27.ごはんとMORE
今日は1日ゲームで遊び尽くした。ずっと家にいたはずなのに、へとへとってどういうことこれ。けど私としては、洗濯もできたし思っているより有意義だったと思う。
「行こっか」
玄関先で宵くんが言う。これから夕ご飯の買い出しだ。目立つ格好を避けるため、宵くんは上下黒のジャージに、縁の厚い伊達メガネをかけている。私も、部屋着に黒のパーカーを羽織った地味なスタイルだ。宵くんは髪を後ろでお団子にし、黒のキャップを被る。
「ちょっと待って」
私はスーツケースから歩きやすいサンダルを取り出す。さすがに、毎日ごつい靴では歩き回れない。財布とスマホだけ持って、出発する。
こっちでも夏は暑い。パーカーは必要なかったかも、とむしむしする中反省する。
「今日ご飯何にするの?」
「どーしよっかねー」
宵くんは歩きながら隣でつぶやく。全身ジャージに分厚いメガネでも決まっちゃうのって、もはやこの人の宿命なんだろうか。
「今日は俺が料理できることを証明しなくちゃだから、凝ってるやつ作ろっかな」
どうやら昨日のことを根に持っているようだ。配信者って、まともに自炊するんだ。
「臨むところだ」
しばらく歩いて到着したのは地下にあるスーパー。ここから駅にも繋がっているらしい。
「買いたいお菓子とかある?」
カートを持って宵くんは聞いてくる。
「自分で買うよ。それより食費って」
このままだと奢ってもらうことになってしまう。二人で話し合った結果、その日の終わりに半分を宵くんに渡す、ということで着地した。
「心ちゃん律儀だねー」
「せっかく持ってきてるから」
使わなきゃもったいない、という気持ちがある。
カゴを持ちながら歩く宵くんについて行く。
「明日は何する?」
うきうきで聞いてくる宵くん。カゴの中をのぞくとひき肉や玉ねぎなどが入っている。
正直、明日何しようとか詳しく決めていなかった。明後日にミラと会うことや、今日聞きたいMOREのことも。私は「考えてなかった」と率直に口に出す。
「宵くんは何か予定ある?」
宵くんは目線を下げて、少し笑った。
「……俺さ、いつも明日のこととか考えないんだよ」
それは、配信者としての「掃除屋」ではなかった。
「朝起きたら適当に情報集めて、現場行ったり、配信したり。リスナーがくれるお金でずっとやってたんだけど」
宵くんはそう言ってにこっと、明るくこっちを見た。
「今日はなんか、明日の話、したかった」
なんだろう。宵くんの顔は、かつてなく明るいものに見えた。
ノーマルな信頼関係の構築を数段すっ飛ばしてる私を相手に、こんなにくだけた表情ができるんだ。
そう思うが、それは私も同じだった。ふにゃっと笑う宵くんにつられて、私も笑ってしまう。
「もしかしてハンバーグ?」
「よく分かったね」
そんな会話をしながら、買い物を終わらせ、家に帰った。周りから見たら、どんな関係に見えただろうか。兄妹?カップル?
