19.電話しよっか
「親に電話、しよっか」
にこっと微笑みかけてくる宵くん。対して私はすっかり忘れていたのと同時に、不安になる。
親になんて言われるだろうか。兄さんの様子からして、私が出たことにものすごく焦っているだろう。戻ってこいと言ってくるだろうか。
「俺は今お兄さんの理解しか得られてない。親から見たら、兄と繋がりがあるだけの誘拐犯だ」
しかも、その繋がりさえ嘘からできている。
「どうしても、連絡しなきゃだめ?」
「心ちゃんから兄に言ったからな、それだけを今信じてるのあっちは」
宵くんはまっすぐこっちを見てくる。初めて会った時と同じ声色。私の誤解や慢心を正すための声。
私のためであることが分かったから、堪忍した。
「分かった。連絡する」
ポケットからスマホを取り出し、母さんに電話をかける。2コールもしないうちに、ガチャッと音がした。
「……もしもし」
『心?なんでずっとかけなかったの』
怒鳴ることも無く、静かに、でも説教する時と同じ口調で、母さんの声がした。母さんの声の奥でガタガタッと音がする。恐らく父さんか兄さんだろう。
「ごめんなさい。心配かけて、ごめんなさい」
『なんで、連絡してこなかったの』
「……ずっと一人で来てみたかったの。突然、何も言わなかったのは本当にごめんなさい」
母は黙っている。なんで聞いたことを答えてくれないのか苛立っているだろうか。しかし、こちらにも気持ちの整理というものがある。
「正直、みんな放っておいてほしかった。せっかく、時間があるんだから」
高校の友達と多く繋がっているSNSのアカウントも、こっちに来てから一度も開いていない。
『そっかあ』
こういう時、誰のせいと泣き叫ぶようなことはしない。私の母さんは、もっと私を自律させてくる。
『じゃあやっぱり、帰ってこないのね』
「……2学期までには、ちゃんと帰ってくるよ」
『なら私はいい。問題は』
問題は、と聞いて、反射的に宵くんを見てしまう。当の本人は、ぱっちりした目をそのままに首を傾げる。「どうしたの」と目で話しかけてくる時によくする仕草だ。ずっとみていると癖が分かってしまうものなのか。というより、ずっとこんな顔のいい人と過ごしたら果たして通常に戻れるのか。まあなんでもいい。
『お兄ちゃんから聞いてるけど、やっぱり心配なのよ、その、心を泊めれくれてるって人』
母さんは少し小さめな声で話した。大丈夫、聞こえてないよ。
「話したい?」
私が尋ねると、母さんは電話の奥でうーん、とうなった。肯定のうーんだ。
宵くんに目配せをし、私はスマホをスピーカーモードにする。宵くんは「やっぱそれがいいよな」と言うように困った顔をして笑った。そして、態度を作る。
「こんばんは」
『あ、こんばんは、凛音くん、よね?心がお世話になってます』
「こちらこそです。ひとり暮らしなので話す相手がいるのは僕としても助かります」
ちょっと待って、ここでも日比さんがかわいそうな目にあってる。本人の知らないところで。宵くんを見ても、申し訳なさの欠片もないっぽい。日比さんもっとこの人をこき使っていいと思う。
まあそれはさておき、敬語なのも、一人称が僕なのも、何もかも新鮮だ。そして、この対応が意味が無いことがすぐに分かった。
「心の兄とはどういう関係なんですか?」
母さんが訊きたかったのはこれだろう。宵くんがどれだけいい人格を演じたとしても、母さんは対応を変えなかったに違いない。疑っているんだ、兄さんが上手く説明出来なかったからだろう。臨機応変、とは少し遠い性格だ。母さんはすぐ異変に気づいたんだ。
そう、宵くんを、試している。
「……」
私は黙る。変に庇えば疑念が増すだけだ。
