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44.追放

 体を清めるために束の間宿に戻る他は、十六夜は根が生えたように庁舎の前から動かなかった。女将が差し入れるパンやチーズを齧りはするものの、痩けた頬には疲労の色が濃く浮かんでいた。しかし数日前とは明らかに異なる点がある。十六夜の周囲に右京とハッサン、そしてギルドのメンバーが共に腰を据えていることだ。それはニーナとパコを同じ町の仲間として受け入れるという彼らの意思表明だった。

 青珊瑚町は商人の町である。経済の根幹を担う商人ギルドがストライキを起こせば、その影響ははかり知れない。十六夜が一人のうちは冷笑していた町民たちも、事の重さに気がついたらしく、連日庁舎に押しかけては対応を迫っていた。


 事態は議会が黙殺できる段階ではなくなった。重々しい扉が十六夜を迎え入れたのは、座り込みをはじめてから二週間目のことであった。


***


 ニーナは招き入れられた会議室を見回した。ここには商人ギルドの定例会のために足を踏み入れたことがあるが、当時とはまるで様相が違っていた。かつてギルドの面々と囲んだ円卓は撤去され、代わりに長机が並んでいる。そこに数人の議員が整然と座し、対面する形でニーナの席が用意されていた。両者の間には一息には飛びかかることのできない程度の距離が保たれており、出入口付近には警備隊の姿も見える。パコと同時に呼ばなかったのも、万が一に備えてのことだろう。

 椅子に腰を下ろすと、扉が開いて馴染みの職員が入ってきた。彼の後に続いた人物を見て、ニーナは思わず声を上げる。

「十六夜?」

「ニ、ニーナ、どの」

 十六夜は覚束ない足取りで、ニーナの後ろに用意された席に収まった。少し見ない間に随分痩せたように思われる。身体は疲弊しているようだが、その瞳には強い覚悟の光が宿っていた。

「彼には海猫のスプーン亭の責任者として同席してもらうことになりました」

 中心に座っている議長が言い添えた。一度ネズリーに絡まれているのを見たことがある。白髪混じりの茶髪を撫でつけた、品のいい壮年の男だ。「十六夜殿、何卒発言は控えていただきますよう」と念を押すことも忘れない。

「それでは、まず何をおいてもお伝えしなければならないことから。この町をクラーケンから救ってくださったことを感謝します。我々が今日も平穏無事に過ごすことが出来るのは、あなたのお陰です」

 議長が代表して頭を下げると、他の議員たちもそれに倣った。ニーナはサルマンの言葉を反芻する。

 むやみに敵を作るな。だが言いなりにもなるな。欲しいものは全部手に入れてみせろ。

「しかしながら。本日お越しいただいたのは……」

「わかっています。私はこの町を出て行くつもりです」

 言葉を遮って先手を打つ。ニーナの発言を受けて、議員たちは顔を見合わせる。多少の戸惑いは見受けられるが、やはりどこか胸を撫で下ろしたような気配を漂わせていた。

「その理由についてお聞かせ願えますか」

「そうしなければ、狼恐怖症の人間が安らかにこの町で暮らせないから」

 十六夜の震える吐息が耳に届く。どんな顔をしているのか気にかかったが、振り返ることはしなかった。

「この町を出て、どうされるのですか?」

「まだ決めていません。けれど山には帰らない」

「ふむ」

 口髭を擦りながら頷いた議長は、何事か補佐官に指示を出した。間もなくニーナの手もとに数枚の資料が届けられる。

「金の竪琴町に移住先の手配をしてあります。その町ではさまざまな種族が共存している。きっと安心して暮らせることでしょう」

 ニーナは資料に目を落とした。地図に記された印を見る限り、金の竪琴町とは青珊瑚町から遥か南に位置しているらしい。町の規模としては青珊瑚町よりやや劣るものの、疾風町よりは上のようだ。

「……一つの道として留めておきます」

 随分と手回しの良いことだ。やはりこの場は話し合いの場ではなく、通告の場だったのだと確信する。


「この群れのリーダーはあなたですね」

 耳慣れない単語に議長は面食らう素振りを見せたが、すぐに「そうですとも」と順応した。

「私からも聞きたいことがあります。あの炭鉱のこと。新聞にはあなたたちが銀狼から炭鉱を奪ったとありましたが」

「仰る通り」

 議長はあっさりと肯定した。

「我々はこの町から人狼を追放する手段として、炭鉱を没収する手筈を整えていた。決行する直前に『狩り』が起こり、このような形になりましたが」

「議長」補佐官が咎めるような声をかけるも、議長は「彼女には知る権利がある」と首を振った。

 それが本当ならば「狩り」が起こらなくても銀狼はこの町を追放されていたということになる。もしもそうなっていれば、爺や白狼たちが巻き添えを食うこともなかったのか。今でもあの山城で、平和に暮らしていたのだろうか。

