20.気づかい
午後8時すぎ。私は部屋に戻って、お風呂の準備をしていた。
あの後、宵くんはこう言ってきた。
「もう風呂はいる?」
「宵くんの都合に合わせるよ」
私が答えると、宵くんは首の後ろをかき、いつの間に飲み終えたのかマグカップをキッチンに持っていくため立ち上がる。
「9時から配信あるって言ったじゃん?あれのために早めにはいって欲しいとは思う」
「いいけど…」
配信とどういう関係があるのだろう。首を傾げると宵くんはキッチンに立ちマグカップを置いた。
「配信者の事故映像とか見たことある?動画に異性の私物が映ってたとか、親の声が入って実家暮らしがバレたとか」
「聞いたことある」
「俺はそれが怖い。特にドライヤーの音ね」
私は納得した。宵くんは配信者の中でも特に個人情報を出さない人だ。私という存在が宵くんの配信中に出てきたら、宵くんはもちろん、私にも何かしらの影響を受けるに違いない。いとこという設定ではやり過ごすのは難しいし、何より名前すらない彼がいとこを紹介するはずがない。不自然と思われる。
「分かった。9時までに乾かす」
「助かる」
宵くんはそう言って洗い物を始めた。「それも洗う」と私が飲んでたコップを見たので私も移動してシンクに入れる。
「後で風呂洗うからちょっと待ってて」
家政夫みたいなことも言ってきたから私は断った。
「いいよ、宵くんが入るの遅くなるだろうし、私シャワー浴びる」
遅い時間に入る湯船って、お湯張った時間から遠いほど冷たい。高校受験の頃を思い出す。
宵くんは「ふーん」と目線を上げて考え、私の方を向いた。泡だらけのマグカップの横に同じくもこもこしたコップが並ぶ。
「なんか子どもらしくないね」
「へ?」
「気づかいの塊というか」
スポンジを置き、水でマグカップを流し始める。「まあその気づかいに甘えようかな」と宵くんは言うので私は「お湯の張り方とか明日教えて」と言って準備をするために部屋に戻った。
子どもらしくない、ってどういう意味なんだろう。気づかい?そりゃあするでしょ、家主は私じゃないから。
バスタオルと着替え一式、洗顔料を持って部屋を出ると、宵くんはちょうど自室に戻るところだった。
「俺部屋で作業してる」
「分かった」
あと、と宵くんは付け足す。
「配信終わったらちょっと待ってて」
さっきの他に話があるんだ、と私は確信した。
「うん」
うなずくと、宵くんは部屋に戻った。私も洗面台を使う。
洗面台と脱衣所は同じスペースになっていて、ついでに洗濯機もある。大きな鏡に、洗面台は色々置くものが多い。鍵もしっかり着いてるので、分かってはいるが一応かけておく。
しかしこんなきれいで広いなんてどこかのホテルと間違えるほどだ。私は服を脱いでひとつにまとめる。ホテルだとよく大きな鏡に映る自分で少し恥ずかしくなるけど、今もその状態に近い。
お昼にもシャワーを借りたけど、それとこれとは違う。私はシャワーを浴びて髪を濡らす。お昼には気にしていなかった髪を鏡で見て内側の長い方を手に取った。水で濡らしても毛量の違いはよく分かる。
「…2学期はこんな髪型出来ないだろうな」
ぽつっと独り言をつぶやく。校則とかの問題じゃない。いつもつるんでいる仲間的に、このサブカルチャーな髪型は「ない」と見なされる。それこそ、アレンジの効く綺麗なロングヘアがいい。
でも、今目の前に映る私は高校生の心ではない。特殊な髪型、人形のような服装。アンダーにいる人間だ。まあ、宵くんの家に居候している時点でアンダーというカテゴリには含まれないけど。
すっぴんの私はそれこそなんにでもない。アンダーでは絶対ないし、JKとしては成り立つかもしれないがそれは私じゃない。
でも宵くんはこっちの方がいいって言ってくれた。変な人。
シャンプーやリンスを借りて、シャワーで流す。その間、宵くんについて考える。
接触が気になることについてやっぱり話しておこう。宵くんの配信が終わったらどうせ話す機会がある。その時、一緒に話そう。
よく水を切って床や壁の髪の毛も流す。辺りを確認して、私はお風呂から出た。
宵くんが予め用意してくれていたバスマットに乗り体を拭く。
そういえば、気づかいについて宵くんは私に言っていた。それも気になる。宵くんの方こそ十分すぎるというか、慣れていないのかな、なんて思う。いやいや、居候させ慣れてますっていうのも困るけれど。
やることだけやればお風呂なんてものは短い。服に着替え、タオルで髪を拭きながら脱衣所を出てみる。リビングに合う数字のない時計は8時40分を指していた。
