳障りな足音を向かわせて、怒号を響き渡らせた。
その瞬間、言葉を交わし終えてからずっと俺の周りに纏わり付いていた何処とない嫌な予感が的中したかの如く、身体中を刹那に覆い尽くしていった。
直様、憔悴してもう指先一本さえも上がらぬ体をバッと飛び起こし、隣の部屋へと向かって行けば、其処には――――ちょっと前まで俺と不満を言い合っていた彼女が、ロープで首を吊って死んでいた。
それを見た時から俺はずっと言葉を失ったまま、次第に恐怖で生徒が集まり始めた茫然と立ち尽くし、その姿を目に焼き付けたまま、膝から崩れ落ちた。
未だにそれは欠ける事なく、鮮明に覚えている。
「はは、よく似てる」
ただ一人、俺は暗闇で乾いた笑いを零していた。
憂鬱な外では微かな暗く淀んだ沼に嵌った阿呆共の喧騒が漂い、脆い窓を突風が強く叩きつけていた。
「……」
さて、どうしようか。
両手を重ね合わせながら足を広げてしゃがみ込み、次の面倒であろう方針の物思いに耽っていた。
【第三の目を発動しますか?】
あぁ。
【第三の目を発動 MP : 0.1を3分毎に消費します】
此処からが正念場だ。
「さぁ、行こうか相棒」
第三の目は窓ガラスを糸も容易くすり抜けていき、夜の街の遙か上空へと緩やかに上がっていく。
微睡んだ本物の眼を軽く擦りながら、王宮へと淡々と亀さながらにノロマな歩みで進んでいく。
その間にもより一層、風は勢いが強まっていく。
第二王子を手当たり次第に隈なく捜索してゆき、一つ一つの窓の奥をこっそりと覗いてはまた違い、覗いてはまた物置き、そんなのを何度となく繰り返していると、待ちに待った一石二鳥の第二の二人が運良く釣れ上げた。
そっと四隅から覗いていれば、ベットで不安げな王女様をアル兄様が微笑んで、優しく宥めていた。
何か言っているようだけど、残念ながら耳は無い。
【聴覚を共有しますか?】
え? 出来るの?
【MP : 7を消費します】
じゃあ今まで劣化版を使用してきたのか、俺は。と言うか、以前の奴は教えてくれなかったんだが、あの案内が冷たいのか、この案内が優秀過ぎるのか。
まぁ、良いか。
行こう。
騒々しい突風のお陰で所々会話が途切れつつも、窓に第三の目を擦り付けて鼓膜無き耳を澄ませば、かろうじて二人の重苦しき会話が聞き取れていた。
「兄様、私は不安でなりません」
「大丈夫だよ、シルディア。これで、全てが終わる。そうすれば、また皆んなで一緒に食事を囲めるさ」
「そんなの必要ありません! だから、私は……私は兄様に無事に明日も生きていて欲しいだけなの。もう王位なんて忘れてしまって、私と他のく――」
「それは出来ない。これは叔父と交わした誓いだ。他の皆の意志に懸けても決して譲れない戦いなんだよ。恐怖に身が竦んでいては……俺に明日は無い」
固く握りしめた拳を小刻みに震わせながらも、懇願する王女に背を向けて、振り返ろうとはしない。
意志の漲った澄む瞳がキラリと輝き、腰に携えた剣の鞘にそっと手を添え、一歩を踏み出そうとする。
だが――。
「覚えていますか? あの時のこと」
「……?」
たった一言がその場に足を留まらせ、揺らぐことの無い意志に陰りを見せて、緩慢に振り返らせた。
「私がまだ4歳の幼い頃、王都から少し離れた一際、色鮮やかな草花が芽吹く花畑に、魔物が出ると周りから注意されても、いつもこっそりと通っていて、そんな駄目な私の傍でずっと見守ってくれていた。お母様に叱られた時や、勉強が上手くいかない時、そして、全てが嫌になってしまった時なんかには、逃げるようにあの場所へと来てしまっていました」
「お前は――本当にあの場所が好きだったからな」
「えぇ。だって、貴方と二人きりになれる唯一の場所でしたから」
王は眼を大きく見開かせ、静かに一驚を喫する。
「お気付きになられていたか解りませんでしたが、私は貴方の事を心の底からずっと好いていました」
そして、ようやく明瞭に口にする赤裸々な本音。
「俺はお前に愛されるような存在じゃない」
「いいえ、貴方ほどに優しいお方は居ませんわ! この世で最も優しく、己の正しさを貫く人。そう貴方と出逢った時から、心に深く刻んでいますのよ」
「そんなのもう――」
「王立学校での理不尽なイジメを根底から消して、恐怖で平穏も享受できぬ魔物の巣食う村人を救い、祖国の民のために戦場の最前線へと躊躇なく赴く。そうやって歩んできた生き様を誰よりも間近で、見てきたのですから惚れてしまわない訳ないです!」
「……」
「きっと今回だって自分の意志じゃない。ただ、叔父様への過去の恩に報いる為にやるんでしょう?」
「それは……違う」
「でしたら、ちゃんとお顔を見せた上で、もう一度、言ってください」
「俺は……」
「異邦人の保護政策。私たちとは何ら関係の無い者に、兄様の尊い命を捧げる価値があるのですか?」
異邦人、保護政策……?
