1.夜更かしの準備
外から聞こえる蝉の声、地面を刺す光、タイミング悪く止まる校長先生。
今日は猛暑日になるという予報から、終業式はリモートで行われた。半目になっては動くを繰り返す先生は、かれこれ10分話している。あちらから見えない教室は、静かで涼しく、誰も話を聞いてはいなかった。私も、夏休みの課題に手をつけている。ちゃんとした進学校だからか、膨大な量は出ていないからあと3日真面目に取り組めば終わりそうだ。やはり、早く片付けることに越したことはないのだ。そう思ってテキストのページをめくる。
あれ、ここ書き込んである。
きっとテスト勉強にでも使ったのだろう。集中すれば今日中に終わりそうだ。
恐らく、勤勉な人は課題が終わっても自主的に学習を進めるのだろう。私はそうはいかない。勉強より大事なこと。この夏を使って捕まえに行く。夏休みだからって羽目を外すようなことはするなって、今日同じ口から何回も聞いたけど、どうせ毎年数人は補導されているのだから、忠告に数を重ねても意味は無いのだろう。実際、私が成し遂げようとしていることはそれに含まれるのかもしれないし、含まれないかもしれない。誰にも言ってないから、誰も知らない。
過去の自分が相当偉かったのだろうか、話が長かったのだろうか。校長先生が話し終わるのと同時に、私の夏休み課題も終わりを迎えた。電子黒板が暗くなり、残すはロングホームルームのみ。通知表が配られる。間もなく、「米印がついている者は放課後各教科の準備室に来なさい」という担任の言葉に、補習がどうだとか、テストが赤点だからどうとか、どうでもいいことが教室内を飛び交った。案の定、頭が悪いことをステータスと感じているようなお調子者が隠すことなく6教科補習であることを話す。頭の片隅では心配していたが、欠席しなかったおかげか補習はなさそうだった。適当に挨拶が終わり、それぞれの放課後が始まった。
「心ちゃんどう?補習あった?」
一番可愛い位置にあるポニーテール、校則違反のピアス、着崩した制服を身につけた紗奈は私に訊ねてきた。
「ある訳ないじゃーん!紗奈はあったん?」
「いーや、てか今日夏祭りあるんだけど心ちゃんも来る?」
「あー、今回忙しくってぇ、来年誘ってー」
紗奈は「来年って遠っ」なんて笑いながら夏祭りに行くのだろうメンバーに私が行けないことを伝えた。それでも満足いかないのかメンバー全員を連れて紗奈は戻ってくる。
「心なんでー」
「文化祭の準備は完璧にできたじゃーん」
「心ちゃんが来ないと盛り上がんないしー」
うっかり自分が影響力がある人間であると再確認してしまう。容姿に凝って、毎日笑って過ごすキラキラした女子高校生。文化祭の準備も先陣を切り、細かな演出までをやってのけた。全ては、目的を果たすため。
「マジでごめんて!私夏休みめちゃ忙しいから全然乗れないかも」
申し訳なさそうに謝る私を見て、みんなは残念がった。あー、こんな重要人物になるつもりじゃなかったんだけどな。
「てか心が断るってなに?バイト?」
「黙秘ー」
曖昧にするのは簡単だ。あ、こいつバイトだわーなんて勝手に盛り上がってくれる。
「夏休み終わったら心がいなかった分だけ遊び倒すからね!?」
覚悟しとけよと言わんばかりの紗奈たちに「望むところじゃ」って返してリュックを背負う。じゃあねーって手を振って教室を出ると、「しーん!」と名前を呼んで紗奈が弁当箱を投げてくれた。それをキャッチして危うく夏休みの間に呪物を生み出しそうになった私は軽く礼を言ってから後にした。
今日、私は上手く笑えていただろうか。毎日そんなことばかり考える。朝、メイクをするのも、ロングヘアの肩から下をコテでウェーブに巻くのも、鎧を身に付けるためだけに過ぎない。スカートを折るのも、リュックにくっついたでかいぬいぐるみでさえ、キャラを保つためだけのものだ。