私たちは、ただ同じ志を持っているだけだ。アンダーを変える、それだけ。
私があの時あそこにいなかったら、そもそもバスに乗ってなかったら。宵くんが、あそこを通っていなかったら。そうじゃなかったら、出会ってなかった。
だからこそ、こんな感じに振る舞っていていいのかと不安になる。家族のように、カップルのように。
その不安を打ち破ったのは、お風呂からあがってからだった。
「心ちゃん、今日MOREの話しなかったね」
ゲームは楽しかった。宵くんが作ってくれたハンバーグはおいしかった。お風呂に入る時も昨日と同じだった。
「……聞いても、よかったの?」
その間ずっと、宵くんはMOREのことを考えていたんだろうか。
ダイニングテーブルでコーヒーを飲んでいる宵くんは、「もちろん」と手招きをする。
乾いた髪を背中に追いやり、私が隣の椅子に座ると、頭にポンッと、手を置かれた。
「覚悟あるならね」
柔らかい声とは裏腹に、宵くんは真顔でこっちを向いた。
「……あるよ」
MOREは、とあるSNSでずっとメンバーの募集がされていた。投稿主は指定した時間に書いてあるURLをクリックしてという指示を出していた。その時間になるまで、URLは機能していなかった。ユーザーのほとんどがいたずらだと思っていた。まさか、異空間に飛び込むとは、誰も想像していなかっただろう。
私はしなかった。その時間に紗奈に遊びに誘われたのもある。初めて出来た高校の友達で、自分を押し殺しながらも、高校で上手くやっていくために、この子について行くしかないと思っていた。
今思えば、半端な覚悟からできなかっただけだ。けど今の私だったら。
「今だったら、私はMOREのサイトにクリックできる」
まっすぐ宵くんの瞳を見つめる。
「サイト、ねえ」
宵くんは冷めた目をして目を逸らした。初めて会った時と同じ。けどそれは、今度は私に向けたものじゃないようだ。
「そこまで知ってるんだ」
話が早い、と宵くんは膝をこちらに向ける。
「心ちゃんは何が知りたいの?」
人形のように整った顔がこちらを向く。私は静かに口を開いた。
「……宵くんが知ってること。全部教えてほしい」
「アンダーを変えることと関係ある?」
「ない」
「そう」
知っていることを教えてもらったところで、私にできることは何もない。MOREを終了させることも、協力することもできない。
宵くんが知ってる情報はきっと、宵くんだからこそ知り得たものだ。つまり、普通私は知ることは普通許されない。
けど、私は覚悟があるから。
「MOREのことを知ってアンダーを変えることはできない。けど、MOREよりも早くアンダーを変えたい」
るうちゃんみたいな人がいなくなるために、アンダーを壊さなければならない。それは、アンダーの人間を含んでいるMOREにはできないことだ。
「……そう」
さっきよりもゆっくり、宵くんは返事をした。
「……まず、聞きたいことから、いい?」
「どうぞ」
このままだと聞かなきゃ何も教えてくれなさそうなので小さく手を挙げて質問する。宵くんもコーヒーを一口飲んだ。
「昨日の配信で言ってたけど。MOREで分かってるメンバー6人。教えてほしい」
こんなの、宵くんの界隈にいない限り聞けないだろう。昨日の配信をみる限り、リスナーは知っているようだった。私自身、MOREのことはニュースで出てきたときにしか見ていない。あれだけ憧れに近い世界だったのに、情報を追いかけることはしなかったのだ。
「いいけど」
そう言うと宵くんはスマホを取り出して何かを入力した後、画面を私の方に向けてテーブルに置いた。男の子の写真だ。
「まず一人目。びび」
さらさらしたブロンドのマッシュヘア。黒マスクをしていて伏せ目がちな顔。見たことがない人だ。
「びびは未成年だけどちょくちょく俺の手伝いに来てた。自分自身も配信してるけど、俺と違って晒し屋じゃない。あとは、たまに家に来てたよ」
なるほど。びびくんは直接交流があったのか。だとしたら、びびくんづたいに色んな情報を知っているかもしれない。
「二人目は葵 綴。目立った情報はないけど親が捜索願を出してる。MOREの企画者と面識があるらしいからMOREにいることは間違いない」
宵くんがスクロールして見せてくれた写真は女の子だった。パッツン前髪に胸の辺りまである三つ編みが二つ。こちらも見たことがない。
「表に出てない情報だと、綴の親はだいぶ熱心な教育ママだって。MOREに行く理由も無いわけじゃない」
そこまで言うと、宵くんは「心ちゃんも飲み物飲みなよ」と言うので私は立ち上がり冷蔵庫を開ける。食生活が破綻していないことが、中身からしてうかがえる。
「何飲んでもいいから。俺ちょっと風呂入ってくる」
話の途中なのに?と振り向くと、宵くんは自室に入ってしまっていた。しばらくして着替えとタオル、そしてシューを持ってくると、宵くんは猫だけを床に置いた。
「話が長くなりそうだから、途中だけどごめん」
それなら仕方ないか。宵くんが考えていることはいつも分かるわけじゃないんだ。私が頷くと、宵くんはにこっとする。
「その間に他の質問でも考えといてよ」
宵くんはお団子にしていた髪をほどいて、洗面所へと向かった。