13.無意識に溺れる
目の前で救えるアンダー、それが一体何を指すのか。宵くんはアンダーを変えたい。そして、私を手助けしてくれるのは私が宵くんにとって救えるアンダーであるから。つまり、
私を変えること?になる。
ちょっとよく分からない。私の何を変えるの?しかも、「救う」形で変える。アンダーから離してあげようってこと?必要ない。私の中にあるアンダーに近づけるために、この世界のアンダーを壊す。非常に身勝手で、ミラのためってことを動機に、言い訳にしている。彼女は、破壊まで望んでないだろうに。
「ほら、着いたよ」
日比さんに言われて車から降りたのは、アンダーに最も近い駅裏。私と一緒に、伸びかけた黒髪の男が降りた。
「日比も来ない?」
「行ったら俺らが連れ去ってるみたいに見えるじゃん。設定がおかしくなる」
黒髪の男、宵くんはいかにもホストというような格好をしていた。対して私はリボンやフリルのあしらわれた黒いブラウスとミニスカ。髪も巻き、目も原型をとどめない。靴だけは、たくさん歩くという理由から真っ黒なスニーカーを履いている。今の設定はホストと地雷系女子が歩いているという単純なもので、それにすれ違う人の勝手な想像が加わって色恋だとかホントのカップルだとかになる。ちなみに宵くんの黒髪はかつらで、アンダーを散策する時はいつも変装をするらしい。「ヘアウィッグって言え」。いや知らんがな。そんなやりとりを車内でした。
「今日は補導明けで目立ったものは無いと思うけど、気をつけんだよ」
日比さんはそう言うと、宵くんをじっと見る。
「なんだよ」
「いーや、帰りは電車にしてねー」
手を窓から出しながら車は走り去っていった。見えなくなった頃、横に並ぶ私を宵くんは目を少し細めて微笑んだ。
「んじゃ行こっか」
そして手を差し出してくる。こういう時、ホストに貢ぐ女の子の気持ちはどうなんだろうか。歩いてるあいだは自分だけのもの、お金を払ってるからこそ存分に楽しもうと思うかもしれない。少なくとも私ならそうする。
結果、私たちは腕を組んだ状態で歩くことになった。でも、やっぱ歩きにくい。それに、よく考えたら年齢も知らない。わたし的に、その辺は重要要素だ。
「変えてもいい?」
「設定に忠実に」
主語がなくても伝わったぽいけど、やむなく却下されちゃった。
「それにこの方が安全だからね」
彼の言葉にも主語がないけど、恐らく私のこと。兄との約束もあるだろうけど、どことなく嬉しそうだ。いやなにが?嬉しがる要素ある?
「俺は今掃除屋として来てないから、俺のことは凛音って呼んで」
「……ホストっぽいね」
わざわざ数時間のためにここまでするかな、話す度に宵くんがなんだか分からない。
「日比の本名」
「言っちゃっていいの!?」
「いいんじゃない?気にしないと思う」
突然に日比さんが可哀想になってきた。いや、ほんとに気にしないかもしれないけど。次会ったら飲み物でも買ってあげよう。
「ところであんたはなんて呼べばいいの?」
「考えたことない、偽名なんて」
「なら適当にココちゃんね」
「どこから取った?」
「心ちゃんの心から」
宵くんなりに配慮は徹底されてるようだ。私も配慮して、今決めた呼び名を使うことにする。
「凛音は何歳?」
「俺?それとも日比?」
私の配慮を返してください。
「俺。歳離れすぎてるんならこれやめたいんだけど」
私の左側で歩く男を見上げる。高身長と言われる高さじゃないけど、顔1個分は私より高い。彼は私と目を合わせて首を傾げる。「うーん」と唸って空いてる右手で私の頭をくしゃくしゃした。
「小学校はぜったい被ってんな」
何すんだと手を振り払って目に入ったのは、目を細め口を開けて笑う宵くんだった。ただイケメンなだけに、破壊力は凄まじい。
そして、今までで1番キラキラした顔を見た私は、あろうことか見とれてしまった。
すぐに気づき気持ちと髪を整える。相手は会って1日経つか経たないかくらいの人間。顔がいいだけ、所詮アンダーの人だ。分かってるのに、宵くんの核に触れるたび、嬉しくなってしまう。
だからこそ、出会う世界線を間違えた。アンダーに憧れる16歳としてじゃなく、例えば、同じ職場で、学校で、クラスで。例えば、幼なじみとして。アンダーの破壊願望を持った女子高生としてだけは、ときめいていい相手じゃない。
気持ちを押し殺して、飲み込んで、いつか1ヶ月後くらいに、吐き出そう。今は、人として、距離を詰めるだけ。
「ギリセーフかな」
「まあ俺が見込んだココちゃんの年齢にもよるけどね」
「あんなにJKJK言ってたんだからそのミスはないね」
「どうだか」
もっかい言う。私はこの人と血縁関係でもなければ数年にわたる友人って訳でもない。あっちがコミュ力高いのか、少なくとも私には上辺しかない。もしかして、ほんとに前はホストだったとか?
