第三十五話 常識と覚悟
「ど、どうしよう。困ったな。本当に」
土竜マースの嫌がらせか何かか、これと言って何の変哲も無く開かれた幾つもの分かれ道を前に先代は何度と踵を廻らせながら呆然と立ち尽くしていた。
「ンー、ド、レ、ニィー!」
小さな指先に託された運否天賦に身を任せ、更なる深淵へと誘われようとしていた二人であったが、背後から壁伝いに角の取れた足音が伸びていく。
「……」
【心拍数上昇の為、ゴーストナイフを召喚します】
ナイフが手に馴染む鈍い金属音を掌に伝播させ、下ろされた闇に目を凝らし、眼下の爪先を向ける。
「何だ、先客がおったのか」
「えぇ、みたいですね!」
「何だ、一番乗りじゃないのか」
其々が姿形が隔絶に等しき三銃士が姿を現した、皺の際立つ瞼で狭められた細目に杖突きの翁から、大荷物を背負っても軽快な足取りを弾ませる少女、潔癖症のマスクを被りし無造作な黒髪の吊り目が、一様に鎧を混ぜた軍擬きの隊服を身に纏っていた。
「君、一人で此処まで来たの?」
「いえ、途中まで他の人たちと一緒に」
「あ? あぁ、あの隊に居た子か。まぁ正しくは」
「『無理やり入れられた子』ですね!」
「うん」
「ほう、それは災難だったな」
「えぇ、まぁ」
「もし良ければ、私たちと一緒に来ませんか?」頬に垂れた灰色の前髪を靡かせ、仄かな傷痕が刻まれた面持ちに屈託のない笑みを浮かべ、告げられた。
「こら、勝手に」
「まぁ、ええじゃろう。人は多いに越したことはない。それにお前さんはたった一人で此処の窮地を切り抜けたんだろう? 素人にしては大したもんだ」
「同伴ですか」
「また、と、思ったな?」
「はい」
「儂らは他の者らとは違って、一切争いを好まん。とは、言い切れんが、まぁある程度は安心してもらって構わんぞ。これでも儂、結構、強い方なんでな」
「ですです!」
「はぁ、お荷物が増えた」
「どうする? 早う決めんと選択せずに終わるぞ」
「行きます。一緒に行かせて下さい」
その想いに、迷いなし。
「フッ」
「何ですか?」
「いいや、何でもないわ」
「『ちょっと前とはえらい違いだな」と、思ってるんです」
「せっかく格好付けたのに、台無しにするでない」
「ごめんなさい!」
「では、行こうか」
「はい‼︎」
「だから、お前じゃないって」
「あの連中は前々から巷で有名な厄災の隊と呼ばれておってな。本来のギルド依頼とは異なる別の任務を別の隊から強引に横取りしての勝手な請け負いや違法な金額請求で度々、依頼者らと問題を起こしていてな、まぁ面倒で、正直助かった節があるのよ」
「はぁ、そうなんですか。それは何というか……」
「一応、感謝してる」
「クロウさんはいっつもありがとうが下手くそですね」
「お気楽な子供にはわからないだろうね」
「はい!」
「ハァ」
「ホッホ」
「ところで皆さん、何故、此処へ?」
「ちょっとね」
「上層部からの命令ですか?」
急に双方の立場が逆転した。
「すごい! どうしてわかったの⁉︎」
「バカ」
「ホルネは偽らないのが長所だろう」
「唯一の取り柄とも呼べるがな」
「あっ」
他愛もない話題に花を咲かす道すがら、先代は不意に平坦な道で蹌踉け、大地に手を突く羽目に。それも立ち上がれそうにないくらいに身を震わせて。
「あっ、あれ? なんで」
「どうやら魔力酔いをしたようだな」
みすみす無防備な姿を皆の前に見せつけても尚、「では、此処らで休憩としよう。クロウ、結界を」
「言われなくとも、そのつもりだ」
「オスナ、お前は周囲の警戒を」
「はーい!」
「っ!」産まれたての仔鹿ながらに立ち上がらんとするも「無理するな、お前さんは儂と一緒に茶でも嗜まんか」と過保護な親の寵愛に絆されてしまう。
湯気の立ち昇る紅葉を帯びた茶を味のある己の物憂げな面持ちが映された銀のコップに注ぎ入れ、寂しい白髪とは対照的に蓄えられた白髯が風情のある水面に備えられないかと頻りに不安にさせながらも、無事にそっと手渡された。
「此処らの魔力は人の身体に侵入する傾向がある。慣れていないのであれば、此処から先は厳しいぞ」
「それでも、行かなきゃならないんです」
「そうまでして、何の為に」
「老耄一人で勝手に話進めてんじゃないよ、もう」
「ですです。仲間外れにしないでください!」
「お前さんらがいると、話がズレるからのぉ」
「そんなことありません!」
「で、君、名前は?」
「私はホルネ・オスナ! 私たちは偵察部隊でね。これでも全員、金等級の手練れなの!」
「あぁ……」
「だから言ったんじゃ」
周りが呑まれるばかりに仲睦まじく言葉を馳せていても、先代さえもが常に得物を手に添えていた。
「此処は空気から其処らの小石に至るまで、あらゆる存在全てに価値があってね、中でも金などの鉱物の奪い合いが穏便派の人たちの間でも激しいらしくて、きっと今頃、亀裂が走っていると思う。それでこれから出回る多くの高級な代物によって市場価値の暴落の懸念もあって、特例で招集させられたの」
「何から何まで、全部話す気かね」
「まぁ、いいじゃないか」
「どうせ――――」
沈黙。
流れで口にしてはあまりにも重苦しく、重厚で、防衛本能にも等しい殺意に満ち溢れていた。
徐に隊一同が刃を垣間見せる。
それに呼応し、精霊はフサフサな髪の中に紛れ、先代も依然として固められた拳で握りしめていた刃を差し向けるが、彼等の矛先は別に向けられていた。道半ばが故の来訪者かと思った矢先、変わる。
全てが。