表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/47

34.キャロッツ

 森の魔女の工房に、一羽のカラスが舞い込んでくる。カラスは赤と青の玉が入っているガラス瓶の中に嘴を突っ込んで、赤い玉の方を魔女の掌に落としてみせた。

「そう、駄目だったのね。せっかくわざとヘボな薬を出してやったのに、正解に辿り着いちゃうなんて。センセイも運がいいんだか悪いんだか」

 魔女は赤い玉を摘み上げてランタンの光に翳す。森の空気はじっとりと湿っていて、嵐の予感に満ちていた。

「生き延びなよ、狼ちゃん。早く約束のビスケットをちょうだいな」


***


 篠突く雨音に十六夜が目を覚ますと、見知らぬ天井が目に入った。どうやら誰かのベッドに寝かされているようだ。脱がされたらしい羽織がヘッドボードに引っ掛けられており、シャツのボタンも幾つか外されていた。

「坊ちゃん。気がついた?」

 聞き覚えのある声に振り返り、十六夜は目をみはった。

「カリン殿!」

 そこにいたのはかつての宿の仲間のカリンだった。黒いドレスにチョーカーを合わせ、そばかすの浮いた丸顔に白粉をはたいている。特徴的だったポニーテールをダウンスタイルにしているのも手伝って、海猫のスプーン亭にいた頃とはがらりと雰囲気が変わって見えた。

「久しぶりだね、坊ちゃん。会えて嬉しいよ!」

「カリン殿も息災で何より。しかしここはどこだろうか。何も覚えがないのだが」

「ここはキャロッツの宿舎だよ」

 キャロッツというと、女性ばかりの従業員で運営されている隣町の宿屋だ。十六夜が寝かされている部屋にはもう一つベッドがあり、ごく簡素な仕切りが立てられている。相部屋なのだろうが、海猫のスプーン亭の宿舎の一室よりもやや狭い。鏡台には香水やクリーム、練り紅やコームなどが所狭しと並べられていて、端にはひっそりと紙の月新聞が積んであった。窓際にシュミーズやドロワーズが吊るされているのが目に入り、十六夜は慌てて顔を背ける。

「坊ちゃん、アンタ丸一日眠ってたんだよ」

「丸一日!?」

 十六夜は愕然とする。きっとここしばらくの疲労が祟ったのだろう。無断で宿を抜け出したあげく一日戻らなかったのだから、今頃騒ぎになっているに違いない。泡を食って立ち上がろうとする十六夜を、カリンが押し留めた。

「焦らなくても大丈夫だよ。海猫のスプーン亭の皆にはバターカップがうまいこと伝えてあるから。のっぴきならない事情があって男手が欲しかったから、アンタに頼み込んだことになってるんだ」

「バターカップ殿が?」

「うん、バターカップがアンタをここに連れてきたんだよ。ここはあの子とアタシの部屋。それにこの天気じゃ体がきついでしょ。今あったかいお茶を淹れたげるから、ちょっと待ってて」

 カリンがティーポットを傾ける。彼女の言う通り、ひどい雨の日には古傷が痛んでまともに動けなくなることがある。恐る恐る膝を屈伸させると、軋みはするがまるっきり使いものにならないほどではなかった。

「ありがとう、カリン殿」

「なんのなんの、困ったときはお互いさまってね!」

 カリンは紅い唇から歯を見せて笑った。随分印象が変わったように見えても、よく気がつくところも朗らかなところも、十六夜の知るカリンと何ら変わりがなかった。手渡された紅茶を一口啜ると、胸中に温かさが込み上げる。

「バターカップ殿にも感謝せねばならんな。それにしても彼女とカリン殿が同じ宿で働いていたとは、奇妙な偶然があるものだ」

「うーん。実は偶然でもないっていうか」

「うん? どういうことだ?」

 十六夜が尋ねると、カリンは気まずそうに頬を掻いた。

「ずっと憧れてる人がいるってバターカップが言うからさ。どんな人か聞いてみたら、漆黒の髪と目を持った男の子だって言うじゃない。だから、そういう人が海猫のスプーン亭にいるよってアタシが教えたげたんだよね」

「何と、そうだったのか」

 ふと後ろめたい心持が生まれたが、十六夜はすぐに否定した。気持ちに応えるつもりがないのだから、そんな感情は高慢に過ぎない。


「しかしカリン殿。いったいぜんたいどうして急にうちを出て行ってしまわれたのだ。ニーナ殿や料理長の落胆ぶりといったらなかったぞ」

 かねてからの疑問を投げかけると、カリンの顔つきが変わる。

「その前に教えて、坊ちゃん。アンタも狼恐怖症なの?」

「俺、も? どういうことだ。もしや……君も」

 カリンが神妙に頷いた。

「そっか。じゃあ坊ちゃんも知っちゃったんだね」

 その一言で十六夜は察した。つまりはカリンも自分と同じように、パコの秘密を知ってしまったのだ。カリンが誰にもわけを話さずに姿を消した理由が、今ならよくわかる。

「君はこのことを誰かに話したか?」

「まさか! そんなことしたらあの子はただじゃ済まなくなる。あの子には今まで通り穏やかに暮らしてほしかったんだ。坊ちゃんもそうでしょ?」

「もちろんだとも」

 十六夜が断言すると、カリンは安堵したように表情を緩めた。しかしこの先どうすればいいのだろうか。パコと顔を合わせれば発作を起こすことは目に見えているが、主人の倅としていつまでも宿を空けるわけにはいかない。それにニーナとパコに伝えそびれた志を、やすやすと諦めるつもりもない。


