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春へと続く物語  作者: さしあたり
10/11

イースト書房再び

 どうやって家に辿り着いたか覚えていなかった。

 気が付くと部屋の中は真っ暗だった。机に突っ伏して眠ってしまったようだ。枕にしていた手の甲がべっとりと濡れている。上目蓋と鼻の下がヒリヒリするきっとひどい顔をしているだろう。丸いごみ箱がティッシュの山になっている。

 わたしが悪いのだ。あの時、何を言われても強引に抜け出すべきだった。つい合格したうれしさと御崎さんに会えるうれしさが重なり、優しくなりすぎた。高校の三年間、彼女たちとの付き合いを思い出せば、どちらが大切なのか考えるまでもない。悔しい。情けない。どこかでカッコをつけていたのかもしれない。恥も外聞も関係ない。遮二無二飛び出せば・・・・

 掌に握りしめられたスマホがバイブする。誰だろう?

「もしもし」

「希唯? 希唯よね。どうしたのその声」

 声がかすれていた。喉が痛い。たぶん大声で泣いていたんだと思うけど記憶がない。

「あんたもしかして?」

 未来は勘の鋭い子だ。わたしが御崎さんに会えなかったと、すぐに感じ取った。

 ようやく身体を机から起こした。宮の上のデジタル時計が四時を示している。頭がまったく働かない。部屋の中を見回す。

「未来、ゴメン。会えなかった。わたしが悪いの」

 震える声でそれだけ言うのが精一杯。言葉が繋げない。嗚咽がこみ上げてくる。自分が情けない。


「すぐに行く」


 こんな時間でも来てくれた。未来は電車で四駅分を自転車を飛ばして来てくれた。彼女は部屋に入るなり、わたしを両腕で思いっきり抱きしめた。あまりに勢いが良かったのでバンって音が聞こえた。どれくらそうしていただろうか。

「希唯、諦めちゃだめ。まだやれることはある」


 御崎さんとわたしが歩いていた道で待つ。ホテルへ宿泊客の問い合わせをする。彼女の言う通りだ。まだ出来ることはある。

「あんたの感じた直感が当たっていたら、絶対にもう一度会える。私もできる限りつき合うよ」


 未来と家族全員で朝食を食べた。

 わたしの記憶が飛んだときのことを、母がいつもの淡々とした口調で教えてくれた。昨日の夕方、帰って来るなり部屋に鍵を掛けて閉じこもり大声で泣き叫んでいた。滅多に帰ってこない父はどうしていいか分からず困り果てていた。婆やが何度も心配して部屋の外から声を掛けてくれたが、全然、覚えていない。

 当然、両親からは奇怪な行動の説明を求められた。正直に話すべきかどうか、熟考していたら未来が上手く説明してくれた。昨日でなければ会うことが出来ない大切な人がいた。友だちに引き止められて待ち合わせ時間に間に合わず再会が果たせなかった。嘘はついていない。父はまだ何か言いたそうだったが、母がすんなり納得してしまったので問いただされることはなかった。母は娘のわたしでも何を考えているのか分からないことが多々ある。飄々としているようでしっかり見ていたり、まったく関心を示さず記憶に留めていないこともある。



 その日の夕方から未来とわたしは行動を開始した。二人で御崎さんを探す時間は少ない。彼女は春から東京で一人暮らしを始める。前期試験の合格発表日から入学式までの期間は幾ばくもない。入学手続き、アパート探し、引っ越しの準備などで忙しい。わたしも彼女ほどではないが、余裕がない。

「二人で別々に探した方が効率がいいんじゃない?」

「ばか、私は彼に会ったことないんだよ。どうやって見つけるの」

 お馬鹿ですみません。

 最初に御崎さんが滞在していたホテルを尋ねた。個人情報は教えられないの一点張りで取り付く島もない。規則だからの一点張り。


 限られた時間で、やみくもに探しても拉致があかない。ホテルの前で待つのが一番効率的だが、もし別のホテルに泊まっていたら全く無駄になる。一か八かの掛けには出られない。わたしは周辺を探し、未来がホテルに入るそれらしき人へ『御崎さんですか』と片っ端から声を掛ける案が出たが、治安の悪い町なのでリスクを考え諦めた。

 未来が少ない情報を元に推論してくれた。御崎さんとわたしがいつも待ち合わせていた時間は午後六時。5時就業だとすると、会社からイースト書房まで一時間でこられることになる。勤務先から近いホテルを選んでいると仮定する。電車通勤にしてもバス通勤にしてもかなり近い場所に職場がある。車は使ってないないようだった。徒歩の可能性もある。というよりも徒歩が一番可能性が高い。職場から最寄りの駅へ、電車に乗り数区間走り下車してホテルまで一時間以内に収めるのは難しい。御崎さんはいつも私服だった。もし職場で着替えるのならさらに時間が掛かる。ホテルを頂点の一つとして駅、バス停を結ぶ三角形の範囲を中心に探す。時間は十七時から二十時までの三時間。

