第二十八話 思い出の場所
「……」
「あ、あの」
「……」
頻りに睡魔を誘う、妙に心地の良い沈黙が続き、依然として先代の前を死守していながらも、果てなくノロマな歩みで目的の場所が見えて来ずにいた。
「あー、ま、まだですか?」喉元で詰まらせていた嘆息を吐き出しても耄碌した耳の遠さ故か、全く振り返らずに進み続ける姿は正に己が時を行く暴君。
「……ハァ」
先代は漠然とした恐怖が薄れゆく代わりに言いようもない怒りが沸々と湧き上がり始めているだろう。
物語は中々、進みそうにない。
そう脳の全細胞が判断した次の瞬間、ふと先代の歩みが思わぬ方向へ廻り、刹那に御仁も振り返る。
「どうした?」
「此処って、境界線じゃありませんか? いつの間に」
「儂がただ若いもんを弄ばんと連れ歩き、日光浴に興じていたとでも思ったのか? これはあくまでお前さんのワープ酔いを避ける為の前準備に過ぎん」
「そうだったんですか、だったら」最初に告げておくべきだろう事柄を、冷ややかな眼差しとともに苦言を呈す様は老人の性と断定するのに禁じ得ない。
「で、でしたら、寄りたい所あるので、少しお時間宜しいでしょうか?」
「駄目だ」
「いえ、寧ろ此処まで御連れ頂き有難う御座います。後は此方で何とかしますので、じゃあ失礼します」
「コラ、待ちなさい」
先代は身体の向きを変えた方向へとそそくさと足を弾ませるように足を運んでいき、遂には走り出す。
「……」
だが、ただ凝視にのみ意識を割くのが限界なのか、御仁が追ってくる様子は微塵も感じられなかった。
「……?」
又しても懲りずにメイズフォレストの冥界に立ち入り、あの抜け穴を脱兎の如く軽やかに進みゆき、鮮明な記憶を頼りに死の足跡を辿れば、無事到着。
「ハァ、ハァ」
「ンー?」
不思議そうに小首を傾げ、抜け穴に向けていた視線を先代に向け、呼吸を整えていた頬が僅かに動く。
「僕の我儘に付き合ってくれるかい?」
それはまごう事なき屈託のない笑みを浮かべて、小さな頭を大きく振るって頷き、共に落ちていく。
静寂を漂わせる至る所が壊れた滑り台を通して。
オーガの棲まう、地下都市に。
「あれ?」
あまつさえ、歓迎とは程遠い閑散とした回廊を、心許ない老翁を背に連れながら歩みを進めてゆく。
「無駄だ」
背後から容赦なく舌剣をチクチクと突き立てて、次第に確固たる意志の歩みが鈍りに変化していく。
そして、思いの外早く、あの場へ着いてしまう。
「だから、言っただろう」
「あっ」
血と肉と皮と骨。地下都市の大広間には、無数のオーガで噎せ返るような赤で染まり上がっていた。
「なんで、なんで......」
悉く粉々に打ち砕かれた希望とともに膝から崩れ落ち、ただ消え入りそうな者と落ち着きのままならない生命の息吹きが絶えた荒れ果てた街を目にし、決して覆しようのない絶望に打ちひしがれていた。
天上に張り付いた肉の断片が緩慢に落ちてゆく。それも見覚えのある、先代と歳も変わらぬ少女が。
「一緒に住もうって約束したのに……なん、で?」
「恐らく、地上の危険生物が雪崩れ込んだのだ。これも弱肉強食で生きる者の定め。自然界の淘汰だ」
語り手は声のトーン一つ乱さぬ努力さえしない。
「では、行くぞ」
「っ、は?」信じられないという言葉を頬に、面持ちに浮かぶ姿はあまりにあまりにも容易であった。
「では、此処で無様な死を遂げるか?」
それでも進むしかない。逃げ道など無いのだから。
焼け焦げた一部を不可思議な収納箱内へと納め、生まれたてのルーヤのように小刻みに足を震わせ、必死に啜り泣く喉と掌を支えに立ち上がり、行く。
カツン、コツン。
翁の杖が地を叩く音ばかりが響き渡り、谺する。雑音は蛆の羽音と溝鼠のけたたましい鳴き声だけ。
ふらふらと横道に逸れると言わんばかりに危なっかしく身を揺らがせながら遂に、あの話の場へと。
先々代の在る、孤児院に辿り着く。