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春へと続く物語  作者: さしあたり
7/11

御崎

 彼は最後に名前を教えてくれた。

 御崎と声に出してみる。いい響き。これから受験が終わるまでの四ヶ月間、わたしは何度この名前をつぶやくだろうか。おまじないでも願掛けでも何でも良い。心の支えになる物が欲しい。彼は一週間に一度のSNSさえ、許してくれなかった。彼なりに考えがあってのことだと思うが、やっぱりキツイ。学校の友だちに、連絡するつもりはない。何度、グループから離れたいと思ったことか。でも今なら言える。もうどうでもいい。一番大事な物がはっきり分かったから。

 いっそ春になるまで携帯の電源を落としておこうか。うん、そうしよう。それがいい。兎に角、集中、勉強に集中、受かることだけを考える。


 最後の校外模擬試験の結果が返ってきた。早く結果を見たい、見て安心したい。そう言えば、御崎さんが話してくれた。『安心してはだめ、気が緩むから。守りに入ってしまう。最後まで気を張り続けていなさい』って。はい、分かりました。最後まで攻め続けます。

 気合いを入れて、封筒を開ける。中から二つ折りされた紙を引き抜く。表を内側にして折りたたまれている。ちょっとだけ表の印刷が透けてる。

 一年の時から地元の国立大学を志望していた。一度もB判定に落ちていない。ドキドキドキドキ。このドキドキ感を楽しめたらいいのに。

 大学入学共通テスト『A』、個別試験『A』、ドッキング判定『A』、『A』の中でも結構、上位につけてる。安心しちゃダメ。私より上に何人もいる。攻め続けなくっちゃ。



 冬休みの初日、三者面談があった。

 担任の先生と副担任、お母さんとわたし。四者面談じゃん。机を四台つくっつけ対面にしている。担任の先生の机には、わたしの資料が広げられている。折れ線グラフが見える。副担任の机には、パソコンが開かれ、大手予備校が発行している辞書みたいに分厚いハンドブックが積み上げられてる。

 学校の先生も塾の先生も、みんな同じことばかり言う。『油断しなければ大丈夫』、『体調管理をしっかりと』。大丈夫、大丈夫って言われ続けるとかえって不安になる。体調管理って手洗いうがいだけでいいのかしら。正直それどろじゃない。することは尽きない。体調管理なんて気に掛けてられない。

 先生が、遠慮しがちに志望校のランクを上げてみないかとおっしゃった。関東にある最難関国立大学だ。前回のときと同じ。お母さんと副担任がじっとわたしを見てる。

「地元から通います。勉強はどこででもできますから」

「夏の懇談のときにも言ったけど、香川さんの成績なら充分狙える。それに自宅から通うって言ったって、通学に往復で五時間も掛かるぞ。それだったら関東に出て大学の近くに下宿したほうがいいんじゃないか」

 なんとなく地元を離れたくない。大学に特別こだわりはなかった。みんなが行くから、わたしもいかなくちゃいけないんだろうと思ってた。でも最近は、行けば行ったで何か良いことがありそうな気がする。もちろん御崎さんの影響だ。だから、絶対ここを離れるつもりはない。

 大学入学共通テストの結果を見てからでもと、お母さんが助け船をだしてくれた。ありがとう、お母さん。



 一日、何時間勉強してるんだろう。睡眠と食事とお風呂の時間を引いたら分かる。われながら感心する。人間ってこんなに勉強できるんだ。個別試験の勉強に回せる時間はない。それで良いって言ってくれた。大学入学共通テストで合格圏に入れない者は、個別でも無理。逆転できることもあるがギャンブルみたいなもの、浪人覚悟ならチャレンジすればいい。

 赤本と前に受けた模擬試験を何度も何度も繰り返す。御崎さんに教えてもらった勉強法だ。一定以上の点数が取れているなら、過去問を繰り返し間違ったところを重点的に見直す。同じ問題を二度間違えなければ、誰だって志望校に合格できる。言い得て妙だ。

 方向を指示してもらえるのって、すごい。迷わない。迷わないから、どんどん頭の中に入ってくるし意欲も落ちない。理想を押しつけてくる割には、具体的なことを話さずにのらりくらりとかわす先生方とは大違い。

 もうすぐ除夜の鐘がなる。スクールバッグから紫のお守りを取り出す。彼に買ってもらったお守り。赤や黄色より、紫が似合うと言った。

 仰向けでころがり、両手を伸ばし紫のお守りを見上げる。蛍光灯が視界に入り、まぶしい。今頃何してるのかな。こっちにいるのかな、それとも地元に帰ってるのかな。想像ばっかり膨らませる。これが唯一の息抜き。


 年が明けた。

 一番最初にすることは、決めていた。太宰府で買ってもらった鉛筆を削ること。わたしの持っている鉛筆削りは手動でゴリゴリ、ハンドルを回すタイプ。いつもより何倍も気持ちを込めて、思いを込めて回す。

 削ったばかりの鉛筆を手に取り、真っ白なコピー用紙に『絶対合格!』。続けて志望校の名前を描く。半透明のデスクマットに挟み込む。

 さあ、これから大学入学共通テスト五教科七科目、朝までぶっ通しでやる。スピード重視の練習。目標のタイムは六時間。過去に何度もしているので、たぶん大丈夫。思いっきり飛ばしてもミスをしない。焦ったときの予行演習。自分を徹底的に追い詰める。

 はじめっ!


 冬休みが明けたら一気に受験日がやってきた。

八日間ぶっ通しのプレテストをこなし最終確認。もちろん代休はなし。前日は二時間目まで授業が行われ、当日の諸注意の後、受験会場の下見に出かけた。大学入学共通テストは、理数系を除き、みんないっしょの会場で試験を受ける。友だちといっしょに行く子がほとんどだけど、わたしは一人で向かう。グループの子たちに誘われたけど断った。足が震えた、たぶん唇も。すごく勇気が必要だった。彼女たちは不安な気持ちに目をつむる。誤魔化す。みんなの中に隠れる。真正面から向き合わない。

 わたしだって、逃げ切れるものならそうしたい。でも、試験中は、誰も助けてくれない。てんばっても、頭の中が真っ白になっても、お腹が痛くなっても、泣き出しても。少しでも早く臨戦態勢に入りたかった。御崎さんだって、知らない土地でたった一人で頑張ってるんだから。

 明日のわたしはきっと、近寄るなオーラを全開で解き放っているだろう。



 自己採点の結果にビックリ。最高得点を更新してた。塾の先生に「これで落ちたら、豆腐の角に頭をぶつけて死ね」って言われた。生徒を人間扱いしない、とんでもない先生だ。みんないっぱい泣かされた。泣きながら教室から出ていった生徒もいる。今日も涙がこぼれたけれど、死に物狂いでついてきて心の底から良かったと思う。


 個別試験まであと40日。

御崎という名前だけで、モチベーションを維持できるのだろうか。やっぱり不安。

 手の甲に何かがついた。ひとしずくの涙。気がつかないあいだに流れて落ちていた。彼のことを考え出すと、ときどきこんなことがおこる。今日はいつもよりなんだか、いっぱい溢れてる。いつまでも止まらない。

 合格しないことには、何も始まらない。鼻水を啜りながら嗚咽が漏れた。

「あ~ 早く会いたい。声が聞きたい」

 


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