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第三十八話 帰還と帰らぬ人

 空っぽな掌に残るのは血と肉の湿った感触だけ。其処には愛も優しさも温もりも忘れ去られていた。


 疾うの昔に。最早、それは忌々しさへ姿を、否。


 けれど、まっさらな視界をぼやけさせる雫の雨がとめどなく零れ落ちてゆき、心の底からどうしようもなく「うっ、っ! ぁぁぁっっ‼︎」力を滾らせた。


 水面にぷかぷかと浮かぶ精霊が颯と流れ着き、吊り上がった口角を上げていくとともに立ち上がる。


『辛い時こそ、笑って乗り越えろ。それが勇者だ』


 ダンジョンに纏わる曖昧な記憶の果て、獅子王。キメラとの主戦場を前にして、光景は切り替わる。


 霞んだ真っ赤な視界で朽ち果てそうな息吹きに、指先から伝わっていく鮮血が途切れ途切れの音を、そして、生と死の反復を繰り返し、出口へ向かう。


 大地に固定された視線を頭骨の軋み上げながら、未だ真っ暗闇が下ろされた道行きに目を向ける。


 もし、仮にあの場所へと再び辿り着いたとして、その先に先代の望む道は広がっているのだろうか。


 掌の上で人形さながら踊り狂わされ、壊れたら。


 それでもようやっと訪れる一筋の光明の兆しに、亡者に掴まれた足取りは弾んだものに伸びていく。


 そして、「っ‼︎」先々代の胸元で意識が薄れゆく。


「おい!」


「貴方の気持ちは僕にはわかりません。でも、僕は貴方に出会えて良かったと思ったから、これは、っ!」アイテムボックスからありったけの宝を差し出し、「勇者の第一歩を歩まされた恩返し、です」


 そう告げ、太陽に陰った面持ちを覗く間も無く、先代はとても心地の良いであろう深き眠りに落ちた。


 燦々たる眩い光が白皚皚たる外套を靡いて差し込み、先々代の凛としていて虚ろな瞳が垣間見える。


「どうした、もう限界か?」

 そう頬をふわっと撫でるように蕩けていく奥底に一縷の光が眼に灯され、にんまりとした笑みとともに純白な口角が次第に上がってゆき、浮かばれる。


「古傷が疼いてて……」

さらっと頬に垂れた片割れの前髪の束を耳に掛け、先代へと闇に覆い隠された掌をそっと差し伸べる。


 躊躇いなく面持ちを凝視したまま、掴み取った。


「そんなに苦戦を強いられたのか」


「はい。でも、それなりの成果は挙げたつもりぃ何ですが。実際のところ――どうなんでしょうか?」


「暫くの間は此処の平穏も保たれるだろう」


「先日、シスターさんの一人が僕の手土産の一部を持って逃げた人が居たとか」


「あぁ、だが、心配するな。追手を出している」


「物騒ですね」


「人とは欲には抗えんものだ。それは神の前でも」


「そう、ですね」


「それで、どうだった?」


「え?」


 陽に目を、視線に背を向けたまま言葉を馳せる。


「初めてのダンジョン探検とやらは、どうだったと聞いているんだ」


「……」いつもと変わらぬ淡白な一言に先代は大地に目を移ろわせながら言葉を詰まらせ、一言ずつ、慎重にふわふわと言霊を浮かせ、投げ掛けていく。


「僕も初めてのことばかりで今もまだ整理が付いていませんが、きっと、いや絶対に此処とは違う――多くの試練と困難が待ち受けてると思います。でも、この記憶はこれから先も二度と忘れたくないです」


「フッ、お前が遠慮か? らしくもない」


「いえ、あんまり考えて話すのが得意じゃなくて」


「みたいだな」


「はい、すみません」


「気にするな」


「貴方はこれか――――」


「キョウスケ。お前は異界の人間なんだろう?」


「っ、はい」


「もし……お前がこの世界から帰る前に一度だけ。たった一度だけ、私の夢を共に叶えてくれないか」


「はい」


 颯と華やぐ身の一部を宙に舞い上げて翻し、「私はお前と旅がしたい。最期の日が来る夜明けまで」


「え?」


「だが、それも」ぞろぞろと背後から異様な気配が忍び寄っていき、それに緩慢に振り返っていけば。


「ユリ・アイル・ヒースだな」


「叶いそうにないな」


 純白に染まる装束に身を包んだ一群が立ち並ぶ。


「貴様がそうかと訊ねている」


「あぁ、如何にも」


「どうやら本当に女のようだな」


「だったらどうした? この身体に不満か?」


「我々に問うべきではないとだけ、教えておこう」


「そうか」


「暴れるのであれば即座に捕縛し、王都へ連行する。が、貴殿ともあろう者がこの美しい場を荒らす訳もないと弁えた上でご同行願おうか。8代目勇者」


「説明ご苦労――言われなくとも己の足で行くさ」


「それは大変助かります、では」


「ま、待って!」


【ゴーストナイフを召喚します】


 突き出した掌先の虚無から忽然とナイフを現し、徐に握りしめんとすれば、鋭い眼光が睨み付ける。


「っ!」

それは蛇に睨まれた蛙が如く機会を地に落として。


「才ある貴様と言えど、無駄死には避けられんぞ」


 それでも視線が外れた瞬間に爪先の上へと載せ、「貴方方が何処の何方かは解りませんが、僕にもまだ、その人と話したいことが山ほどあるんです。出来れば、刃を交わさずに返して頂けないでしょうか」


「貴様、此処の国の者ではないな?」


「っ!」


 あっさりと見抜かれる。一日に二度も。


「己が欲求の発散を目的にこの礎を返還しろと?」


「はい、遠回しですがそうなりますね」


「貴様如きに淡い期待を抱いた私が愚かだったな」

そう振り返りながら掌を差し伸べ返して――一閃。


「やめろ」


 先とは比べ物にならぬ沈んだ声色が静かに響く。


「何で。だって、貴方は!」


「私はな、過去に父を魔王の配下に殺され、それ以来、復讐を胸に誓っていたが、私の実力では及ばず、お前を一時的に保護し、いずれ訪れる魔王討伐に控えて鍛錬を積ませていたに過ぎないただの道具だ」


「違うっ!」


「声を荒げるな。耳に響くだろ」


「僕は……貴方と。夢があるからって」


「行くぞ」


「宜しいので?」


「あぁ、所詮はまだ子供だ。やがて知る時が来る」


「はい」


【謎の信奉者×4 難易度S+ 注*戦闘は出来ません】


「っ! ぅぅっっ‼︎」

声にもならない声を喉で唸らせて膝から崩れ落ち、目の前に浮かぶチャンスを機能が欠落した両手は。


 決して掴もうとはしなかった。


 目の前に在る、大きく一歩を踏み出せば、届く。


 それでもその狭間に立ち塞がる絶対的な壁を、明瞭に姿を現した死を、【必ず負けるハプニング】ステータスを己の身で超えることなど出来はしない。


 ただ産まれたての稚児さながら蹲りながら、次第に朧げな姿に消えてゆく人影を、覗き見るばかり。


 そして、際限なく続く青空を見つめる光景へと。


 また、移り変わっていた。

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