14.邂逅
声がしたのは、ミラらしき人物がいたビルの近くだった。ヘラヘラした人が歩いていたグループ だ。
さっきまで向かおうとしてた方向に、人が集まってくる。私だってつま先を向けていたが、自ら動き出すことは無かった。人々が集まっている。 足と足の間に、長い、色の薄い髪が見えた。
本当に倒れている。動いていない。
怖い。
人が、目の前で動かなくなっている。死んでし まう。
震えが止まらない、立っているのもやっとだ。
隣りにいる宵くんは目線だけをこっちに向け、 無表情に口を開く。
「行くぞ」
私の腹に手を回し、持ち上げて走った。
人をかき分け、仲間らしい若者が揺さぶっているのを止める。とっくに腰の抜けた私は、近くで座り込むしかなかった。
「てめーらなにスマホいじってんだ。お前らが動画撮って拡散することが救命に繋がると思うなよ」
宵くんは野次馬の輪を見渡して叫ぶ。大半は驚き、慌てて輪から外れ逃げていく。そんな中宵くんは両手で倒れた女の子の心音を確認していた。
「お前が何もしないだけで人ひとり死ねるんだ よ」
宵くんは言ってもなお動画を撮り続ける男の腕を掴んだ。
「お前は救急車呼べ」
男は深刻さを理解し、刻むように頷きながらスマホを操作して耳に当てた。
「あんたはAEDもってこい。お前ら2人も探しに いけ」
近くにいた3人にも指示を出す。最初に指名さ れた女はスマホをしまい走り出したが、あとの2 人は顔を見合わせ、動くのを躊躇っていた。
「おい、探」
「探せっつってんだろ」
女の子の衣服を緩め、心臓マッサージをしながら再び2人に宵くんが呼びかけた瞬間、ロングウルフの女の人が2人のうちの片方の肩に手を置 き、強引に開いた。
「あんたら2人がそこに突っ立っている今、こいつを殺しにいってるんだよ。動けよ!」
身長は変わらないのに見下すように見る女に萎縮し、急いで2人は走っていった。残った人々は、 女に戦き輪から外れる人もいれば、手元を見やすくするためかライトをつける人もいた。宵くんは受け入れたようで指示を出している。
夏で日が長いとはいえ隣のビルの影にまるまる入っている。
「邪魔だ。座ってんならどけろ」
女は私にも冷めた視線を向けた。目が合い、急いでその場から離れる。そして、先程倒れた女の子を揺さぶっていた茶髪の女に話しかける。
「どうしてこうなった」
「っ、る、るうちゃんが、今日儲かっ、たからっ て、お酒、買って、飲んで、え」
るうちゃんとは今宵くんに心肺蘇生を受けている人のことだろう。そして、見るとビール缶がそこら辺に何本かある。でも、飲めるような歳には見えない。ただ、アンダーではよくある事だった。
「急性アルコール中毒。分かってんだろこうなることくらい」
宵くんがつぶやく。汗をかき、滴が垂れる。ウ ルフヘアの女が代わるようジェスチャーし、それに応じて宵くんはるうちゃんと呼ばれる人物から離れた。問答も引き継がれる。
「儲かったってなんだ」
宵くんが茶髪の女に言う。躊躇いながらも、友達のためを思ってか全部話してくれた。
「る、るうちゃんはカフェで働いてる、それで、 今日はいつも指名してくれる人が来て、くれて。 チップもた、たくさんもらったらしくて、で」
「お前はなんで止めなかった」
「止めた!止めたけど、その指名、客が、三本くらいなんてことないって言って、それ、嘘だって言ったのに、言ったのに」
るうちゃんの友達はこれ以上何も言わなかった。ただうずくまって泣き続けた。
そんなはずないのに。やはりるうちゃんはお酒を飲める歳じゃないらしい。飲んでいい缶の本数が未成年にあるわけないじゃん。
るうちゃんも悪いけど、その指名客はもっと悪い。この子が言ったのはただのカフェじゃない。分かってる。それに行ける客側の年齢層も想像がつく。
やっぱり、アンダーは壊さなきゃ。アンダーだけじゃない、そこに繋がる周りも潰していかなければならない。やっぱり、アンダーは壊さなきゃ。アンダーだけじない、そこに繋がる周りも潰していかなければならない。
