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春へと続く物語  作者: さしあたり
6/11

時間

 朝の挨拶すら交わさない。当然、退社時もない。ここで働く従業員は、ここでしか勤まらない。他の会社では雇ってもらえない。社会の底辺にある。

 彼らは八時間勤務のうち、半分も働いていない。事務員はゲームやおしゃべりで時間を潰し、工員は休憩時間が異様に長い。

 会社に出社しても、これといってすることがない。直接作業は利益供与になるため行えない。経営と金銭に関することは、関われない。倒産したとき、責任転嫁される可能性がある。ドロを被らなくてすむように、情報だけは整えてある。

 今までに出来なかった勉強をしている。モチベーション維持のためだ。事務員達がしゃべりだすと、室内はまるでカラオケボックスのように騒がしくなる。とても集中できない。


 スマホに掛かってくる美沙からの電話は全て無視している。仕事の話しではない。もしそうなら、他の者を使ってでも連絡を取るはずだ。

 会社のメールアドレスは、送っても、受け取ってもサーバーにバックアップされる。もちろんファックスも。このことは美沙も知っている。少なくとも会社の人間には知られたくない内容だ。

 連絡手段は全て断ち切った。

 業を煮やしたのか、とうとう会社へ掛けてきた。居留守を使おうとしたが、事務員と話すが面倒臭い。受話器を持ち上げ、すぐに降ろした。人を介して取り繋いでもらおうとしたのだろう。なるほど、切羽詰まった様子がうかがい知れる。

 無駄に時間があると、余計なことばかり思い浮かぶ。彼女のことは考えないようにしているのだが、何故こうまでするのか、気が付いたら勝手に考えている。



 年の瀬もいよいよ押し迫った大晦日、半年ぶりに帰郷した。

 エントランスで管理人に挨拶をし、溜まっていた郵便物を受け取る。たいした量ではない。片手だけで持てる。エレベーターに乗り込みボタンを押した。

 玄関の扉を開け、照明をつける。水道と電気は事前に電話で復活させておいた。長い間、人の息吹がなかった部屋は、小雪の降り続く外と同じ温度だった。誰も待っていなくても、ほっとする。二間ある和室には机と椅子が一対あるだけ。他は何もない。全ての窓を開けてまわった。


 ここに住んでいた頃、よく通った割烹料理屋ののれんをくぐった。夕食には、まだ早いが他にすることがない。今日は十九時に店を閉めるそうだ。早めに訪れて正解だった。

 店の中は何も変わっていないように見える。カウンターの端に座り、大将に煮物を適当に盛ってもらった。一人で食事をするのは慣れている。妻と娘に先立たれてから、ずっとこの調子だ。今日ぐらい、酒の肴に昔のことを懐かしむのも悪くない。

 私がいなくなったあと会社の中は変わっているだろう。私の知らない新入社員が二度入社し、私が知っている社員が辞めていった。気が向いたときだけ、総務のお局様がメールで知らせてくる。

 私が作ったシステムは、まだ使われているのだろうか。十年以上使い続けているものもある。考えるだけ無駄だ。今の私には、何の関係もない。

 希唯は今頃、机に向かって受験勉強に精を出しているだろうか。真剣な眼差しで、テキストを睨みつけ鉛筆を握りしめる姿が頭に浮かんだ。

 サラリーマンの人事なんてあっけない。辞令一枚でどうにでもなる。例え違法でも、勝負に勝って試合に負ける。自己退職に追い込むなんて造作もない。全てのことに関心がなくなったから、まだ辞めずにいられる。


「これ、よかったら食べてみて下さい。明日から休むんで残ってもしょうがないんですわ」

 大将がカウンターの中から小鉢を差し出す。大葉の上にこのわたが乗っていた。

「あの頃、連れてきてくれた人たちが、今でもときどき寄ってくれるんですよ」

 会社の連中を何度か連れてきたことがある。別嬪さんがいっしょだったので、よく憶えていたそうだ。五、六人で飲みにきて女性が二人ほど入っていた。ここで一杯やって、私の部屋へ移り朝まで騒いだこともあった。

