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春へと続く物語  作者: さしあたり
4/11

約束

 この地方にしては、珍しく朝からずっと晴れている。十七時ちょうどで退社した。約束の場所へ向かう。少し早く着きそうだ。

 彼女は扉の外で待っていた。いつもとどこか感じが違う。


「こんばんは。早かったですね。もしかして来てくれないかと思ってました」

 これまでと違い落ち着きがある。緊張した様子もない。

「風邪はよくなったのかい」

「はい、もう大丈夫です。ちゃんと、コートを真冬用に変えました」

 紺色のダブル、スクールコートの定番。見るからに生地が厚い。

「タイツも履いてます」

 足下へ視線を向けると、厚手の真っ黒なタイツが見えた。黒色のせいか足が細く感じる。

「学校は肌色しかだめなんです。恰好悪いし膝のところに皺が目立つんです。だから誰も履いてないです」

「そうか。校則が厳しいんだね」

「はい。だからそこのトイレで履きました」

 女子高生の口から着替えの言葉がするりと出てきて驚いた。これが普通なのかと、自分を納得させる。

「今日は歩くのをやめて、夕食にしないか」

 受験生に、風邪をぶり返させるわけにはいかない。彼女の表情が幾分やわらかくなった。先日、ナンパされかけて心配だったのかも知れない。

 しっかり頷き、バス通りの向こうへ見えているファーストフード店を指差した。


 まだ六時を回ったばかりだが、どっぷり日が暮れている。店の中は中高生が席の半数を埋めていた。仮に親子連れと見られたとしても、浮いた感じがする。彼女も同じように思っているか、店員からハンバーガーセットが乗ったトレーを受け取り、目立たないよう隅の席に座った。

「あのおっ」

 声が裏返っている。近くにいた客が一斉に振り向いた。

「すみません。大きな声が出ちゃいました」

 誰に言うともなく、俯いて呟いた。耳の後ろまで真っ赤になっている。

「『受験勉強に集中したい。けど、今の気持ちの正体も知りたい』言いたいことはこんな感じじゃないの」

「はっ はい。その通りです」

 答えは簡単だ。得体の知れない心理状況は、恋愛への憧れだ。誰かに恋するのではなく、恋する自分に戸惑っている。この手の経験が少ないのだろう。ここまでは説明できる。対象がどうして自分なのか、そこがまったく分からない。どからどうみても親子。お互いに惹かれ合ったなら年の差を除外することも可能だ。しかし、話したことなく、名前すらしらない者に、感覚だけで惹きつけられた。実年齢よりは若干若く見えるが、頑張っても四十歳前半までだろう。外見に魅力がないことは、自覚している。

「勉強に専念して欲しい。二人の息子の受験を経験している。このままダラダラと会い続ければ、間違いなく成績が下がる。それは分かるね」

「はい」

 次はもやもやとした気持ちだ。できれば『恋愛』と言う単語を使いたくない。彼女は自覚がない。こんなおじさんを媒体として恋愛に憧れているなんて、きっとショックを受ける。

「もし、よかったら教えて欲しい。男性とつき合ったことはあるの。もちろん答えたくなかったら・・・・」

 話しを終える前に、顔を横に振った。

「受験生は、何かにつけ神経が過敏になってる。いつもなら何でもないことでイライラしてり、傷ついたりする。そして一様に不安を抱えている。そんなときに、たまたま私の姿が目に焼き付いてしまったんだ、偶然に」「たまたまですか」

「たまたまだ」

 机の上に、手を付けていないトレーが二つ並んでいる。

「折角だから、食べながら話そう。お腹に食べ物を入れれば落ち着くものだ」

 いただきますときっちり両手を合わせて頭を垂れた。こんなに小さな口で、ハンバーガーにかぶりつけるのだろうか。

「今は、不安定な時期でいろんなことに過敏に反応してしまう。受験が終われば何ともなくなる。どうしてあんな気持ちになったんだろうかって不思議に思うだろう。みんないっしょだよ」

