22.話し合い1
どうしよう、まずは今日のお礼から始めるべきか。
隣の部屋から話し声が聞こえる中、私は推しへ送る文面を考えていた。
ミラは「お疲れ様です」から始まる文が嫌いだ。いつかの生配信で話していた。本人曰く、労いの気持ちが感じられないらしい。だからそれは却下。時間帯の挨拶的に、こんばんはから始めることにする。
絵文字は使いすぎない方がいいだろうか。1回に送る文量は?長すぎるのも鬱陶しいだろうし、かと言って何回も通知が来るのも嫌だろうし。
こんなの悩んでいるうちに宵くんの配信が終わりそうだ。ドアを確認する。幸い、まだ話してるので大丈夫そう。おしりが痛くなってきたので、シューを下ろしてソファーの上で体勢を変える。家主が見てないので、ソファーに寝転がってみる。うん、いい感じ。
床に降ろされたシューは背中に乗ってきた。背中を踏まれてるって感覚がする。シューはそのまま丸くなってしまったので、私はもう動くことができない。
よし、今度こそミラに送ろう。私はとりあえず挨拶と今日のお礼を書き込んだ。絵文字は少なく、でも感謝が伝わるように。推しにメッセージを送るのは初めてではない。投稿には全部してた。でも、1対1とは訳が違う。私は何度も文章を見直し、送信ボタンを押した。
既読はすぐに着いた。えっ。私は声を出さないように気をつけながら、入力中という画面を見守る。しばらくして、ポツンっと送られてきた。
「どういたしまして」、いかにもクールなミラらしい。どんなことにも動揺しないんだろうな、勝手に想像して私は感心する。続いて、「で、私の町来るの?」と送られてくる。そうだ、返事をするために連絡をしたんだった。私はすぐに行きたいことを伝える。ミラは、3日後なら空いていると教えてくれたのでその日に会う約束をした。
「待ってる」というミラの文に私はにやけながら、嬉しい気持ちを文にした。ミラはそれに既読する。既読無視とかじゃない。変にスタンプを送らないところが、ミラらしくて大好きだ。
本当は叫びだしたいけど我慢する。トーク画面をしばらく見つめ、にやにやする。3日後。私がアンダーに来てから4日目になるだろうか。そう、不思議なことに、宵くんと出会ってから、まだ1日経っていない。
本当に今日は濃い一日だった。まだ終わってないけど、本当に色んなことがあった。まさか、宵くんと会ったのも、ミラに会ったのも、今日だ。
ふと、るうちゃんのことが気になって、私は約20時間ぶりにネットニュースを開いた。アンダーの情報しか追ってない私のアプリは、私の興味に合うものばかりを提供してくる。一番最初に出てきたのは、やはりるうちゃんの件だった。アンダーにとってはこんなこと日常茶飯事だが、今日は訳が違った。記事によると、アンダー同士の話じゃないことだ。るうちゃんの知り合いはああ言ってたけど、一般のおじさんが飲酒を勧めたらしい。るうちゃんの職場先の取材で分かったことだ。相変わらず、アンダーの記者は行動が早い。
ネットニュースは、記事以外にも、晒し系配信者の動画もある。生配信のアーカイブから、2分ほどのものを見つけた。イヤフォンも億劫なので、字幕を見る。
この配信者は宵くんと違い、結構危険だ。自分自身の顔は隠すこともしない。時には際どい部分まで晒し上げる。変な人から変なリストに入れられてもおかしくない、そんな人だ。これだけ体を張っても再生回数が少ないのは、やはりアンダーの晒しネタは気持ちのいいものでは無いからだ。ただ、私は記事の背景がこの人のおかげでよく分かるので重宝している。
この動画によると、るうちゃんは病院で意識を取り戻したらしい。ほんと、どこから出る情報なのかと疑いたくもなるが、意外と病院までしつこく追っかけてたりするのだ。また、るうちゃんに飲酒を勧めたというおじさんは、特定できなかった。この人にしては珍しい。足跡が掴めないなんて。