 十六夜が頭を悩ませていると、ふいにドアをノックする音が響いた。

「十六夜君、目が覚めたぁ?」

 部屋に入ってきたのはバターカップだった。後に続いて、見知らぬ年嵩の女性が顔を出す。金髪をシニヨンにまとめて、ラウンドガウンを纏った妖艶な雰囲気の女性だ。

「十六夜君、こちらはローズおねえさま。あなたの介抱に手を貸してくださったのよぉ」

 バターカップの紹介を受けて、ローズと呼ばれた女性が陽気に手を上げる。

「ハーイ、坊や。ローズよ。体の調子はどう?」

「お陰様で仔細ないです。申し遅れました。私は海猫のスプーン亭の十六夜と申します。ローズ殿、バターカップ殿もカリン殿も、この度は世話になったようで感謝の言葉もありません」

 かしこまって頭を下げる十六夜をローズが笑い飛ばす。

「あーら、そんなにかしこまらなくていいのよ、かわい子ちゃん!」

「か、かわい子ちゃん?」

「ほら言ったでしょう。十六夜君たらとってもお堅くってぇ、そこがチャーミングなんだからぁ」

 ローズとバターカップは何やら意気投合している。助けを求めるようにカリンを見やると、カリンは同情するように苦笑した。


 十六夜はローズの顔をまじまじと見つめる。彼女のアメシストのような透き通った瞳は、パコのそれとよく似ていた。

「なーに、チェリーボーイ。おねえさんに見惚れちゃったの?」

「チェリー……? いや失敬。私の友によく似ておいでだったのでつい」

 正直に伝えると、途端にローズが表情を引き締める。

「それは……パコちゃんのことね?」

「えっ?」

 十六夜が反応するより先に、何故かバターカップが声を上げる。思わず口を押さえる彼女に、ローズは眉を下げて微笑みかけた。

「わかってる。おおかた、あの子に口止めされていたんでしょ? 私には言わないようにって」

「おねえさま、知っていたの?」

「カリンちゃんにも同じことを言われたからねぇ。私によく似た男の子を知ってるって。あの子はね、母親似だから」

「え、え、どういうこと? 何の話?」

 カリンが混乱してローズとバターカップを見比べている。しかし十六夜には話の筋が読めてきていた。

「ローズ殿は、パコの母御なのですか」

「ええ」

 ローズが肯定を示した。傍らに立つバターカップから、何らかの期待を孕んだ視線が向けられている。先ほどのやり取りから鑑みるに、バターカップがローズと十六夜を引き合わせたのには思惑があるようだ。

 パコの母親であるということは、彼女もまた人狼であるということになる。そこまで考えて、十六夜は急に息が苦しくなるのを感じた。駄目だ、堪えろ。そう自分に言い聞かせるも、身体は勝手に呼吸を荒げていく。異変を察した女性陣が、にわかに色めき立った。

「十六夜君……?」

「坊ちゃん!? しっかり!」

「バターちゃん、水差しを持ってきてちょうだいな」

 言うが早いか、バターカップが部屋を飛び出していく。自らの肩を抱いて震えを抑え込もうとしている十六夜に、ローズが近づいて囁きかけた。

「大丈夫。落ち着いて。私は人間よ」

 その言葉を聞いた途端、十六夜の体から力が抜けた。崩れ落ちかけたところをカリンに支えられる。

「わっ、坊ちゃん大丈夫?」

「あ、ああ。済まない、カリン殿」

 十六夜は深呼吸を繰り返す。まだ少し手が震えていたが、自力で立つことが出来た。

「取り乱してしまい、誠に面目ない」

「あの子が打ち明けたの?」

 ローズの口ぶりは、パコが人狼であることを否定するものではなかった。十六夜はわずかに芽生えた甘い希望を打ち消した。

「いいえ。私が勝手に暴き立てたのです」

「……そう」

 外はいよいよ嵐の様相を呈してきた。泣き声のような音を立てながら、風がしきりにガラス窓を叩いていく。

「ローズ殿。パコのことを教えてはいただけませんか」

 十六夜は覚悟を決めてローズに尋ねた。

「私は今までずっと自分のことしか頭になくて、一番の友の苦悩を見逃してきたのです。これ以上の不義理を、俺は自身に許すことができない」

 狼は嫌いだと、必ず町から追い出してやると、十六夜はパコの前で何度も息巻いてきた。いったいどんな気持ちで聞いていたのだろう。パコを孤独に追いやったのは他でもない、自分自身だ。

「ローズ殿、俺はどんなことがあってもパコの味方です。ここにいるカリン殿も、そのつもりでうちの宿を出たのです」

「うん……?」

「あたしもよぉ、ローズおねえさま」

 戸口の方から、水差しを手にしたバターカップが同調する。

「パコちゃんたら水臭くって、肝心なことはなんにも話してくれないんだもの。あたしに隠しごとをしようなんて百年早いわ」

 ローズは三人の顔を順繰りに見つめた後、腹を括るようにベッドに腰を据えた。パコとよく似た相貌に、どこか諦めの色が浮かぶ。

「パコちゃんの父親はね、狼なの」

 稲光りが一瞬、薄暗い室内を照らし出す。


「……ん?」

 カリンの上げた疑問の声は、遅れてやってきた雷鳴に綺麗さっぱり掻き消された。

第五章終わり

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