9.居候
目の前の人は、おじさんたちに捕まってたところを助けてくれた。名前も教えてくれないこの人は、恐らくアンダーをよく知る人物で、晒し系配信者であることを本人も認めている。掃除屋であることに間違いないのだ。
そして、私を帰らせようとしている。
「え?7時間って、、、うそでしょ?」
「嘘じゃない。ちゃんとバスで来たの」
「バスぅ?いつ乗ったんだよ、なんで補導されなかった」
「夜行バスで来た。ついさっき到着して、だからまだアンダーにも行ってない」
質問に答えても、掃除屋はまだ疑っているようだ。そこで私は、自分がいた地域の名前を出す。大まかに言えば、アンダーに行くまでに山をひとつ越える必要がある、そんな場所だ。
掃除屋はスマホでバスの到着時刻を調べる。「まじかよ……」と呟いたのは私が乗ってきたものを見つけたからだろう。しかし、私に向き直って言った。
「それでも、みんなと違うようにする訳にはいかない」
「警察につきだすってこと?せめて見逃してよ」
「見逃すことはできない。なんでここにいる?どこのホテルをとった?親戚の家でもいい、今すぐ帰れ。そんで明日の朝には地元に戻れ」
「なんでよ、まだ何もしていない。私の憧れにも、世界にも触れてないのに、なんで」
「ここに何しに来たんだよ、アンダーに」
同じ質問をされた。兄さんにも、星波にも、金髪のお姉さんにも。
私を見失わないための冒険で、もっと言うならむしろアンダーの方が精神的な居場所のはずだった。
「……自分を見失わないため」
「おっさんに薬飲まされるのがか?体で稼ぐことか?それがお前なのか?」
「そんなんじゃ」
「アンダーはそんな所だ」
私が憧れているアンダーは、身の破滅を招くだけの地獄だと、掃除屋は言っている。言い返せないことが悔しい。たしかにアンダーはそういう所だ。
それでも、私の中のアンダーは違う。写真と言葉で訴えて、自分の可能性を広げ、存在意義を示している人で形成されている。ゴミ拾いをしている姿を撮られることもある。声の聞くことの出来ない、インターネットでしか会えないような人。
冷えた目で見てくる掃除屋を見上げて睨む。
「私の中のアンダーは、ミラで形成されている」
サングラスの奥が揺れた気がした。
「だから、私の世界に触れるために、ミラに会いたい、我慢してきた分、居場所に戻ってきたい」
いまさら、目的が定まってきた。ミラの意思を応援したい、実現したい、力になりたい。
「アンダーを、変えたい」
掃除屋の眉が動いた。驚いてるようだ。
「ほんとうか?」
「本当。あなたが何もしてくれなくても、私はひとりでミラを見つける、助ける」
いま、決心した。
「さっきみたいにお前を襲うやつがいるかもしれない、俺は助けない」
「それでも、私は戦う」
1か月で、ミラに浸る。会えなくてもいい、必ず彼女の夢を実現に近づける。
「だから、私を帰さないでほしい……」
いつの間にか泣いていた。この声も届いていたのか分からない。
掃除屋は、下を向く私の顔をしゃがんで覗き込んだ。サングラスをとって、白い髪が動く。
「分かったから。それが本当なら、見逃す。今はホテルにでも帰れ。条例だからな」
「……ホテル、取ってない」
「はぁ?嘘だろそんな中途半端なことあるか?」
「本当なの。準備してる間、ホテルを予約する勇気もなくて。そのままにしてたら忘れちゃって。空いてるネットカフェとかでいいやって思って。今も、そこに向かう途中だったの」
彼はすっかり呆れている。そして、申し訳なさそうにもしている。
「運が悪かったな、補導のせいで警察が周辺のネットカフェも厳しく見回りしている。行っても地元に戻るだけだ」
期待していた道が閉ざされた時の衝撃は大きい。頭が回らない、やっぱり進んでホテル予約しておけばよかった。
「行くあてあるのか?」
涙のあとが風に吹かれて寒い。行くあてなんかないだろう。この地域に親戚などいない。
「ないなら別に」
突然ルルルルルと電話が鳴った。掃除屋じゃない、私だ。紗奈だったらどうしようと不安になりながらも画面を見ると、兄さんだった。目の前の彼に断ってから電話に出る。
「もしもし、兄さん?」
『心、どうして親のは出ないんだ、すごく母さんたち心配してたんだぞ』
「ごめんなさい、でもバスの中だったし」
珍しく冷静じゃない兄さんに驚く。
『そんなことはどうでもいいんだ。それより、今どこだ?補導されてないか?』
ニュースを見たらしい。身の安全を伝えると、ほっとした様子だった。
