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41.誰もが誰か

「あんたたち、店は休みだよ。用がないならとっとと帰んな!」

 女将が威勢よく声を上げると、海猫のスプーン亭の前に集まった野次馬たちは口々に文句を言った。

「用ならあるさ。いい加減に狼を引き渡したらどうなんだ」

「そうだ、いるのはわかってるんだぞ」

 喧々轟々と騒ぎ立てる群衆に向かって、女将はぴしゃりと怒鳴りつける。

「馬鹿をお言いでないよ。狼だろうが何だろうが、二人はあたしたちの家族だ。家族を売るような真似ができるもんかい!」


 過日の高潮からこっち、海猫のスプーン亭には連日のように人が詰め寄せていた。彼らは口を揃えてニーナとパコの身柄を渡せと言ってくる。宿の面々は二人を庇うために、辛抱強く門前払いに勤しんでいた。

「第一、二人をどうするつもりなんだい」

「決まってる。この町を追い出すんだよ。狼は人間の敵だ」

「あの子たちがあんたに何をしたってのさ」

「俺たちはずっと長い間、狼に苦しめられてきたんだぞ。忘れたのかよ、女将」

「答えになってないね。あたしはパコとニーナがあんたたちに何をしたのかって聞いてるんだ。それどころか、ニーナはクラーケンを追い払ってこの町を守った英雄じゃないか」

 女将の言葉を受けて、群衆が一瞬静まり返る。ニーナが危険を顧みずクラーケンに立ち向かったという話は、紙の月新聞によって町中に流布された。それ以来町民の間でも、ニーナの処遇に対する意見が割れているのだった。

「あの子が体を張らなけりゃ、この町は今頃しっちゃかめっちゃかになっていたことだろうよ。それを棚に上げて、出ていけなんてよく言えたもんだ」

「女将。それはそれ、これはこれだ。あんたは恩人相手には服従しなけりゃならないと言っているのと同じだよ。そりゃあんまり不平等なんじゃないのかい」

「そうよ、そもそも私たちは狼に守ってなんて頼んじゃいないわ」

「呆れた。あんたたち自分が何言ってるのかわかっているのかい?」

 真っ向から対立する両者の言い分は、どこまでも平行線でしかない。痺れを切らした群衆の一人が、女将に向かって石を投げつけてきた。驚いた女将が咄嗟に身を縮めると、十六夜が前に出て彼女を庇った。石は十六夜の翳した着物の袖に当たって、かつんと地面に落ちる。


「十六夜、あんた」

「母上、下がっていてください」

 十六夜は集まった一人一人の顔を見た。

「何だよ、文句があるってのか。あんたらが悪いんだぞ。狼なんかを庇うから!」

 投石した男が臆面もなく叫び散らす。十六夜の眼は多くの感情を湛えていながら、凪の海のごとく穏やかであった。

「俺はあなたの恐怖を否定しない」

 十六夜がきっぱりと告げると、周囲は水を打ったように静まり返った。

「だったら……」

「無理やりに納得してもらおうとは思っていません。しかし同時にあなたがどれほど言葉を尽くそうとも、俺たちは説得されない。どれほど石を投げられようとも、仲間を差し出すことはありません。お引き取り願います」

 深く頭を下げながら、十六夜は拒絶の意思表示をした。たとえニーナとパコに罪がなくとも、人狼はそこにいるだけで傷ついた人々の心を苛む。彼らを納得させうる言葉など、もとより無いのだ。


 すると一人の女が群衆の前に進み出た。

「この町を救ってもらったことは承知しています。だけれど、私の娘は狼恐怖症です。この町にまだ狼がいると知った娘の苦しみがわかりますか」

 涙ながらの訴えを、十六夜は静かに受け止める。

「軽々にわかるなどと申し上げられない。俺もまた……狼恐怖症ですから」

「っ、そんな馬鹿な。だったら狼と同居なんかできるはずがないわ。どうせ大したことないくせに。わかったような口を聞かないで!」

 女が金切り声を上げると、たまりかねたように玄関からアップルが飛び出した。それを追いかけてシナモンがまろび出てくる。

「それはこっちの台詞よ! あんたに坊ちゃんの何がわかるっていうの。それだけじゃないわ。狼、狼って。パコさんはパコさん、ニーナさんはニーナさんよ。それがわからない人に、なんにも話すことなんかありません」

「姉さん、だめだってば。出てくるなって言いつけられたじゃない」

「だってもう堪忍袋の緒が切れたんだもの。皆ずるいわよ。自分たちがすっきりするために、何も悪いことしてないパコさんたちを追い出そうとしてるくせに。どうして被害者ヅラするの?」

