17.嫉妬
律儀にあいさつをして別れた私と宵くん。ミラのアドバイス通り、タイミング良くやってきた電車に乗った。
帰宅途中の会社員や観光に来ているのか老夫婦が1組、ホストと上手くつけ込まれている女の子などで、なかなかに混んでいた。私は入り口のすぐ近くにおっかかる。宵くんも真似をして閉じた入り口に体重をかけた。サングラスはかけっぱなし。腕を組んで私のいない方、左側を向いている。
ガタンゴトンと電車は揺れる。
「どこに行くの?」
「次で降りる」
こっちを向いて、宵くんは答えた。
徐々に電車が減速する。宵くんが姿勢を正し、私も真似をすると、おっかかっていた方のドアが開いた。宵くんは私の腕を引っ張って降りる。
改札をスマホをかざして通り抜ける。宵くんは手首を掴んだままだ。
あまり考えないようにしてたけど、ミラと話してる辺りから接触が多い気がする。行く過程は仕方ない。受け入れたのは私だ。
気持ち悪いとか、そういう感情じゃなくて。ただ、お互いに恐れていたって話すだけで、簡単に信頼関係は作れるものなのか。
少なくとも、私はそのタイプじゃない。
駅を出て、宵くんは腕を離してくれた。
街灯と、ビルの明かりに包まれて、夜景の中にいることを実感する。
前で進む彼を、呼び止める。
「宵くん」
「アンダーは、そういう所なんだよ」
出会った最初と同じ、低く、重いトーンで、振り返り、私を見た。
動揺していた。たしかに宵くんは動揺していた。
なんで、とか思わなかった。我慢していたんだ。心の中で密かに。動けなくなった私の前でも、ミラと話している間も。この人はずっと動揺を隠していた。隠していたと言うより、状況が落ち着いて、表に出たのかもしれない。
私に恐れていたって言った時のように。
晒し屋だからって、慣れてる訳じゃないんだ。たしかに、あんな出来事が、配信内容で習慣化して欲しくないだろう。
「ミラのことじゃない。倒れた女の子のことだ。ああなる可能性が、あの子だけにあったんじゃない」
うつむき、サングラスは光を失う。
つまり、私にもあった訳だ。お酒じゃない。普通の、大量の市販薬を。誰も助けてくれなかったら、誰もそこを通らなかったら。
宵くんが、そこを通らなかったら。
私は、飲まされる側、倒れる側だった。るうちゃんと違って、助けもなかったかもしれない。るうちゃんを見た時に抱いた、現状に対する嫌悪感が再び湧き上がるのを抑える。
でも、だからこそ。
「だからこそ、変えなくちゃいけないんでしょ?」
私は、宵くんの隣に並んだ。
「私は助けてもらった。るうちゃんもきっと、助かってる」
宵くんのおかげで、私も、救う側に立つことができる。
怒りを抑えて、冷静になれる。
だから安心して。あなたが見せた動揺を、私は無視しない。
宵くんは、顔を私の方に向けて固まっていたが、サングラスを少し下にずらして、くしゃっと笑った。
「やっぱ、心ちゃんには敵わないわな」
歩いてきた道に背を向け、今度は2人横に並んで、歩き出す。
「俺行こうと思ってた店あるんだけど、心ちゃん要望ある?」
「私は私でお金出すから、学生に優しいとこで」
「いや俺出すよ」
「私出すから!さすがに持ってきたお金も使いたいよ」
「なんか学生らしいな」
私の意図を汲み、宵くんの候補の中からイタリア料理店になった。チェーン店で地元にもある、高校生にやさしいところ。駅から近く、すぐに到着した。
ごはん時で混んでいたが、席にこだわりがないと順番待ちの表に丸をつけておくと、すぐに名前を呼ばれ、2人席に通された。壁側の席で1人は固定された他の席とひと続きになっている椅子に座る。宵くんの顔バレを防ぐため私がその椅子に座る。
「ヒビって表に書いたよね?ちょっと日比さんを使いすぎなんじゃ?」
「じゃあ代わりに凛音って呼ばなくていいよ」
「代わりにって……」
宵くんが作った凛音という名のホストの設定は、駅に着いた辺りから無くなっているような気もする。
そんなことは気にせずメニュー表を開く宵くんの顔に目が行き、話したいことを思い出した。
「サングラス、室内だと不自然だよ。ミラもいないしとったら?」
「顔知られないようにするためだよ」
