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33.金色

 神妙な面持ちで部屋に入ってきたネズリーを見て、ニーナは警戒心を露わにした。ニーナの鋭い視線を受けて、ネズリーがごくりと唾を飲み込む。

「パコさんのお加減はいかがっすか」

「今は眠っています」

 パコは深い寝息を立てている。十六夜の用意したワインやソーセージはとうに冷めてしまっていた。

「そ、すか。ともかく無事で何よりっす」

 ネズリーは胸を撫で下ろす素振りを見せたが、ベッドの方に近づこうとはしなかった。狼に変化したニーナの姿が、ネズリーに恐怖心を植えつけたのかもしれない。

「ニーナさん。その……あなたは、本当に」

「私は人狼です」

 歯切れの悪い問いかけに先回りして、ニーナはきっぱりと答えた。狼の姿を見られた以上、隠し立てしても仕方がない。

「そう、だったんすね。ニーナさんが人狼について妙に詳しかったわけが、これでわかりました」

「そんなことより。あなたはこのことを記事にするつもりですか」

 ネズリーは今まで人狼にまつわる記事を打ち出しては耳目を集めてきた。本物の人狼がここにいるとなれば、根っからの記者である彼はそのことを喧伝せずにはおれないだろう。

「それは、その」

 ネズリーが言葉に詰まる。窓の外には鈍色をした雲が重く垂れ込めて、静やかに町を包んでいた。

 沈黙を破ったのはニーナでもネズリーでも、懇々と眠り続けるパコでもなく、控えめなノックの音だった。

「ニーナ殿、ネズミ殿。パコの具合はどうだろうか」

 遠慮がちに顔を覗かせたのは十六夜であった。二人が返事をするより先に、十六夜は食事が手つかずのままであることに気がついて苦笑する。

「よく寝ているようだな。ネズミ殿、実はクロエ殿がいらっしゃって、貴殿に用があると」

「クロエさんが、自分に?」

 ネズリーの方には心当たりがないらしい。首を捻っているネズリーの後を追って、ニーナも廊下に出た。

 そこにいたのは、見たこともないような剣幕で佇んでいるクロエだった。


「ネズリー君。あなた嘘をついていたの?」

「えっ? いったいぜんたい何のことっすか?」

「惚けないで」

 突然の糾弾にネズリーは戸惑った。理知的な印象の強いクロエが、珍しく取り乱している。

「クロエ殿、中でパコが休んでおります。どうかお静かに」

 十六夜に宥められて、クロエは我に返ったようすで声を潜めた。

「ごめんなさい。だけどこれだけは聞かせて、ネズリー君。『この町にはまだ狼がいる』という張り紙。あれはあなたのでっち上げだったの?」

「……っ!」

 ネズリーが急に青ざめる。

「でっち上げ? いったいどういうことです、クロエ殿」

 黙り込んでしまったネズリーに代わって十六夜が尋ねた。クロエは努めて冷静に話を続ける。

「社の倉庫に鉤爪が隠してあったのを見つけたんです。まさかと思って掲示板の爪痕と照らし合わせたら、ぴったり一致しました。売り手を探し出して話を聞いたら、ネズリー君、買っていったのはあなただっていうじゃない」

「なっ……それでは、あれは狼の爪痕ではなかったと仰るのですか」

 十六夜が絶句する。張り紙も広場に残された爪痕も、ネズリーによる捏造であったのではないか。クロエの話はつまりそういうことだ。

「ネズリー君。何か弁明があって?」

 クロエの口調は厳しくもどこか悲しげだった。ネズリーは黙ったまま目を泳がせている。そのさまはクロエの指摘が図星であることを示唆しているように思われた。

 不意にネズリーと目が合った。その瞬間、ニーナの脳裏にパコの忠告が蘇る。

──もしも君の正体が誰かに知れたら、それは君のことになるんだ。

 例え張り紙がでっち上げだったとしても、この町には本当に人狼がいるのだ。ネズリーがそのことを暴露すれば、彼の名誉は守られる。

 灰色の瞳が揺らいでいる。ネズリーは既にそのことに思い至っているのだ。ニーナは両眼を鋭くして腹を括った。


「……クロエさんの言う通りっす。自分は嘘の張り紙をして、狼騒動をでっち上げました」

 しかしネズリーの口から出たのは罪の告白だった。思いがけない展開にニーナが目をしばたかせる。

「狼がいなくなってから紙の月新聞はめっぽうつまらなくなってしまいました。クロエさんも言っていたじゃないですか。平和ボケした記事ばかりでは読者が退屈してしまうって。僕はどうしても面白い記事を書いて注目されたかったんです。だからやりました。皆の関心を引くために、この町にまだ狼がいるように見せかけたんですよ!」