あれこれ考える私を横目に、宵くんは路地裏を気にしていた。
「さすが警察だなー」
その言葉が気になり私も見てみるが、何もない。スプレーで描かれた古い落書きが残されている。むしろ何も無いからこそさすがと言えるのかもしれない。
「いや、……のおかげかも」
聞き取れなかった。それほどまでにそれが宵くんにとってのひとりごとで、不意に出たものなんだろう。
「なんのおかげだって?」
だから私が聞き返した時、少し驚いていた。お前、俺の頭覗いたのかって感じに。
「いや、そういう団体がいるんだよ。路地裏で寝泊まりするような若者を追い出すやつらが」
「警察とは別なの?」
「むしろ警察とも対立してる。アンダーとも仲良くしてないし、上手くやれてるのは俺くらいだね」
新しい情報だ。警察とも、アンダーとも対立している存在。しかも何人もいる。んでもって、宵くんとは仲がいい。そんなもの、この人以外に伝手なんかないでしょ。
「その人たちは何が目的?」
「聞きたいことだらけっぽいな。あんまわかって欲しくないから曖昧に言うけど、アンダーの小さな王様を排除して、あいつらが大きな王様達になりたいんだよ」
小さな王様と大きな王様。なんとなくだけど、彼らの目的が分かったような気がした。多分、私の破壊とは相容れない。だけど、アンダーを変えたいって部分だけはひどく歓迎されるだろう。
「私は仲良くなれそう」
「俺もそう思う。けど初対面でそれはやめとけ」
宵くんは組んでいた腕を解いた。私が嫌だから、じゃなかった。元に戻した彼の左手はそのまま私の左肩に回った。そして、立ち止まり、私の顔を上から覗き込んだ。
「あいつらは見た目で判断しがちだからな。でも個性も人一倍大切にするから、仲良くなったら着てくといい」
また歩き始め、路地裏を確認して回る。「とりあえず今日は無理だな」とか言う声はよく覚えていない。
代わりに、アンダーが近づくにつれて名前と周りに気をつけろ、と冗談じゃない助言をもらったのは覚えている。
腕を組み直し、アンダー近くの通路を進み、最深部といえる、ビルとビルの間に空いた大きな空き地にやってきた。虎の銅像、ベンチ。
補導明けだと言うのに、数人のグループがいくつか地べたに座り込んでいる。5時過ぎだというのに、ヘラヘラと足元のおぼつかない人がいた。
「今日は俺以外と関わるなよ」
腕を組みながら宵くんは小声で忠告してくる。こくりと頷きながらも、私の目線はミラを探していた。SNSの更新がない分、いるかもしれないと勝手に期待している。今のところ、それらしき人物は見当たらない。
私が、画面の外から憧れていた景色は、拍子抜けまでとは行かなかった。ただ、ミラのような意思の強い人間はいない。酒と薬に溺れている、そんな、何も考えていないような人ばっかりだ。アンダーを、自分を訴えるために使っている人は、いなかった。
やっぱり、破壊するべきだ。そう再確認出来てしまった。
そんな時、ロングウルフの女の人がビルの隙間から見えた。紫がかったグレーは、アンダーで知るところ、一人しかいない。
私は走り出そうと腕をほどいたところ、右手を宵くんに掴まれた。
「離れんな、誰と関わる気だ」
家よりも強い口調で、私を睨みつけた。美人は怒ると怖い、って聞くけど迫力がすごい。そして、怒っているのは私のためで、そのために睨んだこの顔を困らせているのだ。
「ミラに、会いに行く」
「いたのか」
「分かんない。似た人がいたから、追いかける」
困った顔がまた険しくなる。まるで、騙されてんじゃねえよ、とでも言いたげだ。
「本人って確証はねえだろ」
「ならよ、凛音にもついてきて欲しい」
「やだよ、職業としてもこれでも面識がない」
何より本人じゃ無いかもしれない。掃除屋である彼からしたら、リスクある行動は避けたいところだろう。でも、私はこのチャンスを逃したくない。もしひとりだったら、とっくに話しかけている。でも、もしひとりだったら、昨日の時点で安全な場所に安全な人といることができないのは確定している。
どっちを取るべきか。体はミラらしき人物の方を向いているが、顔は宵くんと目を合わせたままだ。周りの通行人は、私たちに目もくれず通り過ぎていく。
「誰か、誰か救急車!!」
「女が泡吹いて倒れてる!!」
この睨み合いを止めたのは、ぜひとも遭いたくないことだった。