周りの人に、だと思う。私に目線も向けずに答える。そして店員が持ってきた水を一口、口に入れた。
「宵くんは壁向いて座ってるんだから、顔見るのは私だけだよ。隣にいても宵くんの半分しか見えないし」
宵くんはゴホッと咳き込み、「半分ってなんだよ、もっと言い方あるだろ」とむせながら笑った。
「てかミラ関係ある?」
「おおありだよ。ミラが顔覗きこんだとき、私を間に挟んでサングラスしたじゃん。照れてたんでしょ!?」
宵くんはぽかんと口を開け、サングラスを少し下げる。ぱっちりとした両目が私を捕え、そして細くなる。
「照れてる?俺が!?」
ひゃひゃひゃと笑う宵くんは今日一の爆笑っぷり。私は驚くしかない。
「そんな笑う?」
「だって、俺がっミラに照れてたって、思ったんだっ」
「タイミングがタイミングじゃん。じゃあなんであの時かけたの?」
宵くんが涙目になりながら目線だけ上げる。「うーんと」と、今度は目を伏せた。
「観察?されてたからね」
「観察?」
私が聞き返すと、宵くんはメニュー表のページをめくり、「自分の推しって他人に分析されたくないと思うけど」と前置きをした。
「あの人と話してる時さ、こっちを見てるはずなのに目が合わなかったんだよ。顔、覚えようとしてたかもなって思う」
「何のために」
「意味はない。多分、クセなんじゃない?俺も、仕事的によく観察するかもな。まあ、あっちは無意識だろうから、俺的に不都合なだけで。とりあえず、隠しておこってかけただけ、別に照れてねーよ」
宵くんて、そんなこと考えるんだ。
「嫉妬すんな」
「し、してないし!」
「俺これで」
話の流れを無視して宵くんは期間限定のソースがかかったハンバーグセットを指さす。「先書いとく」といって注文用紙と紙を手に取った。
私もメニューを開き、地元でいつも食べるパスタにしようと思ったが、そのとなりの、バジルがのったこじゃれたものを頼むことにした。
「プリンは食後に」
「俺ティラミスにしよー」
とんとんと決めていく。店員に紙を渡した後、セットについていたスープを取りに宵くんは席を立った。ひとつ、初めて会った時と違う部分がある。スマホを机の上に置いている。
スープと、ドリンクバーでアイスコーヒーを持ってきた宵くんに聞いてみる。
「なんで信頼出来るの?」
「またその話ー?」
宵くんは席につく。サングラスは外して机に置いた。呆れられたかと思いきや、丁寧にも宵くんは人差し指を立てて1を表現する。
「まずひとつ。心ちゃんにも信頼してもらいたいから。お兄さんとの約束もあるからね」
中指も立てて2をつくる。
「ふたつめ。仮に心ちゃんが俺を晒したとしても、俺は心ちゃんを晒せる」
共有した互いの情報のことだ。お互いに、脅しあっている。
「どうせなら仲良くしたいじゃん?」
「たしかに」
信頼せざるを得ないってことか。じゃあ、奢るとか言ってくれたり、優しくしてくれるのはなんで?
「私のこと酷い目に合わそうとか、思わないの?」
宵くんはごほっと咳き込む。飲んでいたアイスコーヒーが気管に入りかけたっぽい。
「、なんでそんなこと考えるかな。思わないよ。それを嫌悪した立場でこの仕事やってんだから」
「なんで?」
「仮に思ってたとしても、行動には絶対移さない。心ちゃんを傷つけたところで俺にメリットはないし。どした?なにか心配?」
疑われて嫌な気分なはずなのに、真正面から答えて、心配までしてくれて。
「どうして、そんなに優しいの」
首を傾げて、宵くんは笑った。
■■■
うらやましかった。心ちゃんにあんなに慕ってもらえてるミラが。
「うらやましいからかな。ミラみたいに、頼って欲しいからかもね」
ミラみたいに、じゃなくて、ミラよりも。
心ちゃんは「充分だよ」って、目が潤んでいるけど。
俺は、前向きで、すぐ成長する心ちゃんが、眩しいんだよ。会ったばかりなのに、俺しかここで頼れなくて、赤の他人なのに、俺だって信じられなかったのに、手を差し伸べてくれた。
アンダーを変えなくてもいい。隣にいて、安心して欲しい。頼って欲しい。
俺が依存してるほどに、依存して欲しい。
絶対に、話す気なんてないけど。