そんな考えも、今日で最後。夏休みは、私のためだけに使うと決めていた。電車の中でネットニュースを見漁る。中高生の失踪事件からもうすぐ4ヶ月が経とうとしていた。一説によると、パラレルワールドに行ってしまったんじゃないかって。馬鹿げているけど、不可能では無い世界になってしまった。
若者の理解を得ない大人の行動により、子供による反乱は数を増やしている。こんな、ド田舎の学生が分かるほどにも。ここでは自分らしくいられるんだって、ニュースに答えていた女の子がいたなぁ。たしか、『アンダー』って呼ばれる都会の若者が集う場所についての特集だった。スマホで何回も、何十回も読んだ。『アンダー』には、違法薬物や淫らなことで溢れかえっている。そんなものに憧れがあるわけじゃない。SNSを開いて、誰も知らないようなサブアカウントのフォロー欄から大好きな人の元へ飛ぶ。
綺麗な黒髪に入ったインナーカラー。口のピアスに、左手首のタトゥー。黒や白で構成された服、そして原形の分からないようなタレ目がちなアイメイク。
ミラ。彼女の名前。『アンダー』に存在するインフルエンサーで、いわゆる地雷系。アートのような自撮りと共に意思のある文面を写真投稿サイトに上げるのが主な活動内容だ。
彼女に会うつもりはない。ただ『アンダー』に行って夏休みを過ごす。何も起きなくていい。そこにどんな人がいるのか、どんな生活をしているのか、あわよくば、失踪した彼らのようなことが体験出来ればと思う。
新着ニュースが届いた。失踪事件の目的は革命だって。メタバースつまり仮想現実を元に作られた平行世界に、彼らは今存在している。大人にとっては大きな進展なのだろう。電車にある液晶画面でも報道され始めた。この革命がどんな影響を及ぼすのか、きっと夏休みが終わってからの話になる。
地元の駅で降りて、徒歩10分。遠くにそびえ立つ山々とすぐ近くの田んぼを眺めていると、変わった特徴のない住宅街に帰ってきた。急いで家に入り、自分の部屋へと向かう。黒いリボンのついたかわいいスーツケースを棚から引っ張り出す。きっと親は私がこんなものを持っていることを知らないだろう。週末にひとりで外出しては、隣街のショッピングモールで買い物をしていた。高校と同じ街だから同級生とすれ違った時はさすがに肝を冷やした。でも、ミラを参考にしたコーデを身にまとった私なんて、誰も気づかなかった。
みんなと同じような制服、変えたことのないヘアメイク、通学カバンにくっつくぬいぐるみ。全てを総合して「心」という存在が成り立っている。欠ければ気づかないのは当たり前だ。
スーツケースを開けて、中からいくつかかわいい巾着袋を取り出す。ひとつずつ開けて、それぞれ私物をつめる。こういうところは真面目なのだ。コスメ道具、ヘアアイロン、歯磨きセットに洗顔料。こっちにはバスタオルやフェイスタオル、スキンケア用品。小さい方には、通帳と印鑑を入れておこう。言われた時に作っておいて良かった。
通販で少しずつ手に入れた洋服も入れていく。こっちには充電器とモバイルバッテリー。
ひと通り荷造りを終えて、私はリビングに向かった。
7時に家を出る。紗奈たちの行くお祭りは私の地元とは逆方向。会うことは無いだろうけど、万が一のためだ、絶対バレない格好をする。さらに、今朝コテで巻いた髪をストレートに戻した。
そして少しのお金とスマホを手にして家を出る。
向かったのは母親のいとこが営む美容院。両親の教育方針により、自由にのびのび育てられた私はひとりで来ても不思議なことは何もない。
「おー心ちゃん、どしたー」
彼女への私の対応は紗奈へのものと変わらない。 つまり、本当に気を許しているわけではないのだ。
「こんちわっす、ブリーチかけちゃおうかなって」
おばさんは私を椅子に案内すると、椅子の高さを調節しながら話を続ける。
「ブリーチ?学校大丈夫なのー?あ、夏休みだから?」