そうか、彼奴は……そういうことか。
「あぁ、あるさ」
「では何故、戸惑うのです? 躊躇いとは心の迷い。今でさえ逡巡していては、これから先の重要な選択に迫られた時、いずれ誤ってしまうでしょう」
「……」
【心の忘却を使用しますか?】
あぁ――。
そう指示を下そうとした時、アルメリア王は告ぐ。
「そうだな。あぁ、そうだったな」
そう言い、微笑みながら振り返った。
「俺は自分の命を捨てるのに恐怖が無い。この道にも些かな疑問も持たずに叔父の遠回しの命からも、二つ返事で承諾した。当然、其処に俺の意思は無い。だがな、初めて、初めて異邦人という畏怖されし存在に自分と近しいものを感じてしまったんだ」
「呪われし厄災とさえ言われているのですよ。それに叔父様は自らの命が救われた恩返し、言わば私情で自らの国に忌避される危険を晒しているのです」
「それもまたこの世の運命さ。異邦人というものをこれから先、永遠に差別の対象とする排他的な世界である限り、いずれは虹龍の世に生まれし民として、我々も世界中の民から敬遠されてしまうだろう」
「……」
「お前の優しさに触れてわかった。俺は退かない。仮に己の利己的な欲求を満たす為に自制心を欺く、悪魔の囁きだったとしても……それは俺の選択だ」
「…………そう、言うと思っていました。だって、私の愛するお兄様ですから」
「シルディアすまない」
「謝らないでください。自分の選択にもう怖がらないで」
「あぁ」
今までの仄暗い霧に包まれていた面持ちは跡形もなく霧散して払拭され、悠然とその場を後にした。
ただ一人、頬に清澄なるつぶさな雫の伝らせる、第二王女のシルディアを置き去りにして……俺も、その後に続こうとしたが――【魔力の枯渇を確認しました。強制的に聴覚共有が遮断されます】と、これ又絶妙なタイミングで切れた大助かりの聴覚に、心の底から感謝しつつ、第三の目を宿に退かせた。
その瞬間、吹き荒れる突風が窓越しとはとても言えぬほどに鮮烈に、俺の鼓膜に響き渡り、谺する。
ん? 窓は閉めていた筈だが……。
視覚の優先順位を正常に戻し、徐に振り返れば、頭上に黒きローブを身に纏いし者が、泰然と煌々たる刃を限りなく力の込めて突き立てる様があった。
「は?」
死。
否、生にしがみつけ。
瞬く間に【韋駄天の大盾】を召喚させようとするとともに互いの眼前の間へと差し出そうとするが、ほんの僅かな差が、その全ての選択を諦めさせた。
喉笛に鋒が触れた時、燦爛とした一縷の光芒が襲来者の胸部を疾風迅雷の如く貫き、動きが止まる。
……ぁ。
そのまま無様に床に煩わしい音を立てて臥して、次第に真っ赤な血溜まりを作り上げていった。
「……」
何なんだ。
そんな床に落ちていた、紅き血に染まりし弾丸。