心の奥がすっと冷えていくのを感じる。宵くんはこの状況を変えるために活動している、そして、今も手遅れにならないよう救命している。
途中から現れたウルフヘアの女、私がさっき追いかけようとした人、見間違いなんかじゃなかった。 心肺蘇生を繰り返している目の前の彼女、ミラも、アンダーを変えるために行動している。
関わりなかった2人だけど、目的は始めから一 致していた。
私も、ミラを見て、決心がついた。彼女の意思なんて関係なかった。これは私とアンダーの戦いだ。
初めて推しと会った感想は、興奮とか尊敬とか、ファンとしての気持ちじゃなかった。SNSで見る美しい彼女、それを構成する材料は、今も目に写っている。もちろんファンとして会えて嬉しいって思ってる。でもそれは今は誰も望んでいな い。
ミラの頬にも汗が伝う。宵くんも本調子じゃないし、女の子から情報を聞き出している。
私も手伝わなきゃ。立ち上がり、ミラに近づく。
「代わります」
ミラは私には目もくれない、ただ靴で私であることを判断したようだ。
「お前はだめだ、そこの男に代わってもらう」
あまり信用されていない。当たり前だ。さっき目があった時は、さぞ役たたずに見えただろう。
「できます。習いました」
学校で。保健体育の実習は義務だった。
私はしゃがんで交代の体制を整える。
「止めたりなんかしない」
覚悟を持って言うと、ミラは私を見、「3、 2、1、はい」と体をよける。私も合わせて腕を 動かした。
どうやら、ミラは自分が疲れていることを考 え、私への不信感と比べた結果、交代を決意したらしい。
ちょうどAEDを持った人が帰ってくる。
救急車の音も聞こえてくる。近い。
AEDを受け取り、準備を宵くんがして、ミラは聞き取りにまわる。その間も、私はるうちゃんの心臓を押し続ける。
人生で心臓マッサージをするなんて考えてもいなかった。思ったよりも沈む肋骨。折れてる?宵くんが折ったのかもしれない。
彼は、想像してるよりも知識のある人間だ。年齢すら知らないのに。ミラもそうだ。アンダーの中では、高い教養があるととれる。
誰か、偉い人の子どもなのかもしれない。
そんなことを考えていたら、横から宵くんが肘でつついてきた。
「準備ができた。1回離れろ」
少し戸惑いながらも、両手を離す。
と同時に、アンダーの広場に救急車も入ってきた。縁石などの障害はなく、そのまま近くに止まる。
ガッシャン、とるうちゃんの体が動き、電気ショックが終わる。今度は心肺蘇生を宵くんに代わってもらう。
救急隊員が車から降り、るうちゃんを担架に乗せた。
「AEDは?」
「今1度使いました。気道の確保は怪しいです。すみません」
「いや、ありがとうございます。あとはこちらで処置を行います」
隊員と宵くんはいくつか言葉を交わした。彼らはるうちゃんと、その友達と共に救急車に乗り、走り去っていった。
心なしか、運転をしている隊員は疲れているように、また呆れているように見えた。
「こんなことで呼ばれたくないだろうに」
宵くんがつぶやく。そうか、今のこれはるうちゃんがお酒を飲まなければなかった。もっと言えば、ここにるうちゃんの居場所がなければ、カフェで働かなければ、全てなかったことなんだ。
「でも、今日は救命してくれる人がいたから、レアな光景だっただろうな。来てよかっただろ?」
「……光景とかじゃないし。というか、私たちも救命してたじゃん!」
宵くんは不謹慎にもそんなことを言うが、とにかく今はるうちゃんの無事を願うばかりだ。凛音としての容姿を整え、私の腕を引っ張る。
「よし、じゃ改めて」
「ん?」
「ミラに会いに行こう、心ちゃん」
名前、とかそういう問題は宵くんの指が全て持って行った。るうちゃんが倒れてた場所の近く、暗くて見えないがビルとビルの隙間に人差し指を向ける。
そういえばミラはいつからいなくなった?本当に、いつの間にか姿を消していた。でも、宵くんは知っていた。
宵くんが指を差した路地裏は、さっきウルフカットの女がいたところで、今も、ミラが壁に寄りかかって腕を組み、こっちを睨むように見ていたのだった。
まるで、私たちを、いや、宵くんを訝しむように。