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異世界の婚約者  作者: 真白 悟
1章
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 死……それはまるで永い眠りに落ちるように静かで、そして眠るよりも簡単だ。


 眠るその瞬間に意識は失われ、そして、全ての記憶が遠い忘却の彼方へと消えていく。その後に残るのはなんだろう……人の意志というものは酷く脆く、それ故に大切だ。

 だけど死の後にはそれは残らない。それが神によって定められた運命だからだ。


 だけどそれならばどうして人は生まれて生きるのだろう。

 最後に来るのが意識の消滅だとして、そこに何の意味があるのだろう。たぶん何の意味もない。



 ◇



 神様っていうのはかなり適当な種族らしい。

 まあそれは人間も一緒か。と言うか、人間という種が神に模して造られたのなら、それも当然のことかもしれない。


「それにしても……することがないな……」


 現代日本に生まれた僕にとっては、古めかしい石造の建物がならぶだけのこの街はとてもつまらない。実際に行ったことがあるわけではないが、テレビで見たようなヨーロッパの建物とに通っている。

 文化水準は高そうにみえるが機械の「キ」の字すら見えない。その点は中世ヨーロッパに近いのかもしれない。

 長年それなりにしか働いてこなかった僕が、この世界に見合うような肉体労働などに向いているわけもないし、大した勉強をしてきたわけでもない僕が持つ知識なんてここでは何の役にも立たず、仕事すら見つからない始末だ。


「お腹は空かないけど……」


 神様によって与えられた能力のひとつに、『空腹を満たす者』というスキルがあり、それによってお腹が空くことはない。

 まあ食事をとらなくていいというわけでもないけど。

 なぜって……そりゃ、こんな世界において食事は数少ない楽しみの1つだ。まだ数日だけてないだけだというのに、肉が食べたい。それも油の乗った肉だ。そのことに頭が支配されつつある。

 そんなことばかりを考えていたら、自然とため息が出た。


「そんなところでどうしたんですか?」


 突然聞こえてきた声に顔を上げる。

 この世界に来て初めて話しかけられた。

 こちらからはなしかけることは何度かあったが、現地人から見て僕はかなり不審な風貌をしているらしく、みんなが警戒して近づいてくることすらない。そんな僕に話しかけるのは、相当奇特な人物か、もしくは危ない話を持ってくるグレイな人物かのどちらかだろう。


「……うん」


 思わずそんな声が溢れる。

 流石は異世界といったところだ。

 僕に話しかけて来た少女は、僕たちの世界においてはみればかなりの美少女に分類されるであろう容姿をしている。だけど取り立てて驚くことでもない。

 この世界においては彼女の容姿が標準であり、僕の様な容姿の方が極めて珍しい。というより、今のところは一度も見たことがない。

 そのせいだろうか僕はかなりの差別を受けている。


 そんな僕に話しかけてくる人間はかなり怪しい。


「どうしたの? 人の顔をじっと見つめて……この街ではそれが流行っているのかしら?」


 訝しむ僕を見て、彼女もこちらを訝しむような目をする。

 なるほど、彼女はどうやらこの街の住人ではないらしい。よく考えて見れば、僕は他の街には一度たりとも行ったことがない。この世界に来てから数日しか経っていないという事もあるけど、それよりも大きな問題に阻まれている。

 それはおいおい話すとして、とにもかくにも彼女が話しかけて来たのはかなり幸運だ。


「いや、僕もこの街の人間じゃない」

「そうなんだ……ギルドについて話を聞こうと思ったんだけど。あまり期待できなそうね」


 期待はずれとばかりにため息を吐くが、彼女は一向にこの場を離れようとはしない。

 僕からは自分が望むような情報は得られないと分かっているだろうに、なぜまだここに居座るのだろうか。そんな僕の心の声に答えるように、彼女は静かに口を開く。


「私よりあなたの方がよっぽど困っているように見えるのだけど?」


 どうやら僕を気遣ってくれているようだ。

 確かに彼女のいう通り困っている。困ってはいるが、知らない人間に手を借りるほどとも言い難い。

 さて、どう答えたものか。と悩みつつも、正直に答える。


「見ての通りの浮浪者さ。僕の様な不審なものに働き口はないらしい」

 

 彼女の服装はあまりにも一般人離れしている。

 数日という短い期間ではあるが、街行く人を観察した僕にしてみれば、彼女が貴族……この世界に貴族という概念があるのかどうかはさておいて、それに準ずる何かであるというのは容易に分かる。

 そんな人間にごまかしで対応すれば、後々面倒ごとになりかねない。


「それは大変でしょうね……そうだわ! だったら私について来ない?」

「ついてくるって?」


 彼女は嫌にニコニコした様子だ。

 詐欺師は笑顔で近づいて来るとも言うし、怪しい実験のモルモットにでもするつもりだろうか……初対面のそれもこんな怪しい風貌をした男に優しさを向けるなんて普通に考えて怪しすぎる。何かをたくらんでいると考えるのが自然だろう。

 特に僕のような不労の浮浪者に優しくして来る人間が本当に優しいわけがない。


 そんな僕の心中を察したのか、彼女は呆れた様子でありながらもしっかりと僕の目を見つめる。


「分かっているとは思うけど、養ってあげるわけじゃないわよ。『死から逃れるのは労働』って諺にもある通り、働けないと生きて行くのは難しいわ。だから少しだけ仕事を斡旋してあげようかと思っただけ。誰にでも機会は与えられるべきだもの」

