第三十三話 鎖の印とダンジョン
熱病専用の凛とした額当ての布を桶に浸らす中、ようやく上体も無理なく起き上がらせた先々代が、「お前、これからどうするつもりだ」と、先程と一風変わって、張り詰めた空気をより圧縮させて告ぐ。
波紋の揺らぐ水面には、朧げな己が立場に地団駄を踏むかの如く幻に彷徨う面持ちに染まっていた。
そんな後ろ姿を間に受けたのか、立て続けに刺す。
「勇者としての道を進む気はないか?」
「え?」
バッと振り向き、怠けた布から絶えず雨垂れが滴り落ちてゆき、床を水浸しにしても狐疑逡巡の最中。
「お前にとっても、そう悪い提案じゃないだろう。此処でなら衣食住も確約され、勇者の下で教えも乞える」まるで勇者とはかけ離れた顔色と眼で訴え、それは次第に現実に引き摺り落としていった。
「あっ」床に広がる、慌てて水を拭くに至るまで。
慌てて視線とともに腰を下ろしていく姿を見逃さず、「今、此処でこの瞬間に決めろ」事を荒立てる。
そして、先代の動きが完全に停止した。
僅か数秒足らずで疾風迅雷の如く幾千万と瞬き、流れるように一切の迷いなく立ち上がる。
「……。ぼ、僕はっ!」束の間の平穏も享受出来ず、布を力強く握りしめ、悠然と闊歩しながら宣った。
「貴方の下で僕は勇者になります」
限りなくまごう事なき豪語を目の当たりにしても、不思議と浮かばれる気配は微塵も感じなかった。
それから時は水面下で流れ、燦々とした陽気が降り注ぎ、生い茂る草花を戦がせる野原で向かい合う。
刃を、視線を交わして。
繊細な身でありながら剣を華麗に振るって、それを間一髪で立て続けに躱しながら懐に迫ってゆき、先々代の矢継ぎ早の剣技を体に馴染ませ、一縷の隙を捉えた瞬間、勢いに任せて踏み込んで、繰り出す。
「凛」と、同時に剣先から蒼き光芒を発しながら、その場に冬の到来たる霜が降り注ぎ、放たれる。
「……」
が、緩慢に胸部に翳した片手から立てられる二指。
「解」
不可思議な術と眩い閃光で確実に喉笛を突き立ててた掌に収まる程度の氷塊はただの水飛沫に。「⁉︎」
そして、水蒸気に舞い戻り、敢え無く無に帰した。
ほんの数秒の茫然自失が影に隠れた敗北を招き、綺麗に三段構えの組み手に翻弄されて地に臥した。
「うっ!」
大地に鈍い音を響かせ、何気なく天を仰がせる。
「凄まじい成長速度だな」
「病み上がりなのに、手伝わせてしまってすみません」
「構わない。これも私の役目だ」
「はぁ、ですかね」
「あぁ、そうだ」
大の字で寝転がっているであろう先代はため息とともに喉元に出掛かっていた猜疑心を代わりに刺す。
「さっきの術は何なんですか?」
奇しくも同じ考えで、立場も共にしていたなら、同様に走った所作。
徐に一枚板分の膨らみのある籠手を外せば――雪のように細々とした他と異なり、指先が獣のように肥大化し、黒々しく焼け焦げ、醜悪なる姿であった。
その上には鎖の印が呪いのように広がっていた。
それは先代とやや異なりし様で。
「だ、大丈夫ですか?」
「感覚は無いが、大したことはない。時期、治る」
「そう、ですか。あのそれって僕のと……」
二指を突き立てながら、手探り感覚の片手間に告ぐ。
が。
「おーい!」
「ん?」
「……?」遥か遠くから隣人らしき淡い声が轟き、脊髄反射で被った鬼気迫る形相から一転、先々代ならではの妖艶でありながら純粋無垢な顔へと驚きの変貌を遂げ、共にその朧げな蜃気楼へと目をやった。
「一世一代の金儲けだせ! これは!」
「何がだ」
「これだよ、これ!」
「貸せ」
いつになく粗暴な態度で屈託のない笑みで掲げていた黄ばんだ紙を取り上げ、隈なく目を通していく。
「何の話?」
「前代未踏のダンジョンが此処らで発見されたんだ! 攻略すれば金貨二千枚は堅いと!」
「どうせ特権階級の人間。あるいは、他国の名だたる資産家だろう」
「あぁ、それでも乗るには十分の報酬だろ?」
「……。京介」
「何ですか?」薄々、嫌な方へと空気が流れていくのを感じ取りつつも、自らでその場へと足を運ぶ。
「お前、行く気はないか?」