 アップルはすっかり頭に血が昇っているようであった。シナモンがいくら宥めても、まるで耳を貸す気配がない。

「狼を野放しにしておいたら、いつ何時襲われるかわかったもんじゃないだろうが」

「二人がいつ誰を襲って傷つけたっていうのよ」

「そうなるかも知れないってことが、追い出す理由として十分だろ。あんただってもしも店の前にハチの巣ができたら襲われる前に駆除するんだろ?」

「ええ、するわよ。だってハチは言葉が通じないもの。パコさんたちと違ってね。バッカみたい、子ども騙しの論法だわ!」

「アップル殿」

 十六夜がやんわりと名前を呼ぶと、彼女はようやく口をつぐんだ。すると、騒ぎを聞きつけたらしい援軍が続々と集まってきた。

「その子の言う通りだぜ。俺たちゃニーナちゃんの味方だ」

「パコちゃんみたいな優しい子を追い出そうなんて、許せないね!」

 海猫のスプーン亭の常連客や、船乗りたちや、市場の店主たち。二人を知る者たちがこぞって集い、群衆と相対した。旗色が悪くなったのを察して、彼らは不承不承ながら退散していった。


***


「ここが潮時なのかね」

 宿の中に戻ってからしばらくして、女将が呟いた。アップルが首を傾げる。

「潮時って?」

「新たな船出にはもってこいの好機という意味さ。この店を畳んで、新天地で一旗揚げるってのも悪くない。いい思いつきだと思わないかい?」

 海猫のスプーン亭は、女将が先代から受け継いだ大切な店である。思い入れもひとしおであるはずだ。それにもかかわらず、彼女は驚くほどけろりとして言ってのけた。

「まあ、いいですね! だけどそうすると、御頭はどうするんです?」

「あの人は有能な船乗りだからね。海沿いの町に行きゃあ引く手あまたさ。ひょっとすると宿の一員になりたいと言い出すかもしれない。パコの代わりに厨房に入ったのが、どうにも楽しくって仕方なかったらしいから」

「ぼくは全然どこだって構いません。拾ってもらった恩を返すだけです。ねえ、姉さん」

「もちろんよ、シナモン」

 双子の色よい返事に頷いて、女将は黙ったままの十六夜を見た。

「十六夜、あんたはどう思う?」

「俺は……」

 アップルは固唾を飲んで十六夜を見つめた。彼が重度の狼恐怖症であることは既に伝え聞いている。そのせいで二人と話せずにいるのも知っていた。十六夜の負担を考えれば、あの二人と十六夜は離れるべきなのかもしれない。しかしこんな理不尽な理由で三人が離れ離れになるなど、納得できるはずがない。アップルが祈るような気持ちでいると、十六夜は腹を決めたように言った。

「考えていることがある。あとは俺次第だ」

「あんた……もしかして」

 女将が複雑そうに十六夜を見る。わけがわからず、アップルとシナモンは顔を見合わせた。


***


「パコ、俺だ。中に入れちゃくれねえか?」

 パコが部屋の隅で小さくなっていると、ノックの音と共にハッサンの声がした。扉を開けると、ハッサンは何とも言えない表情で立っていた。

「具合はどうだ。少しはましになったか?」

「料理長のご飯が美味しくって、すっかり元気です。心配かけてすみませんでした」

 冷たい海に落ちたせいで、傷口が開いたり熱がぶり返したりして散々な目にあった。しばらく寝込んでしまったのだが、今朝には動き回れるくらいには回復していた。

「そうかい。そいつぁ何よりだ」

 ハッサンは張り詰めていた表情を緩めて、パコを椅子に腰かけさせた。

「で、だ。ええと、その、なんだ」

 らしくもなく歯切れの悪い物言いに、パコは身構える。ハッサンが言わんとしていることは、パコにとって都合の悪いことに違いなかった。

「お前さん……狼だったんだな」

「あはは、実はそうなんです。びっくりしました?」

 パコは努めて明るい声を出したが、ハッサンはいっそう険しい顔をした。

「どうしてわざと皆の前で狼の姿になったんだよ。これじゃ、お前さんが町の奴らから……」

「自分一人だけ逃げるわけにはいきませんよ」

「……嬢ちゃん、か」

 ハッサンが大きな体を丸めて考え込む。あれほど血眼になって探していた狼が、身内に二人も潜んでいたのだ。混乱するのも無理はない。

「育ちが良さそうなわりに肝が据わってると思っちゃいたが、まさかあの嬢ちゃんが狼だったなんてな。こりゃ偶然なのか?」

「偶然ですよ。まあ、ニーナちゃんと出会ったときから、何となくそうなんじゃないかとは思ってましたけど」

「野性の勘ってやつか?」

「そんなんじゃないですって」

「……すまねえ」

 ハッサンはばつが悪そうに頭を掻いた。悪気がないことは百も承知なので、パコは笑って首を振った。

 最初から正体を勘繰っていたことは、ニーナにも伝えていないことだった。そんな風に思ったわけを、パコはいまだニーナに問いただせずにいる。望まぬ答えが返ってくるのを恐れて、臆病風に吹かれているのだ。