 ちょうしが二本空いたところで店を出た。

 コンビニで缶ビールとつまみ、明日の朝食を買い求めマンションへ戻る。ビニール袋を腕に通し、財布からカードキーを取り出した。電子音が鳴りロックが外れドアが開く。

 管理人に声を掛けられた。妙にそわそわした感じがする。

「お客さんがいらしてます」

 ガラス扉の向こうに美沙がいた。



「どちらさまですか」

 美沙ではなく管理人に訊ねた。

「ごめんなさい。どうしても会いたかったんです」

「どうしてここにいる」

「教えてもらいました」

 彼女はここへ来たことがない。社交性に著しく欠ける彼女は、会社の年中行事にほとんど参加しない。男性が参加する有志飲み会などもってのほかだ。

「なぜ、私が帰ってきてることを知っている」

 管理人が横から口をはさんだ。

「何度も何度も通ってきていたので、つい情にほだされて帰ってこられたら連絡するって約束してしまったんです」

 それだけ告げると、さっさと管理人室へ戻っていった。これでは何のための管理人なのかわからない。美沙と二人だけエントランスに取り残された。どうしたものか。私から話すことは何もない。意図的に彼女を避けていたのは、人一倍思い込みの強い彼女と関わり合いたくなかったからだ。人間関係を完全にリセットしたい。仮に以前の職場に復職するならば、強く関わりを持っていた連中が全員退職した後がよい。

「部長、少しだけお時間を頂けませんでしょうか」

「先に言っとくが、部屋には上げないぞ。それに、大晦日のこの時間だ。開いてる店なんてこの辺りにはない」

 口から出任せだ。土地勘のない美沙は知らないだろうが、少し離れた場所に、穴場のビストロや隠れ家のような日本料理店などが数軒ある。

 車で国道沿いのファミリーレストランまで行かないかと誘ってきた。アルコールが入っているので、運転できないと断るが、自分が運転するからと、引きそうにない。

「話すことなど何もない、と言ったどうする」

 ショートブーツのつま先をじっと見つめたまま動かなくなってしまった。目線をあげる様子はない。泣くかもしれない。管理人室からの遠慮のない視線も気になる。ガラス戸の隙間から冷たい風が流れ込んでくる。首筋がひやりとした。せっかく酒で暖かくなった身体が、冷えてくる。だんまりの我慢比べをしていてもしょうがない。彼女の前を横切りエレベーターに乗ろうとしたとき、右腕の袖口を軽く引っ張られた。

「部長はいつも私が話し出すまでずっとずっと待っててくれたじゃないですか。何分でも何時間でも。部長に話すことがなくても私にはあります。何から話したらいいのかわからないし、なんでここまで来たのか自分でもわからないんです」

 何時間も待った覚えはない。何時間も話しを聞いたの勘違いだろう。私から話題を振り出したら、話せるかと訊ねる。小さく首肯した。


 コンビニで買い物したビニール袋は持ったままだ。マンションの裏手にある和菓子屋へ向かう。久しく訪れていなかったが、イートインコーナーがあったはず。

「こんなところにお菓子屋さんがあるんですね。大晦日までやってるなんて」

「知ってる人は知ってる。帰省する人がお土産に買って帰るんだ」

 酒の後に甘い物は食べたくないが、何か買わないわけにはいかない。美沙は後ろ手に組み、ショーケースの中の和菓子をうれしそうに眺めている。買い物は彼女に任せて先に席に着いた。

 店員が小皿にのせた菓子と日本茶を運んできた。

「甘い物は好きか?」

「甘い物の嫌いな女の子って、少ないですよ。でも、部長はあんまり好きじゃなかったですよね」

 昔から役職でなくさん付けで呼ぶように指示していた。彼女が説明した。私がいなくなってすぐに、営業部長が呼び方を変えさせた。社長の腰巾着で、胡麻擂りだけが取り柄の男だ。