おじさんは、どこに行ったのだろう。まさか、のうのうと日常に戻ってはいないだろうか。この配信者が掴めないことは、もう分からないのと同じだ。仕方がない、と終わらせれば歯切れが悪いが、人生全て分かるもんじゃない。
「随分くつろいでるようで」
ドアの方を見ると、ドアノブに手をかけて宵くんが立っていた。開ける音が聞こえないほど夢中になっていたということだろうか。配信の休憩中?私がパクパクさせていると、宵くんは自分の部屋の電気を消してドアを閉めた。
「俺もう配信終わったから、喋っていいよ」
「ごめん、横になって」
「気にしない。シューがそこにいれば仕方ないし」
私は姿勢を直そうと足を曲げると、シューは床に下りてくれた。
「じゃあ、話なんだけど」
「待って、宵くん先シャワー浴びてきたら?」
宵くんはまだお風呂に入っていない。配信で疲れてると思うし、と私が提案すると、私がお風呂に入る前と同じ表情をされた。
「気づかいの塊」
え、と言う私に「そうさせてもらうけどね」と、宵くんはまた部屋に戻って行った。
宵くんと再び顔を合わせたのは、30分後だった。その間、私はシューとうにゃうにゃしていた。
「ごめん、遅くなった」
宵くんは首にタオルをかけ、髪を濡らしている。私は乾かすように促すと、またあの表情をしながら従った。
結局、まともに話を始められたのは11時頃だった。ダイニングテーブルに2人、向き合う。シューはソファーで丸くなり、寝ていた。宵くんはコップ2つにお茶を注いでくれたので、ありがたくいただく。まず、私は宵くんが配信してる間にあったことを話した。宵くんは頷きながら聴き、「明々後日、29日か」とミラと会う日をスマホにメモしていた。
「俺もついてくの?」
「保護者って言っちゃったから、その方が自然なんじゃないかなって思うよ」
「あの人苦手なんだよな、俺の顔覚えようとしてきて」
「整ってるんだから見るのは仕方ないよ」
「それはそうだけど。ミラの見方がちょっとやだ」
美人であることは認めるんかい。そう思いつつも、やはり活動の方が優先されるべきだから、宵くんはミラとは会わないけどその近くでブラブラしてもらうことにした。
次の議題。私は聞きたいことが山ほどあるが、聞かせてばかりなのも少し気まずいので、発言権を彼に譲る。
「多分何言われるか分かってると思うんだけど 」
宵くんは前置きをして、こちらを見た。
「心ちゃん、気いつかいすぎ」
ああ、やっぱり。言われると思った。私にとって、これが自然なんだけどな。
「遠慮してるって、訳じゃないよ」
「分かってる。でも違うんだよ、もっと、初対面の時みたいに、見逃してくれって言った時みたいに」
宵くんはそこまで言って、口を閉じた。私が黙っていると、宵くんは首を少し傾け、覗くようにこちらを見てきた。癖だ。
「わがままでいいのにって思ってるんだよ。初対面だと本音で話せるのに、次からはそうじゃなくなるっての、分かる。けど、なにも気づかう必要なんかない。それが心ちゃんの人との関わり方だとしても、それは長続きしない」
宵くんの言う通りだ。私は、宵くんに、信頼し合おうと言っておきながら、紗奈に対する関わり方と、同じ方法を使っている。なんだろう、信じてない、訳じゃないけど、すぐ頼れる人が今、ここにしかいないから、嫌われるのが怖いのかもしれない。
「…無意識に、嫌われないようにしてるのかもしれない」
だから、宵くんを中心に動いているのかもしれない。
正直に言ったところ、宵くんはまた、あの癖をした。
「俺は対価で優しくするような人間じゃない」
首を傾げながらもまっすぐこっちを見つめてくる。そして、お茶を一口飲んだ。
「嫌なことは嫌だって言う。やりたいことはやりたいって言う。心ちゃんが気遣う時は、そのどっちでもない時でしょ」
言われてみれば、確かにそうだ。お湯を張っても張らなくても、どっちでもよかった。宵くんと話すのだってお風呂の前でも後でも、どっちでもよかった。でも、張らない方が、後の方が、宵くんは過ごしやすいのかなと思った。