「隠してて、すみませんでした」

「いや、言わせなかったのはこっちの方なんだろうからな」

 ハッサンは窓の外を見やった。高潮の翌日には血気盛んな町民が得物を片手に詰め寄せたりもしたが、ニーナが一つ雄叫びを轟かせると、恐れをなしてそれ以上は何もしてこなかった。それでも宿の周りには常に人影が絶えず、おちおち出歩くこともできずにいる。

 きっとハッサンは「悪いが皆のためにもここを出て行ってくれ」と言いたいのだろう。覚悟していたつもりなのに、離れがたい気持ちは際限なく膨れ上がっていく。高潮のあの日から。許されて、認められてしまったあのときから。パコは歯を食いしばってハッサンの言葉を待った。


「正直なところ、まだ受け入れられねえんだ。この目で見たってのに、この期に及んで何かの間違いであってほしいと思ってる。俺は馬鹿だからよ、他の皆のようにうまく頭を切り替えられねえんだ。狼は悪い奴で、人間の敵だ。そう信じてやってきたんだ。だからよ、町の奴らの気持ちもわかっちまうのさ」

「……はい」

 ハッサンは眉間に深く皺を刻む。

「だけど、よ。あれからずっと、考えてんだ。馬鹿なりによ。パコ、お前さんは黒パンが嫌いだろ。そいつはなぜだ?」

「えっ?」

 脈絡のない問いかけに、パコは目を瞬かせる。

「えっと……前にいた宿が貧乏で、混ぜものまみれの黒パンを食べるより仕方がなかったんですけど、煉瓦を齧ってるみたいに硬くて、おまけに不味かったからです」

「お前さんが黒パンを嫌いなのは、狼だからか?」

「まさか。ニーナちゃんなんかは、食べたことがないと思いますよ」

「ああ。俺だってモロヘイヤのスープが嫌いだが、そりゃ俺が人間だからってわけじゃねえ。俺だからだ」

 大昔に病気をしたとき嫌んなるくらい飲まされたのさ、とハッサンは苦笑しながら補足する。

「狼は悪い奴のはずなのによ。お前さんや嬢ちゃんは良い奴だ。俺、頭がこんがらがっちまってよ。だけど考えてみりゃ当たり前のことだった。人間にだって、嫌な奴や始末に終えねえ奴がいるんだから」

「僕は……そんなに良い奴じゃないんです」

「そうかい。んじゃ、どっちつかずの半端者もいるってこった。俺と同じだな」

 そう言ってハッサンは自分の手のひらを見つめた。

「でもよ、そうすると今度は、俺が狩った狼の中にもひょっとして良い奴がいたのかもしれねえと思うようになった。自分のやったことを後悔したことなんかなかったのによ。嬢ちゃんにも聞いたことだが、俺はお前さんの身内を手にかけたのか?」

「それは、わかりません」

「そうかい」

 あるいはそうかもしれないと、一度も思わなかったと言えば嘘になる。しかしその答えをパコに知る術はない。それにハッサンが何のために、誰のために剣を取ったのかはわかっているつもりだ。恨む気持ちなど毛頭ない。

「俺はお前さんや嬢ちゃんが人間だから好きになったわけじゃねえ。だから、狼だなんだなんてこたぁ関係なくて、そいつは誰だって同じことなんだ。俺はそんな風に考えたことをよ、本物の気持ちにしていけるよう頑張るからよ。仲間に顔向けできるように。お前さんや嬢ちゃんに恥じねえように。俺なりによ。だから……」

 窯の奥に燃える炎のような暖かい眼差しを受けて、視界が滲んだ。

「……料理長。ここにきてから今まで、本当に楽しかったです。嫌な思いなんて何一つしたことがありません。たちの悪い飲んだくれに絡まれて皆に助けてもらったのだって、今となっちゃいい思い出です。ありがとうございます」

「おいおい、なんだって終わっちまったような言い方をするんだよ。どうだ、小腹が空いたんじゃねえのか。イチジクのサラミを切ってきてやる。それともお向かいの焼きたてパンがいいか? 腹が減ってるとろくなことを考えねえからな、俺たちは」

 昔から変わらない熱い掌が、乱暴に頭を撫でていく。西日の眩しさにパコは目を閉じた。もしも自分の父親がこんな風であったならと夢想しながら。

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