「それはありがたい」


 内心警戒しつつも、それを悟られないように出来る限り静かに答える。

 働かなくても生きて行けるとはいえ、一生を路上生活で終えるつもりはなかった。あと数日もすれば、働ける場所のない僕は、この街を去らなければいけないところだった。死を覚悟して。


「私のところは働く意欲があれば大歓迎よ」


 私のところはって言葉が気になったが、ともかく仕事がもらえるのならこれ以上の幸せはない。



 ◇



「――謀ったな……」


 騙された。いいや、最初から分かっていたはずだ。おいしい話には裏があるってことぐらい。大人になれば誰だって知っていることだ。それなのに、あんな話に乗ってしまったのは、おそらくこんな世界に送られて心の余裕が自分で考えているよりもなかったのだろう。

 ああ、人間とは学ばない。なんて愚かな生き物だろう。


「別に何も謀ってないけど。ただ、残念なことに『私の会社』がこういう仕事なだけだしね」


 悪魔のような……いいや、天使のような笑顔を僕に向けながら、悪魔はそう悪びれる様子もない。

 本当に悪魔の所業としか思えない。

「人を騙してお金を儲けるのが仕事だと!?」

「ちょっと、人聞きの悪いことを言わないで来るかな!? え、そんなに冒険者になるのが嫌だったの!? 別に騙したつもりはないし、断ってくれてもいいんだけど?」

 後には引けない浮浪者に声をかけて、人を人とも思っていない様な危険な仕事を与えるという事がどれほど罪深いことか。

「知っているぞ。この街の冒険者が、どれだけ命を粉にして働いているか! それでも生存率はかなり低く、金に困って仕方のない人が最後に働く砦だってことも!」

「えぇ……この街の冒険者って……」

「……あんたのところは違うのか?」

 僕の問いかけに、彼女は「全然違うけど」と首を大きく横に振った。


 彼女に案内された施設の説明を受ける。

 どうやら、彼女が社長を務める会社は、この街における冒険者組合とはまるで違うらしい。

 彼女の国における冒険者というのは、ゲームとかアニメで見られる魔物とかを討伐して日銭を稼ぐような仕事ではなく、未開拓の土地や島を開拓して土地の運用をしたり、古代の遺跡とかで遺物を探してお金で取引したりする開拓者的な職業らしい。

 中世ヨーロッパみたいなところで、近代アメリカみたいなことをしてる時代があやふやになりそうな組織だ。


「なるほど、だからあんたの服装……」

「そうね、このあたりはかなり発達しているようだけど、私の国と比べるならまだまだね……面白い物もあるけど」と、彼女はポケットからよくわからない小さな黒い長方形の板みたいなのを取り出した。


「それは?」

「この街で見つけた面白い物」


 まるで宝物でも見るかのようなキラキラと瞳を輝かせながら、彼女は再び天使のような笑顔で微笑む。


「仕事についてはよくわかった。けど、そんなすごそうなところで僕の力なんて役に立つのか?」

「それは……まだわからないけど。私の国にもフロンティアスピリッツを持ち合わせているような殊勝な人間は少ないのよ。この街の冒険者に比べれば随分と安全だけど、それでも命の危険があることには違いがないからね」


 なるほど……確かに前世の日本も命を大切にするような考え方があった。戦前との違いを考えると、国が発展してそれだけ平和な世の中になると、命を大切にする人の割合が増えるという事だろう。

 まさに心理的な何らかの要因があるという事なのかもしれない。

「それで、僕みたいな浮浪者に声をかけたわけか……」

「別に危険な仕事を押し付けようって意味合いはないつもりよ。でもそうとってもらっても構わない。困っているのはお互い様だからね」

 僕は仕事がなくて困っているし、彼女は働き手がいなくて困っている。つまるところ、今の状況はウィンウィンな関係というわけだ。


「分かった。どうせ他に仕事なんてないわけだし。仕事がもらえるだけ感謝しないとな」


 感謝すれど、文句を言うのはお門違いだ。


「交渉成立ね」と言うと、彼女は右手をこちらに差し出した。

 どうやら交渉が成立したら握手するというのは、僕たちの世界と変わらないらしい。大した実力もない僕が、交渉してもらえるだけでもありがたいというのに、ケチをつけたのにも係わらず握手までしてくれるなんて出来た人だ。

 僕は彼女の握手に応じる。手を握った瞬間、ほんの一瞬だけだが手の甲が熱くなる感覚に襲われて驚いて手を離す。


 そして「ありがとう」と、助けてくれたことに対する感謝の言葉を伝えた。だけどなんだか彼女の様子がおかしい。

 顔を紅潮させて体を震えさせている。その振動が僕の手に伝わってくるほどだ。一体どうしたというのだろう。

「どうして手を握ったの?」

 今まで話していた声のトーンよりも数段低い声で、まるで親の敵でも相手にしているかのように強い意志が伝わってくる。

「どうしてって……交渉成立の握手だろ?」

「つまり、この世界における共通認識であるはずの婚約の成立を意味する男女間の握手を知らなかったと?」


 な、なんだって。僕は驚きのあまり言葉を失ってしまった。

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