すると宵くんは、いかにも大学生らしい、爽やかな口調で答えた。
「……善くんとは、大学で同じサークルで、同じ講義を取っていたこともあって仲良くなりました。授業で社会問題であるアンダーの分析と課題の解決策を話し合ったり、友人も交えてよく食事に行ったりしますね、だいたい僕が誘うんですけど」
私は驚きが母さんにバレないよう口を押さえた。
兄さんの名前を知ってる。どこまで話を合わせているんだ。がっつり、作りこんでいる。
兄さんもきっと母さんから話を聞かれているだろう。
自然に微笑みを浮かべる宵くんは、友達の親に挨拶する姿そのものだ。
『……善から聞いています。紹介してくれたオムライスのお店が気に入っているそうです』
「そうですか!僕も特にすきな場所なんです」
宵くんと兄さんが作り上げた嘘の記憶を、母さんと語っている。その自然さに感心しながらも、私はどこか騙していることに大きな罪悪感を覚えた。
『本当に善の友人だったんですね。すみません、ずっと疑っていました。心を誘拐したんじゃないかって』
「無理もないですよ、善くんはあまり喋る方じゃないですし。心さんが今回の旅行でホテルを取り忘れてなかったら善くんの話の中に出てこなかったと思います」
爽やかに宵くんは笑う。電話からも『そうねえ、善はそうだものね』と和やかな雰囲気が伝わってきた。
『そうよ、心』
いきなり名前を言われて私はつい姿勢を正す。
『何ホテル取り忘れてるのよ、凛音くんに迷惑かかってるじゃないの』
「ごめんなさーい。これから食器洗いとか手伝うつもり」
なんとか明るく流したが、やはり少しモヤモヤした。
「心さんと善くんのお父さんにもよろしくお願いします」
宵くんは電話を終わらせるため父さんの話をした。母さんはそんな宵くんに気づかずに『実はずっと後ろにいるのよ、善と一緒に』と教えてくれる。
『代わる気なんてないけどね』
母さんはお茶目にそう言った。電話の奥から小さく、『代わってくれよー』と父さんの声が聞こえる。私はスピーカーモードをオフにして、スマホを耳に当てた。
「じゃ、そういうわけなんで、り、凛音さんには迷惑かけないよう気をつけます」
『なんかあったらちゃんと言ってね』
私は母さんの心配する声に驚いた。宵くんを疑ってはないにしろ、やはり私のことが気になるらしい。
「もちろんだよ。じゃあね」
母さんからの『じゃあね』を聞いて、私は電話を切った。
途端に、宵くんははあ〜っと息を吐いた。
「まじ危なかった。一生しないからこんなの」
「嘘つくとか慣れてると思ってた」
「慣れてるとかじゃないよ。俺の良心が傷つくの」
良心。母さんという悪くない人を騙すことに対して、宵くんも罪悪感あったのか。
「……私も、けっこう罪悪感ある。嘘までついて、兄さんにも手伝わせて、そこまでして私は家族から離れていいのかなって思って」
私は俯き、真っ黒なスマホの画面を見つめる。自分が望んでしたことだけど、こんな風に嘘はつきたくなかった。一方で宵くんは、良心とは言いつつもけろっとした様子だ。怒りすら湧いてくる。しかし、宵くんはそれを鎮めるように私の頭に手を置いてきた。
「ほんとにすればいいだけだよ」
「へ?」
何を、と思って顔をあげると、宵くんは私の髪をくしゃくしゃっとして口角を上げた。
「いつか、心ちゃんのお兄さんとご飯にいく。オムライスのうまい店も紹介する」
「それでいいだろ」と無駄にませた顔で言ってきた。たしかに。それでいいのかもしれない。宵くんと、それと兄さんが良ければの話だけど。
「……そうだね」
正直、その発想はなかった。ずっとこの嘘を隠し続けるんだって思ってた。
宵くんは、私にない感性を持っている。そして、それは私を驚かせる。
たぶん、この先もずっと。