18.身内
「しんみりすんなって。俺は心ちゃんがいる間嫌なことはしない。約束する」
宵くんは私を見てそう言った。あ、空気重くしちゃったかもしれない。
「ありがとう。大丈夫だよ」
私が笑って答えると、宵くんは「そ」と言って私をドリンクバーに行くよう手で促した。
席を立ち、ドリンクバーの前で止まる。コップをセットしオレンジジュースを注ぎながら私は考えた。
本当に、宵くんを信じていいのだろうか。いや、もうとっくに信じてる。そうじゃなくて、もっと、仲良くなっていいのだろうか。優しさは充分と言いつつ、やっぱり話そうか迷う。
嘘はつきたくない。というか、きっとつかれる側も嫌なはず。
宵くんは良心で私の面倒を見てくれてる。まあ、兄さんの約束もあるけど。1ヶ月、よく知らない人を家に上げる。やっぱり、隠し事は良くない。
オレンジジュースを持って席に戻ると、宵くんはメニュー表と一緒に挟まってたまちがいさがしをしていた。
「一緒にやろうよ」
と言って差し出してくる。2人に対して垂直に、覗き込む形で置いた。
「ぼうしの形が違う」
「花がひとつ多い」
苦戦しつつもあと1個の所まで追い込んだところで、私のパスタが届いてしまった。先食べなよと言うので私はそれに従う。
手を拭いて両手を合わせ、いただきます。
私が頼んだこじゃれたパスタはベーコンやほうれん草が上に乗ったツヤツヤした感じだ。チーズも乗っかっている。フォークとスプーンを使ってパスタを巻き、口に入れる。
「スプーン使うんだ」
「外食する時はそうした方がいいかと思って」
「お上品なことで」
間もなく、宵くんのハンバーグもきた。宵くんはハンバーグの真ん中にナイフを刺し、ふたつに切り分け、私を見る。
「半分あげる」
「なんで?宵くんの分少なくなるよ」
「そういうのはどうでも良くて。心ちゃん、昼も肉食ってないから」
たしかに。お昼はコンビニでおにぎりとパスタサラダを買った。
「でも半分は多いよ」
「4分の1」
「2口ちょうだい」
宵くんは「2口か」と言いつつ、「いいよ」と承諾してくれた。2口分を切り分けて、私がパスタの上でいいと言うとのせてくれた。
宵くんは、自分の分を食べ始める。
「カロリー取れても栄養取れてないってこと、意外とあるんだからな」
家庭科の先生みたいなことを言う。私はあつあつのうちに1つ目を食べた。新型栄養失調だっけ。習ったようなないような。
「うまっ」
つい口に出してしまう。宵くんは口角を上げた。
「だろ?俺もう3回食べてる」
「自炊しないの?」
偏ってるとカロリーとれても栄養取れてないことあるかもよ、と言うと宵くんは口を尖らせ、
「料理できますー」
と変顔。美形はどんな顔しても美形なんだ。もはや妬ましい。
「心ちゃんの胃袋つかんで握り潰せちゃうくらいうまいもん作ってやるよ」
「望むところだ」
お手頃価格のパスタとハンバーグは、思った以上に美味しかった。いつも食べれる環境なのに。食べる人で変わるのかな。
「そうだ」
「なに?」
ほとんど食べ終え、隣の席も空いた頃、宵くんは口を開いた。
「俺9時から配信あるから、部屋開けちゃだめね」
「うん」
「信頼してないんじゃない、分かっておいて」
「うん」
その後も飲み物を持ってきてまちがいさがしの続きをした。結局あとひとつは見つかったが、間違いといっていいのか微妙な感じだ。
飲み物も何回が取りに行ったあと、宵くんとお互い食べた分だけお金を出し合い、セルフレジで会計を済ませた。このまま電車で帰るかと思いきや、宵くんはにかっと笑ってこっちを見た。
「凛音、呼んである」
駐車場へ向かうと、むすっとした顔で日比さんは車に乗っていた。
「電車で帰れって言ったよな??」
「やっぱ歩いて回ると良くないなって思って」
「ふーん。まあいいや、乗りな」
日比さんに促され、私たちは車に乗り込んだ。
出発してまもなく、日比さんが宵くんに話しかける。
「つけられてた?」
「あー、ちょっとアンダーの方で騒ぎに巻き込まれて。動画も拡散されてる」
「されてないんかい」
「いや、びみょーな感じ。アンダーにいたやつらを、店でも見かけたってだけ」
日比さんは唸りながらも運転を続ける。全然分からなかったけど、宵くんはそういうの気づいちゃうのか。きっと、言わないだけで日比さんを呼ぶ決定的ななにかでもあったのだろう。
「今度焼肉」
「おっけい」
運転席とその後ろの席で、2人は高校生のように話す。男子高校生だったら、こんな感じで楽しく話せたのかな。性別の違い?きっと、差別的な考えなんだろうけど、もしそうだったら、もっと悩まずに生きられたのかなって、思う。
しばらくして、宵くんの住むマンションに着いた。
「ねーえ」
車を停めてもらったとき、日比さんは私に話しかけてきた。
「なんですか?」
「掃ってどんな感じ?」
掃、と言われてすぐに反応出来なかったが、この人との共通の知り合いは1人だ。その人は今、車の中で話してたらしい知り合いから貰ったお米を取りに行っている。先ほど、「心ちゃんちょっと待ってて」と言われた。日比さんにおすそ分けするそうだ。