「そ、夏休みだから。大きな段のあるウルフカットのあと、脱色してグレーと紫のアッシュを入れて毛先から4センチを黒に染めて欲しいんですよ」
時間がかかるのは分かってる。でも、私は形から入るタイプなのだ。
「えー、難しいなー。大きな段ってどんな感じよ?」
私はSNSで見つけた画像を見せる。内側の髪を胸の位置で切りそろえ、外側の髪はあごの下でぱっつんにする。私の語彙で表せば、「大きな段」。おばさんは、「あーね」と言って、
「ブリーチは難しいけど、カットならちゃんとできるよ」
と加えた。
カラーが入らないのは残念だけど仕方がない。困った顔を私は重ね、「じゃあ、カットだけで」と笑ってみせた。
直毛の黒髪を持ち合わせている私は、表面の髪が浮かないようにカットする、だとかそういった技術は必要なかった。そして、6時までには帰りたいという私の要望でシャンプーやアイロンもない。
「今は切っただけだけど、オイルつけてちゃんとセットすれば画像の通りになるよ。そうだ、ちょっと待ってて」
正直なおばさんは私に真っ当なアドバイスをした後、店の奥へ行った。
しばらくして戻ってくると、なにやらスプレーみたいなものを右手に、左手には板を持っている。
「これ1日限定のヘアスプレーなんだけど、毛先にかけてもいい?理想とはズレるけど、ほら、夏休みだから、ね?」
さっき決めゼリフのように使っていた言葉を持ち出すあたり、おばさんは美容師としてトーク力もプロなんだと思う。夏休みだし、かけてもらうことにした。
「おおー、すご」
内側の長い髪はもちろん、外側の短い髪も、前髪まで毛先を紫色にしてもらった。板を使って、黒髪との境をはっきりさせている。
「おばさんありがとう、ほんと神」
だじゃれめいたことを言って、会計を済ませる。おばさんは「いーのいーの、次はちゃんと染めてあげるね」と笑顔いっぱいでこたえた。
夏休みはもう来るつもりはないんだけどな。
代わりに笑ってみせた。いい雰囲気のまま帰路につく。大丈夫、ちゃんと笑えていた。地元の高校生を目にしながら、そう思い込んで歩いた。
家に帰ると、兄が戻っていた。両親とは違い、少し頑固なところがある。
「おかえり、夏休みになんかやんの?」
私の髪型を見てそう言った。大学2年の彼はひとり暮らしをしていて、休みを使って戻ってきたところだ、私の予定など知らない。
「ただいま。別に、休み中ずっと家にいないだけだし。7時に家出る」
驚く兄。頑固な分、優しくて過保護な人間だから、妹が心配なのだろう。
「母さんたちには言ったの?」
「言ってない。でも反対されないと思う」
課題も終わらせたし、文化祭準備もやった。夏休みを支配するはずの何かは全て終えた。でも、いま帰宅したばかりの兄さんには関係ない。
「反対するだろ、まず聞いてないし」
加えて、
「母さんたちに心配かけるなよ」
とも言った。場所を尋ねられ、国1番の都市の名前を挙げた。もちろん、「アンダー」は伏せる。これを出せば本当に反対されてしまう。
「そこって、アンダーがあるとこじゃない?」
兄の返答は予想外だった。大学生はやはり見えている世界が違うのだろうか。
「兄さん知ってるの?」
「知ってるも何も、ほら最近反乱が増えてるじゃん、俺らはそういうことも研究対象だから」
兄は確か社会情勢に関係するような学部だった気がする。ああ、抜けていたなあ。でも、もっと予想外なことを言ってきた。
「母さんたちには俺から言っとく。気をつけろよ」
「え?」
「何するのかは知らない。けど、変な薬とか商売とか引っかかるなよ、そういうところなんだから」
兄なりに認めてくれたということだろう。どこまでも優しい兄さん。母たちに言ってくれるのも、恐らくギリギリ会えない私への配慮だ。私は、
「困らせないし、迷惑もかけない。行く目的は推しに会うためってとこ」
と自信満々にこたえた。
出発まであと30分。