洗面台の前に戻り、お昼使ったようにドライヤーを取り出す。熱気がこもって暑いので、ドアの鍵を開ける。コンセントをさしてぶおーと髪に温風を当てた。
宵くんが配信をしている間、何しよう。私にはこれといった趣味がない。ミラ、は今日もう会えちゃったし。
そう、ミラに会えちゃったんだ。画面越しでしか見ることの出来ない彼女に。現実で、会って、そして話をした。私の、アカウントを聞いてくれた。メモしてくれた。
あ、返事をしよう。それだ。
私は時間差でやってきた感動に足をじたじたさせる。鏡に映るにやけた自分と目が合う。
「ふふふっ」
笑みまでこぼれてしまう。ふふふ。
何気なく横を見ると、壁に体重をかけて宵くんが腕を組み、立っていた。私は固まる。親指だけが動くのを許され、ぶおーを止めた。
「なに、嬉しそうじゃん」
「……そんなに?」
「これは今日イチのにやにやだな」
「ちょっと、思い出し笑いしてた」
宵くんは斜め上に目線を上げて「あー、ミラね」と思い出したかのように言った。
「ドライヤー終わったら教えて」
それだけ言うと、宵くんは戻ってしまった。
「……うん」
何しに洗面台に来たのだろう。まあなんでもいい。私は内側の長い髪を手に取り、タオルを使って軽く絞りつつ乾かした。ぶおー。
ホテルとか、試供品とか、いつも使わないシャンプーやコンディショナーを使うと髪はとんでもなくさらさらする。というか、宵くんシャンプーの好みが私と合う。
特に流行にはのっていないはずなのに、オシャレな人だ。彼女でもいるんだろうか。あのビジュアル、このセンス。いても全然おかしくない。
あれ、もしいるんなら、私けっこう迷惑じゃない?
ドライヤーを切り、持ってきたブラシで髪をとかす。全くと言っていいほど、私は恋人の有無を気にしていなかった。そう、彼女と言わず、彼氏とかいるなら、私ってここにいていいの?
脳内がぐるぐるする。ドライヤーのコンセントを抜き、私は元の位置に戻した。さらさらになった髪は、内側の長い方をヘアクリップでひとまとめにする。自分が来ていた服や洗顔料をまとめ、洗面所を出た。
こういう時、聞くチャンスがあるなら聞いてしまう。私は貸してくれている部屋に荷物を置いたあと、報告も兼ねて宵くんの部屋のドアをノックした。
「宵くん」
「ん?ああ、ドライヤー終わった?」
「それもそうなんだけど、聞きたいことあって」
ただいま8時50分。時間は微妙だけど、宵くんはドアを開けて、部屋から出てきてくれた。ついでに、シューも抱っこしている。
「なあに」
「彼女っている?いや、彼氏でも」
宵くんは目を丸くした。いきなり過ぎたか。私は事の経緯を説明した。話していくうちに、宵くんは驚きから納得の顔に変わっていった。
「なるほどね。いないよ、何かと不利だし」
そう言ってシューのあごを撫でる。シューは目を細めてゴロゴロと鳴いた。
「そっか、なら良かった」
「ちなみに心ちゃんはいるの?」
「いないよ、いたら泊めてってお願いできない」
「まあそうだよね」
宵くんは少し首を傾け、目を合わせてくきた。宵くんの癖だ。顔面が強いことが最大限に生かされる。
「心ちゃん、何かと気い使いすぎ」
すると宵くんは手を私の頭の上に置いた。ぽんぽんと、頭を撫でる。
「また終わったら話そう。シューをよろしく」
頭から手を離し、両手でシューを私に渡してくる。私はされるがままに受け取った。
「……分かった」
返事をすると、宵くんはにこっと笑って部屋に戻った。
シューが下からこっちを見てくる。ふわふわの毛並みが動く。私はぎゅっと抱きしめた。
なに、今の。頭ぽんってされた。少女漫画のような振る舞いにびっくりしてしまう。
腕の中でシューがうにゃうにゃ鳴いたので抱きしめすぎたことに気が付き床に下ろした。
私はぼーっとソファーに移動し座る。
元々宵くんはボディタッチが多い方だけど、これはイレギュラーだ。あの瞬間、宵くんの視界には私しかいなかった。
顔が良いから少しドキドキしているだけ、なんて思いたい。けれど、下心が微塵もないことがよく伝わってくるからか、私は不快感を感じなかった。
シューは動揺している私にお構いなく近づき、膝の上に乗って丸くなった。私は申し訳ないとは思いつつも、シューを抱き上げ、自室としている部屋に入る。
スマホとイヤフォンだけ手に取り、シューを撫でながら私は配信の終わりを待つことにした。