「結構優しいですよ」
「へえ、やっぱ親戚と他人とだと印象変わるんだ」
そうだ、この人にはいとこという設定だった。
「優しくないんですか?」
「まあね、こき使ってくるし、全然優しくない。本名教えてくんないし、バチバチイケメンなのに写真写ってくれないし」
日比さんはいじけてるようだ。写真写ってくれないのはクズな彼氏かよと言う悪口はそっと胸にしまう。
「日比さんのこと、信頼してると思いますよ」
日比さんはこっちを向く。「なんで?」と目で訴えてくる。
「個人情報を隠すのは、怖いんだと思います。きっと、一生ものの対人関係を知らないんじゃないかって」
何言ってるんだろう。まだ出会って2日も経ってないのに。何いとこっぽいこと言ってるんだろう、分かったような口聞くなって、私なら思う。
でも、私も分かる。一生なんて、信じられない。あの子も、あの子も、ずっと親友とか言って、今は紗奈よりも疎遠で。紗奈も、星波も、あの人も。いつまで仲良くいられるか分からない。期限がある前提で、ずっと考えている。
「日比さんの話、してくれますよ。いつも一部に、いるんじゃないですかね」
いつか、名前も教えてくれる。その時は、一生の友達を知った時 。
私もいつか、知ることができる。
「へへ、心ちゃんって思ってるより大人びてんね」
「日比さんは思ったよりおしゃべりですね」
日比さんは驚くけど、「よく言われる〜」と思い当たる節がいくつかあるようだ。
もしかして、宵くんが話さないんじゃなくて、日比さんが話しすぎるだけでは、とも思いつつ、黙っておく。
そんな話をしていると、
「俺の心ちゃんと話しちゃだめー」
と宵くんが割って入ってくる。片方の腕で5キログラム程の米袋を抱えている。
日比さんは眉を動かし呆れた顔を作る。「へいへい」と宵くんから米袋を受け取り、荷台に乗せた。
「いつになく子供っぽいなー、掃」
「ここはもう俺のテリトリーなの、また送ってよ」
「次から金取ろうかな」
やっぱり優しくないというか、乱暴な扱いだなとは思うけど、日比さんは宵くんを送る気はあるようだ。そんなこんなで、日比さんは帰って行った。なんで日比さんに優しくない宵くんと交流するのか。日比さん側のメリットが分からない。
「あいつの敵はみんな俺が晒したから」
ああ、なるほど。
仲良くいる理由はあるようだ。しかも2人の様子からして、ビジネスじゃない。本当に仲がいいんだな、羨ましく思う。
家に着いて、綺麗な玄関に靴を置く。来客用でもふわふわなスリッパに履き替え、手洗いうがいも済ませる。部屋に戻って私はメイクを落とし、髪はクリップでひとまとめにした。服も着替えて、自宅から持ってきた部屋着になる。中学の時の半袖体操着だ。結局これが一番楽。
洗濯について聞きたくてリビングに出たところ、宵くんはキッチンに立ってコーヒーを作っていた。
「……結構リラックスしてんね」
「まあ一応1ヶ月住むわけだから。家だといつもこんな感じだよ」
「女子高生のリアリティが増すね」
そういう宵くんもウィッグを外して長い髪はヘアゴムでゆるくおだんごにしている。服も着替え、サラサラっとした生地の白い長袖に黒いスカンツを履いている。配信者のリアリティが増すとでも言うのだろうか。あまり気にせず私は口を開く。
「聞きたいことある」
「そうか、俺も言いたいことある」
言いたいこと?なんだろう。とりあえずキッチンが見えるようにダイニングテーブルの椅子に座った。
「先にどうぞ」
そう言われたので私は右手を上げ答える。
「洗濯とお風呂について聞きたいです」
「お答えしましょう」
宵くんはかけてない眼鏡をクイッとあげる仕草をした。意外とノリがいいな。アイスカフェオレも作ってくれた。ありがたくいただく。
「洗濯は別々の方が気が楽でしょ?タイミング被んないようにだけ気をつければいいよね」
「ありがたい」
「後で何個かハンガー渡す。部屋につっぱり棒あったと思うからそれにかけて 」
洗濯問題はスムーズに解決した。問題はお風呂だ。同じ湯船に浸かるのか。そもそもそういうの大丈夫なの?
「水道代ガス代を増やしたくないってのが俺の意見です」
「湯船同じでもいいの?」
「俺は別に。銭湯とかだいたいそうじゃん。それこそ心ちゃんは?」
全く気にしないと言えば嘘になるけど、お金のことを考えればいちいちお湯変えるなんてことしたくないだろうし。
「……先入ってもいいですか……?」
「うん、いいよ」
宵くんは何気ない様子で返事をする。どこか引っかかっ出るかもしれないけど、可能性を疑うしかできない。
「あの、宵くんが嫌だとかじゃないの、」
「知ってるよ」
宵くんはコーヒーを持って私の向かいに座った。首を傾けて、笑いかけてくる。
「分かってるから、安心して」
「……うん」
宵くんは私の返事を聞いて、「じゃ、今度は俺の番ね」と話し始めた。