『母さんたちはよく寝れてないみたいだぞ、俺は今コンビニだ、家で電話すると大騒ぎになると思ったからな』
「そう、母さんたちにも何もないよって伝えておいて」
『ああ。そうだ、ホテルにはついたか?寝泊まりするところは聞かなかったなと思って』
ギクッとなったが、声だけだ、バレることは無い。
「家族にも話してねーの?ホテルくらい取ってくれたんじゃね?」
『ん?お前誰かといるな?知り合いか?ひとりで泊まるんじゃ』
バレた。
しっかりしている人かと思ったら、案外うっかり者のようだ。うっかり者もとい掃除屋は、やべっと言うように口を手で押さえている。
兄さんに嘘はつきたくない。ちゃんと本当のことを言うべきだ。
「うん、いるよ」
隣にいる彼は「正気か?」と顔で表現してくる。
『そいつ大丈夫なのか?』
「だいじょうぶ。さっきたまたま会って、今も外にいる」
嘘は言ってない。
『外?心、ホテルは?』
「予約し忘れた。ネットカフェも警察が見回りしてるから入れない」
『うーん』
兄さんは何か考えているようだった。無言が続いたあと、兄さんの方から解決策が出た。
『ちょっとビデオ通話に切り替えてくれないか?お前が一緒にいる人を見たい』
「見てどうするの」
『安全だったら泊めてもらえばいいんじゃないか?迷惑かもしれないが、仲がいいなら大丈夫だろ』
「いや、でも仲がいいとは言ってないし」
顔を見て判断も失礼すぎる。掃除屋は仕事のこともあるし、知らない人の兄になんて顔を見られたくないだろう。優しい兄だか、優しくするのは妹だけだ。
ダメ元で掃除屋を見ると、掃除屋は電話を貸せ、というように手を出してきた。用水路に捨てられんじゃないかと身構えると、「ちゃんと返す」と小声で言ってくる。あまり信用ならないのでマイクだけを向けた。掃除屋はむぅっとなりながらも兄に話しかける。
「もしもし、お電話変わりました」
『妹と一緒にいる人ですか?お手数ですが、顔を見せてほしく』
「嫌です」
想定通りの反応だ。しかし、私から携帯を奪い取って笑みを浮かべた。
「泊めることはできます」
30分後、私は掃除屋の知り合いだという人の車に乗っていた。
「日比って言います、よろしくね」
「心です、適当に呼んでください」
運転しているマッシュルームカットの男の人は、掃除屋のような配信者らしい。日比さん、優しそうな人だ。
「っていうか、心ちゃんほんとに大丈夫?あんま会ったことないんでしょ?ほぼ知らない男に連れられて不安じゃないの??何されるか分かんないよ?任せちゃうお兄さんも危ないよねー」
前言撤回、日比さんはやばいやつだ。
「日比、何もすんなよ。こいつの兄との約束なんだ。何かしたら、お前でも警察に突き出すから」
私の隣に座る掃除屋が言う。日比さんは「冗談だってー」とへらへらしている。
「アンダーで油断しないためだよ」
と言う日比さんを半眼で見る掃除屋。なぜこんなことになったかというと。
「とりあえずあんたが寝泊まりするとこ見つけた方がいいかと思って」
日比さんを待っている間に言われた。
「どういうこと?」
「お前は衣食住の整った環境が必要、お兄さんは妹に安全でいて欲しい、あと家族に説明しやすい方がいい。俺は顔が広まりたくない。ビデオ電話でスクショなんかされたら終わりだ」
「私はいいの?」
「アンダーを変えるんだろ、そういう意思があるやつは、俺を晒すメリットがないって分かってるはずだ」
認めてくれたということだろうか。大それたこと言ってしまったが、いまさらやっぱやめますなんて言えない。今度こそ、なにかされてしまう。
兄と掃除屋が決めたことはこうだ。私は、兄のサークルの仲間に泊めてもらうことになっている。それは両親に説明する用だ。掃除屋の知人には、いとこという設定である。日比さんにも、申し訳ないがいとこの設定だ。さらに、
『いとこって設定なら、1か月くらい一緒にいてもおかしくないでしょう』
ということで、私はホテルをとることが無くなった。掃除屋は「え、まじで言ってるんすか」と拒否気味だったが、改めて考えると、自然に親戚であると振る舞わなければならないという点から、しぶしぶ承諾した。
『心になにかやってみろ、お前をころ』
あそこで私が電話を切らなければ、兄は無駄な火種をまくことになっていた。
思い出してふぅーっとため息をつく。掃除屋も同じことを考えていたのか、「ほんとシスコンだよな」とつぶやいた。
そんな感じで、私はこの掃除屋の家に居候することになったのだ。