「あなたたちは心を失った人狼を、あの炭鉱で奴隷にしているのですか?」

 空気がひりついて、視界の端で警備隊が身構えた。議長がゆっくりと首を振る。

「それは違います。彼らを生かすために労働環境を整えたのです。放っておけば全滅してしまいますから。……彼らは十分に罰を受けた。どうにか社会に戻してやらなければ」

「この町とは無関係の白狼の群れに、その罰を与えたのは何故?」

「それは私が独断で決行したことだ」

 ニーナの問いかけに答えたのは議長ではなく、眉を吊り上げた年嵩の議員だった。

「狼は人間に害をなす獣。危険因子は排除すべきだ。私は自らの行いが正しかったと信じている」

 この男が白狼を手にかけたのか。ニーナは冷静さを保つために深呼吸をした。

「もう一つだけ聞かせてください。白狼とは正式に契約を交わしたのですか?」

「お笑い種だ。今の奴らにそんな知能はない」

 老議員が鼻を鳴らす。その卑しむような口ぶりをきっかけに、ニーナはきっぱりと宣言した。

「よくわかりました。では爺と白狼を返してもらいます」


 会議室に戸惑いが広がるが、構いはしない。もとよりニーナには正しさについて議論するつもりなどなかった。目的はただ一つ、爺と白狼を取り返すことのみ。

「返してどうなる。奴らは自活することもできない。野垂れ死ぬのを待つだけだぞ」

 老議員が顎を突き出すが、ニーナは怯まない。

「いいえ。勤め先が変わるだけです」

 一枚の紙きれを叩きつける。補佐官を経由してそれを受け取った議長が目をみはった。

「これは……どうやら本物のようですね」

 それはサルマンが山城の狼の群れを正式に雇い入れることを示した契約書である。それも公証役場によって正式に認められたもの。何より議員たちが驚いたのはサルマンの署名だ。砂の国の王家に連なる者。その肩書がでたらめでないことは、記名の横に並ぶ印章が証明していた。

「なっ……だが奴らには知能が……」

「『獣にでも出来る力仕事を用意する』と言っていました。『人手はいくらあっても足りない』とも」

 この町では契約書がものを言う。それはニーナがこの町に来たばかりの頃に学んだことだった。

 鋼の岩峰でのサルマンの発言を覚えていたニーナが一計を案じると、ギルドのドロンゴは二つ返事で文書を用意してくれた。それでもサルマンが乗ってくるどうかは賭けだったが、結果として契約は成った。

「もう彼らを保護する必要はありません。あなた方の手間も省けましょう」

「我々が監視しなければ狼が人間を襲うやも知らんのだぞ」

「今後は正当な雇い主がその役目を担ってくれます。心配は無用です」

「そんな勝手がまかり通るものか。こんな紙切れ一枚で!」

 老議員はあくまでも食い下がる。やはりこの男は心を失った人狼をいいように利用していたのだろう。彼は気がついていないようだが、議員らの視線は冷ややかだ。ニーナには知りようもないことだが、日頃から独断専行を繰り返して反感を買っているのかもしれない。

「紙切れ一枚とはこれいかに! あんたにはこの印章の意味がわからないんですか?」

 ニヤついた中年の議員がいきなり口を挟んでくる。ニーナの記憶には残っていなかったが、その男はかつてニーナに嫌がらせをしようとして宿を叩き出された議員だった。

「契約書を笑う者は契約書に泣く。この町の人間なら子どもだって知っていることだ。あんたも心得た方が身のためですよ」

 あの日味わった屈辱は彼の中で「他人にも自分と同じように契約書で泣きを見てほしい」という方向に昇華されたらしい。ぐっと押し黙る老議員の代わりに、議長が穏やかに口を開いた。

「ニーナ殿、あなたの言う通り、我々にとっても悪い話ではない。その申し出を受け入れましょう。それに砂の国とは良好な関係を築きたい」


 これで白狼の群れは炭鉱からサルマンのもとへ移ることになる。自分のあずかり知らないところで、どこの馬の骨とも知れない人間に支配されるよりずっといい。銀狼は炭鉱に残るだろうが、それはこの町の問題だ。ニーナの知ったことではない。

「話がついたところで。移住の件を承諾していただけるのならば、手配に取りかかりましょう」

「それは──」

 ニーナは答えに迷う。議会の提案通り金の竪琴町に移住するか、はたまたサルマンの誘いに乗るか。どちらを選んでも別れは避けられない。

「待って、くだ、さい。話を、させてください、彼女、と」

 すると、今まで黙っていた十六夜がふらりと立ち上がった。

「口出し、は、しません。はなす、時間を、ください」

「構いませんとも」

 議長が快諾する。十六夜の意図を図りかねつつ、ニーナは彼に向き直る。

「俺はっ、ニーナ殿、き、きみと、パコを……引き抜きたい、のだ」

「引き抜く?」

 十六夜は何度も深呼吸を繰り返す。相変わらず顔色は真っ青であるが、震えは少しだけおさまった。何人たりとも揺るがすことのできない決意を瞳に宿して、十六夜は紙の束を手渡してくる。表紙には「海猫のスプーン亭二号店計画書」と銘打たれていた。

「ずっと前から、暖簾を分ける、東の国に、二号店をだす、計画を立てていた。君とパコの力を、貸して、ほしい、のだ」

「けれど、あなたは狼恐怖症なのでは」

「かなら、ず、乗り越える。君と共、に、ありたい、から」

 次から次へと流れ落ちる脂汗を乱暴に拭って、十六夜はまっすぐに訴えた。しかしそこまでいって、途端に恐々とした素振りを見せる。

「ただ、その……そこ、では、サケ、が、とれない」

「サケが?」

 ニーナは目を丸くする。手もとの資料をめくってみると、二号店の予定地近隣には川があるものの、サケの育成のためにサケ釣りを禁じていることが明記されていた。

「それでも、よければ。きっ、と、皆に、喜んでもらえる、宿にしてみせる。だめ、だろうか」

 祈るような視線を受けてニーナは目を閉じる。十六夜の懸念は取り越し苦労だ。迷うことなど何もない。ニーナの欲しいものは十六夜の目指す先にあると、たった今確信したのだから。

「私はサケよりもあなたがいい」

 十六夜が真っ赤になって絶句する。振り返ると、議長はすでに答えのわかっているような顔で微笑んでいた。ニーナは彼らに向かってきっぱりと告げた。


「金の竪琴町へは行きません」

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