「もう、おまえの上司じゃないんだから、普通にさん付けで呼んでくれ。なんだか違和感ありありだ」

「はい、じゃあ前のままってことで」

 事務所の状態はどうかと、話題を振ってみる。興味はないが、さっさと話を済ませ帰りたい。言いよどむことなく、近況をすらすらと報告しだす。愚痴に始まり恋バナまで。一通り話し終え、お茶をすすった。かれこれ一時間近く独りでしゃべり通した。店の中には、私たち以外、客がいなくなった。

「もう充分、しゃべっただろう。気がすんだか」

 テーブルの上のからっぽの小皿をじっと見つめている。眉間にゆっくりと皺がよる。肩を持ち上げながら鼻から大きく息を吸い込み、吐き出すと同時に勢いをつけ顔を上げた。

「どうして電話に出てくれなかったんですか。何度も何度も掛けたのに」

「話す必要がないからだ」

「私にはあります」

「だから、こうやって時間を割いてる」

「怒ってますか。御崎さんの移動が決まったあと、何も言えなかったこと。どうしたらいいのか、全然分からなくって、頭の中がパニックになって、どんどん日にちだけが過ぎていって、すごく焦って、でも、やっぱり分からなくって、何にも分からなくって」

 今にも泣き出しそう顔をしている。美沙にしては頑張って話している。下目蓋に涙が溜まりはじめた。

 何も言ってこないわたしに腹を立てたが、すぐに諦めに変わった。落ち目の人間に、積極的に関わろうとする者はいない。逆に、そんな人間に関わらない方が、彼女のためになる。

「歩きながら話そう。ここで泣かれたら店の人も困るだろう」


 年が明けるまで残り数時間、夕方に降った雪は、すっかりとけてなくなっていた。街路灯が等間隔で続く道を二人並んで歩く。どの窓からもあかあかと光が漏れている。青と白のイルミネーションで飾った家も多い。車が時折、走っているが、人は誰も歩いていない。

「もしかして、私、好きになっているんですか」

 真っ直ぐ前を見つめたまま美沙がつぶやく。街路灯が彼女の顔を青白く照らす。うっすらと涙が流れた後が、見てとれる。

「入社した時からずっと迷惑掛けっぱなしで、いつか恩返ししたいって言ったときのこと、憶えてますか」

 首を横に振った。ほんとうは、憶えている。昔話をするつもりはない。私は兎も角、彼女は昔を懐かしむような年齢ではない。それに、懐かしむよりも精算したい。

「あの時、言ってくれましたよね、御崎さんに恩返しするんじゃなくて、後輩ができたとき同じようにしてあげなさいって。この人なら間違いない、ずっとついて行こうって思ったんです。尊敬する気持ちが、恋愛感情に変わったのかもしれません」

「自己分析するのは勝手だが、一人で完結してくれ」

 正面に回り込み、しっかりと顔を上げる。僅かに口角が上がった。

「これからも、ずっと電話しますから。出ても出なくても、どっちでもいいです。御崎さんへお任せします。でも、私はずっと掛け続けます。良いですよね」

 勝手に決めてしまって、良いも悪いもない。ただ、電話に出るかどうか、決定権があるだけだ。美沙はスマホのメールアドレスやSNSの友だち申請をしたいのだが、今回は辞めておくと言った。私が転勤する前に、話しかけることができなかったことを、それで相殺したいそうだ。


「痩せましたね」

「今頃、気付いたか」

「すみません。私はストレスで太りました。二キロも増えちゃいました。気が付いてましたか」

「ノートコメント。私の今の体重を聞いたらショック死するかもな」

「それって優しいのかな?」

「さあな」


 このまま初詣に行きたいと誘ってきた。ふと、机に向かって勉強をする希唯の姿が頭に浮かんできた。


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