「その優しさが迷惑だとは思ってない。でも、俺に無理させてもいいんだって頭の中に入れておいて」
私がうなずくと、宵くんはにこっとした。なんだろう、何か誤魔化しているようだ。
「俺だって心ちゃんになんか迷惑かけるかもしんないし」
そう言ってスマホの画面を見せてきた。
宵くんと私、そしてミラが救命活動をしている映像だ。今日の夕方、アンダーでるうちゃんを助けたときのものだ。遠くから撮っているようで顔はよく見えないが、動きはよく分かる。
「野次馬の一人が撮影していたのを配信者に流したらしい。ごんって知ってる?」
「知ってる」
宵くんと同じ晒し系配信者だ。界隈では最も有名な人らしい。
「ミラはもちろん、俺の顔も、一般人の心ちゃんの顔もインターネット上に晒されている。もとの映像がどれだけ画質悪くても、ある程度を推測できてしまうやつらも見ている」
私が画面から目を離すと、宵くんはスマホをしまった。
「巻き込んでごめん。迷惑かけちゃった」
目をそらし、小さな声で呟くように謝る宵くんは少年のように思えた。
そんなに反省しているようで申し訳ないけど、私はそんなに気にしていない。
「大丈夫だよ。あれは私の顔じゃない」
今の、本来の私は、そんな顔していない。
「そうだとしても、メイクは完全には誤魔化せない。次同じ顔を作ったら、知らない人に声をかけられる可能性だってある。それに、ネットに載った以上、2度と消せない。デジタルタトゥーだ」
宵くんは真剣な顔を向ける。心配してくれてる。分かってるけど、私は自分を主張せざるを得ない。
「私はそんなにメイク下手じゃない。どうせ私の格好であること無いこと呟かれてるんでしょ、るうちゃんの友達だとかホストの男と同伴してたとか、偽善者ぶってるとかもっとひどいこと。そんなの気にならない。知らないやつらが、私の好きな格好に傷をつけるのは許せないけど。今のアンダーは私の好きなアンダーじゃないし、もっと言っちゃえばその女は本当の私じゃない。虚像に何言われようが本当の私は傷つかない」
好きな格好で何か言われるのは悔しいし悲しい。でもそれは私の好きじゃないアンダーから来る印象で、実は誰も私自身を傷つけることは出来ていない。メイクだって、私がどれだけ知り合いにバレないように努力したと思ってんの。鏡に映る自分が他人になるまで、どれだけ工夫したと思ってんの。
舐めんな。
息が荒く、いつのまにか私は立っていた。目の前には、目を見開き驚いた宵くん。私は机を叩いたようで、お茶が少しこぼれている。
「、ごめん」
私は冷静になり謝って座った。やりすぎだ。
どんな表情になっているか分からず、私は宵くんを見守る。彼は、彼の口角は上がらない。美人の真顔は恐ろしい。私は怖くなって目をそらし、下を向いた。
「もっとそう言って」
どんな意図があるのか分からず、困惑した。そっと宵くんの顔を見ると、さっきと表情は変わっていない。でも、怒っているようには見えなかった。
「もっと自分を出して。俺にぶつかって。自分の主張のために気遣いが無かった今の心ちゃんが、嬉しい」
まっすぐ見てくる。彼の瞳に吸い込まれる、いや、触れられる気がした。
「俺は心配だったの。心ちゃんが傷ついてんじゃないかって。俺が、心ちゃんに一生ものの傷を作ったって、後悔してた」
私は首を振る。宵くんもそれに頷き、続けた。
「でも、それが心ちゃんの本心なら、俺は安心した」
「でも、私は宵くんのことは心配してるよ、顔だって、宵くんの方が晒されない方が大事なんじゃ」
「俺だって気にしない。掃除屋として晒されてないんだし、俺もホストじゃないし」
宵くんがそう言うなら。私は「なら良かった」とお茶を飲んだ。
宵くんから、「他にはない?」と聞かれ、私は気になっていたことについて、やっと話すことにした。