 改めて思い知る、御崎さんのことを何もしらない。


 未来といっしょにいられたのは、四日間だけだった。入学手続きと部屋探しで東京へ行ってしまった。また戻ってくるけど、一人暮らしの準備に忙しい。わたしだってすることはいろいろある。

 今日からわたし一人。

 ホテルのフロント係をしているお姉さんが裏口から出てくるを見掛けた。制服と私服では全然、雰囲気が違う。見た目が怖い遊び人みたい。駆け寄って尋ねるが、やっぱり教えてくれない。カウンター越しに話すときと、言葉使いが極端に違う。


 時間だけが過ぎていく。大学が始まれば、今のような時刻に帰ってくるのは不可能だ。今日は母といっしょにスーツや鞄を買いに出かけている。

 母は楽しそうに娘に着させる黒のスーツを物色している。いっしょに買い物に来たのは何年ぶりだろうか。小さい頃、よく百貨店や母のお気に入りのブティックに連れて行かれた。まるで着せ替え人形のように、次から次へと、矢継ぎ早に試着させられた。わたしの服を選ぶ母は、いつも目をキラキラと輝かせ満面の笑みを浮かべていた。

 本来なら長く辛い受験生活が終わり、期待に胸を弾ませているはずなのに、浮かれた気分になれない。日中は特別できることがないが、時間を無駄にしているようで焦る。すごく心細くなる。もう二度と会えないのかもしれない。不安な気持ちを抑えつけようとして、勝手に蛇が鎌首をもたげる。涙腺が緩み涙が今にも零れそう。

「最近、ずっと浮かない顔だけど何かあったの」

「いいえ。大学生活が上手くいくかどうか不安なだけです」

「正直な子ね。嘘ついてるのすぐにわかるわよ。未来さんが話してくれた『大切な人』を探しているのでしょ」 抑揚のない口調で話しかける。心配している感じではない。ハンガーからジャケットを外し、わたしにあてがい小首をかしげる。

「会えないなら会えないでいいじゃない。縁がなかったのよ。でもね、もしちゃんと見つけることができたなら、その縁は本物だから大切にするのよ」

 本物の縁ってどういう意味だろう。

 彼に会えると信じていた。自分が頑張れば、大学に合格すれば、会いたくて会いたくてどうしようもない気持ちを押さえつけることができた。切なさに締め付けられた胸を、期待が膨らませてくれた。でも今は期待よりも不安が大きい。心臓が徐々に消えてなくなっていく。全部なくなってしまうと、ぽっかり胸に穴が空く。苦しいのではなく、身体の芯から力が抜けていく。


 入学説明会の帰り、母と別れイースト書房前で彼を探した。何も考えることができず、ぼんやりと人の流れを眺める。目の前を行き交う人々を見ているようで見ていない。見ていないようで見ている。音が聞こえない。白黒の映画を無音で見ているよう。

 誰かがわたしの肩を揺すった。顔を向ける。知らない男の人の口が動いている。別の男の人がわたしの腕を掴み引っ張る。この人たちは何をしているのだろう。わたしはここを離れる訳にはいかない。御崎さんが来るんだから。男が肩に手をまわし、この場所から引き離そうとする。踏ん張れない。力が入らない。どこへ連れ行くの。やめて、わたしはここにいなくちゃいけないのに。

「あんた、なにやってんの!」

 キーンとした女性の金切り声がした。ホテルでフロントしている怖い遊び人のお姉さんだ。わたしに纏わり付いていた男性二人に啖呵を切り追い払った。

「あんたねえ、この辺がどんなとこか知らないの。フラフラしてたら浚われてやられちゃうよ。それとも何? ナンパされたいならほっとくけど」

 耳から声が入ってくるが理解できない。お姉さんの言葉もさっきの二人も同じだ。頭の中には『御崎』という名前しかない。

 あれっ、御崎さんの顔が霞んでる。彼の顔が思い出せなくなっている。うそ、そんなはずない。絶対忘れるはずないのに。いつでも思い出せたのに。四六時中、頭の中に浮かんできて、困るくらいだったのに。

「泣いてるの?」

 えっ。下目蓋に指を当てると一粒の涙が頬をつたった。

「ちょっと、勘弁してよ」

 お姉さんと近くのファースフード店に入り、事情を説明した。お姉さんは、絶対に内緒だからと念押しして、御崎さんのことを教えてくれた。今年になってホテルの客層が変わりガラが悪くなった。宿泊客同士のトラブルが頻繁におこり、既存客が徐々に離れていった。御崎さんは『待っている人がいるから』と言って、最後までホテルに滞在しつづけたが、安全が補償できないといって、支配人が説得し他のホテルへ変わってもらったそうだ。宿泊客ならフルネームはもちろん、住所も電話番号も簡単に調べられるが、数ヶ月前のデータは権限のある人しか引っ張り出せないらしい。

「私には好都合だけどね、窮屈だったから。ちょっとくらい客層が悪くなった方、おもしろいじゃん」


 御崎さんは、ここにはいない。全身から精力が抜け出してる。気力も体力も使い果たした。もう何も考えられない。もう会えない。


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