第一話 迷いと選択
あけましておめでとうございます
「――ぃ、おい!」
「ぁ」
記憶の旅を終えて、五体満足で現世に返り咲く。
「大丈夫か?」
先代が無垢で物憂げな表情で俺を見つめていた。
「ぇぇ、はい。少しばかり寝惚けていたようです」
「にしても、お前……」
「な、何です」まさか微妙な変化に悟られたのか?
否。
泳がす眼の捉えた頭上の髪先、それは脳裏によぎる不安を遥かに凌駕する大胆な変貌を遂げていた。
「俺より多くなってないか?」
「あ、みたい。ですね」
何故、いつの間に。答えは明白。
きっとこの眼がそうさせたのだろう。
だが、奇しくも静寂に包まれた馬車に揺られる不安げなベリルの握りしめた膨らみのあるポーチに、そんな場を雑に手段で和まさんと「お前、弥彦の差し金じゃない、よな?」まるで確認を取るように。
「は?」
俺が思わず口走るほどに、唐突な懐疑心を向け、時間は然程、流れていない。それどころか、目を合わせてから、数秒がいいところだと気付かされた。
「いや、お前《《たち》》は、大丈夫だな」
「さぁ、わかりませんよ」
突き立てられた毀れ刃につい癖で舌剣で突き返す、
「フッ」
ふと微笑む。光と影の入り混じる眼を蕩けさせて。
「大丈夫だよ、お前達は強い意志を持っているからな。それに独りじゃないってのは嬉しいもんだよ。もし裏切られても――俺が悲しむだけで済むから」
それはあまりにも脆く、儚く消え入りそうな、そんな一面を併せ持っている実感を覚えてならない。
「初めてなんだ。旅を共にして後悔してないのは」
「それはっ」喉元に引っ掛かり留まる、次の言葉。
「当然、お前を除いてな」
此方の気も知らずに不敵な笑みを浮かべる始末。
「フフッ」
「ハッハッ、ゥゥーワフッ」
「ヒヒ、アヒャヒャヒャ」
一切の可愛げもなくせせら笑う稚児共からそっとそっぽ向けば、真昼時。陽が燦々と照らしていた。
「先代、あの話の続きを」
「それは後だ、もう着いたぞ」
「え?」
ベリルの故郷帰還への道すがら、寄り道に興味を示したコルマットが耳を天を穿たんと突き立てて、急な散歩がてらか、ゴール目前にして歩みを阻む。
「行くぞ」
子供用の防寒服を奇術師の手品さながら取り出し、気遣いで不慣れなベリルに着させるが如く光景は、まるで……《《兄》》そのものであった。
それから魔力に隠された謎の道を難なく臆さずに突き抜けていく一同の最後尾で続き、突然の真冬到来に未だ幻想に苛まれてるのかと頭を抱えながら、
「……」
サクサクと積み重なる牡丹雪を踏みしめていき、先見の明の賜物で妹気質と兄が冬服に対応する傍ら、俺だけが依然として厚手の鎧を身に纏っていた。
常に足並みを揃えて、肩先を触れ合う。二人。
「うわっ!」
「意外と深いから、足元、気を付けてゆっくりな」
「はい、ありがとうございます!」
「コルマットは俺が追っているから、無理に追いかけるなよ」
「はーい!」
不出来な者に芽生える親心からか、やや身を置き、背を呆然と見つめる哀愁漂わせるているのは、ベリルの成長姿に何を重ねているのか、あるいは――。
その眼で貴方は何を見ているのですか。本当は、ずっと、あの花火やおにぎりの頃から未練を……。
切り立った崖が立ち塞がり、見上げる先。一匹の狼が威風堂々と全貌を露わにし、見下ろしていた。
我々を、コルマットを。
一本角を炯々と雪の淡さと鈍色を強く光らせて、次々と気配に気付いた神獣の群れがぞろぞろと――死に恐れを為すような慌てふためく様子もなく……次第に好奇心と怒りを孕んだ顔を覗かせていった。
そして、今までにない落ち着きに溢れた歩みで、肌を突き刺す吹雪きとはまるで異なる異様なオーラ。
王。
全力を以てしても先の見えぬ戦闘は避けられぬ、歴戦の猛者たる幾多の傷痕をその身に深く刻んで、神々しく光り輝かすツノを、捕食者の瞳を見せた。
「あっ」
「動くなよ」
釘付けにされたベリルが後ずさるのも無理はない。もし先代の差し伸べられた掌が無ければ今頃。
「指示を」
「彼等の要求を呑むしかないな。怒らせたら相当、不味い」
「了解」
俺は鞘に手を添え、ベリルらに躙り寄つつ、一線を画した獣同士の行く末を大人しく見守ることに。
「た、食べちゃったりしませんよね」
「あぁ、共食いは魔獣の十八番だ。心配ないよ」
「はい……」
「選べ」
「っ! ……」言葉を⁉︎ 次の一手を促すも、傍観。
その場の一同、不思議そうに固唾を呑んでいた。
「貴様ッ。何故、人などと」
鋭利な眼差しで限りなく低く喉を激しく唸らすも、「黙れ」牙を剥き出しにされ、笛吹声で退陣する。
「さぁ、選べ」
「選べ!」
「選ぶのだァッ」
「雄々しく気高い我々、神獣と共に道を歩むか、単なる愛玩動物の醜悪なる獣のまま生き恥を晒すか」
蕾を背負ったコルマットは周囲に目を泳がせる。
「ぼ、僕は……」
「他者に己が明日を決める選択を任せるのかぁっ‼︎」
溢れんばかりの眩い光が開花の時を待っていた。
「……」
沈黙の続く長考が招く、一筋の迷い。
そっと最小限の動きで背を一瞥し、白息を荒々しく零す少女を小刻みに震わす目に焼き付け、再び。
「僕は」己が発するには弱々しい意志の投げ掛け。
「ヴゥッ‼︎」毛を逆立てて視線を突き刺し、今一度。
言葉を越え、跳ぶ。
崖目掛けて、恐れずに。
神の一部を名乗るに相応しい象徴を根本から根こそぎ切り落とすが如く、絶壁に幾度となくぶつけ、遂に額から鮮血を伝らせ、泰然と王と視線の交差。
「ッッ……⁉︎」
「グゥッッ‼︎」
「ヴヴヴッ!」
「行くぞ」
同じ大地に降りんと我を失った神獣の矛を収め、後腐れなく背を向けて、その場を過ぎ去っていく。
「……」
他の不完全燃焼までは拭い切れていなかったが、覚悟の表れに徐々に感化され、ひとり又ひとりと。
「行っちゃいましたね」
「あぁ、だな」
「ッ。フゥー。ワン。ワフッ!」
また尻尾荒ぶるいつものコルマットがベリルへ。
「私と一緒に来てくれるの?」
「ワフッ!」
脆弱な矮躯に抱きしめ、食い気味に言い放った。
「さぁ、行こうか」
張り詰めた緊張を紐解いた先代は、ふと天を仰ぐ。大粒の雪の呑む雨が降り頻り、曇天広がる元へと。
「えぇ」