「そいうものなんですか」

「そういうもの。うちの息子も彼女が志望校を変更しただけで急に泣き出した。親の前で泣くよう子じゃなかったのに」

「じゃあ、このままでいいんですか」

「いや、ちゃんと区切りをつけよう。これで会うのは最後、あとは勉強に専念するって思い込むんだ。きっとうまくいく」

「なんか、あやしい」

 根拠のない提案なので、もちろんあやしい。しかし、無事、大学に合格すれば自分のことなど忘れてしまうだろう。それは間違いない。

「騙されたと思ってやってみなさい。明るい春を迎えられる」

「区切りって今日ですか」

「今日でもかまわないが、あらためて別の日に会ったほうが心の準備ができるんじゃないかな」

「確かに」

 唇を軽くつまんだ。まぶたを閉じて鼻からゆっくり息を吸い込む。目を開けると、満面の笑顔で視線を合わせた。

「太宰府天満宮に連れて行ってください」

「この時期に。一日掛かるぞ」

「行ったことないんです」

「親が許可しないだろ」

「受験生が太宰府に行きたいって言って、怒る親はいません」

 きっぱり自身を持って断言した。筋は通っている。爛々と輝く瞳がまぶしい。

「ん? オッドアイ」

「話し逸らしました」

 やはりばれた。こんな単純な手に引っかかるやつはいない。ほんの僅かだが左右の瞳の色がちがう。ヘーゼルとブラウンのオッドアイ。

「区切りをつけるのは、わたしも賛成です。その後のことは、太宰府へ行く日に、お互いに案を持ち合いませんか」

「結局、行くのか」

「はい」

「強引だな」

「強引です」





 プラットホームで彼女を待つ。晴れ渡った空に吐く息が白い。いかにも頑張ってる感、丸出しの女の子が短いスカートから素足をさらしている。

 約束の時間まで、まだ随分ある。寒風吹きすさぶ霜月の駅で待たせるわけにはいかない。それに祈願してもらうなら午前中がよい。縁起のものだ。

 駅で待ち合わせしたものの、彼女が電車で来るのか、バスで来るのか知らない。名前すら知らないのだから当然だ。こちらも名乗らないのだからお互い様。二人だけなら名前なんて必要ないのかもしれない。


 電車に乗り込むなり口を開く。緊張していない。一日中、二人きりで会話が続くかどうか心配していた。間が持たないと疲れる。

「お母さんたら、今朝になってズボンを履いていけって言い出すんですよ。昨日さんざん迷ったのに」

 すっぽかされるとは思わなかったのだろうか。

 紫紺のパンツにトップは襟元が大きく開いたセーターをイン。ウエストの細さが強調される。アイボリーのコートはキチンと畳んで膝の上。全て単色でシンプルに纏められている。背中まである髪を今日は結んでいない。いやに大人っぽい。

「お母さんが正解だろ。スカートよりズボンのほうが暖かいんじゃないか」

「そうなんですけど。服選びは大変なんです」

 女性の服にはまったくといってよいほど疎いが、それでもセンスの良さが伝わってくる。素直に褒めたいが、的を外したときが恐いし恥ずかしい。格好いいと思うのだが、綺麗とか可愛いと褒めた方が良いのだろうか。よく分からない。

 仕事ならこんなこと考えもしなかった。出来なかったことが出来るようになった、小さな気づきを見つけたとき、先回りして先手を打ったとき。具体的な事実と成果を示して、いっしょに喜べばよかった。


 親に何と言って出てきたのだろうか。まさか、名前も知らないおじさんと行くとは言えまい。子を持つ親なら心配するはずだ。素直に話して許可されるとは考えられない。彼女も応えにくいだろう。自分が変なことをしなければ、良いだけだ。それにこれが最後になる。

「ところでどこを受けるんだ?」

 地元の国立大学をあげた。難関大学だ。この時期に机に齧り付いてなくて大丈夫なのか。

「昨日、模試の結果がかえってきたんです。見てもらえますか」

「見てもよいのか」

 リュックサックを肩から外し、折りたたまれた紙を取り出した。最初から見せるつもりだったのだろう。そうでなければ、わざわざ鞄に入れてこない。

「どうぞ」

 センター試験も個別試験もすごいことになっている。志望校がいくつか書かれているが全てA判定だ。この点数なら東京の最難関大学でも合格圏だ。

「もっと上を目指したほうがいいんじゃないか」

「学校の先生にも薦められました。でも、東京に行く意味がわからないんです。好きなことをするのだって自宅のほうが便利じゃないですか。勉強ならどこでもできるから」

 誰でも同じことを薦めるに決まっている。だが、本人が決めたことならそれでよい。都会への憧れを持つ者は多い。遊び目的でわざと地元を離れる学生もいる。どちらの気持ちもよく分かる。大学生にだけ許されるモラトリアムを享受するかどうか自分の意思次第だ。彼女自信が決めれば良い。


「油断するなよ。安心もダメだ。全部終わるまでは楽をしてはいけない。ずっと気を引き締めておけ」

「厳しい。親よりも厳しいです」

 試験中に泣き出す子は珍しくない。下痢や腹痛はざらにいる。緊張が極限まで達し卒倒したり、過呼吸をおこす生徒もいる。脅すわけではないが、気持ちの準備を怠ってはいけない。どこまで張り詰めていられるか。現役生は今から伸びる。彼女の表情が強ばる。掌をぎゅっと握りしめ奥歯を噛みしめる。

「ありがとうございます。自分は大丈夫かなって思ってました。こいうのを油断って言うんですよね。ちゃんと頑張ります」

「偉そうなことを言うようだけど、去年は受験生の親だったから。いろんな情報が入ってきたんだ。模擬試験の結果をみれば、十分頑張ってる。これ以上、頑張らなくていい。受験に対して、謙虚でいなさい」

「頑張らなくていい?」

 目を大きく開いて首をかしげた。

 総じて教師や親、回りの人たちは頑張れ頑張れと口にする。まるで、それしか言うことがないように。スランプに陥っている子、精一杯努力している子は、これ以上頑張れと言われても、もうどうしたらよいか分からなくなる。彼女の成績はすごいとしか表現できない。このままのペースで良い。いかに自信を持たせてあげるか、過信ではなく、自信を。解らないことを認められる謙虚さを。




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