 ネズリーがニーナを庇っているのは明らかだったが、吐露された心情もまた本音に違いなかった。まだ少し少年らしさの残る顔立ちの中に、狡さと愚かさ、そして後ろ暗さが綯い交ぜになっている。

「ネズリー君!」

 クロエがネズリーの頬を打ち据えた。驚いた十六夜が仲裁しようとするも、クロエの凪いだ瞳に制される。

「我々は社会の公器として、真実を伝えなければならない。あなたはやってはいけないことをした。悔いる気持ちが微塵もないのなら今すぐ辞めてしまいなさい」

 ネズリーは打たれた頬を押さえて俯いている。

「けれどもあなたの話を鵜呑みにして、精査することなく公表した私たちにも非があります。あなた一人に背負わせはしない。あなたはまだ若いわ。もう一度自分を見つめ直して」

「クロエ、さん」

 ほつれた後毛を掻き上げて、クロエは十六夜に向き直る。

「十六夜さん、お騒がせして申し訳ありませんでした。それと……我が社は信用を失うことになるでしょう。十六夜さんの連載にも差し障りが出るかもしれません」

「クロエ殿、私に謝罪など無用です! それに父が申しておりました。この町の風通しがよいのは、新聞社が政治の走狗に成り下がっていないからだと。紙の月新聞は今までもこれからも町民の拠り所です」

 十六夜の言葉に微笑んで、クロエはネズリーの肩を抱いて宿舎を後にした。


***


 自室に戻った十六夜は、机の上でうっすら埃をかぶっていた魔女の薬瓶を手に取った。

「愚かだな、俺は。噂に振り回されて、こんなものまで用意して」

 ネズリーの言う通りならば、この町には人狼などいなかったということになる。自分も町の人間たちも、もう怯える必要はなかったのだ。自嘲した十六夜は、薬瓶を持って一直線に洗濯場へと向かう。

 結局この薬は役に立たなかった。しかしこれがきっかけでニーナと巡り合うことができたのだから、怪我の功名と言えよう。

 洗濯場に着いた十六夜は、瓶の中身を排水溝に少しだけ流す。するとすぐに違和感を覚えた。石造りの排水溝を流れた薬の跡が、金色に光っているのだ。

「ん……?」

 見間違いかと思って目を凝らすが、光の筋はいっそうはっきりと浮かび上がって十六夜の心臓を高鳴らせる。


──聞いて驚きなさい。この薬は狼の血と混ざり合うと、そりゃみごとな金色に変わるのよ。


 呼吸が浅くなって冷や汗が流れた。そんなはずはない。この町には狼などいなかったのだと、つい今しがた発覚したばかりではないか。それ以上に、こんなところに狼の痕跡があるわけが──

「……血?」

 覚束ない足取りで十六夜は庭に出た。物干し竿に干してあるパコのシャツが目に留まる。肩口の部分がひどく裂けており、落とし切れなかった血の染みが残っていた。

 まさか、まさかまさかまさか。何かの間違いであることを祈って、十六夜はパコのシャツに薬をかけた。そんな祈りを嘲笑うかのように、薬に塗れた部分がたちまち金色に変化していった。

「あ、あ」

 十六夜はふらふらと尻餅をついた。そんな馬鹿なことがあってたまるか。パコとは少年の時分からずっと一緒だったのだ。しかしはたと思い至る。今まで一度でも、満月の夜にパコと顔を合わせたことがあっただろうか。

「あっ、あ、あ、うっ……はぁっ、はっ」

 人狼に嬲られた記憶が濁流のように押し寄せて、呼吸がままならなくなる。歯の根が合わず、全身の震えが止まらない。どんなに否定しても体がいうことをきかないのは、十六夜がとうに確信してしまっているからだ。

「十六夜、十六夜。どこにいるのですか。賄いが用意できました」

 洗濯場の方からニーナの声が聞こえてくる。十六夜は震える足を叱咤して、転がるように逃げ出した。宿を抜け出して人目につかない路地裏へ入ったところで、よろよろと壁に身を預ける。


「十六夜君?」

 聞き覚えのある声に顔を上げる。山吹色の豊かな髪、体に張りつく夜色のドレス、甘く垂れたターコイズブルーの瞳。そこにいたのは近頃とんと姿を見せなくなったバターカップであった。

「まぁ、どうしたの? 顔色が真っ青だけれど」

「はっ、あっ、あ、あ、あうう……」

 舌がもつれて言葉にならない。壁伝いにずるずると座り込んだ十六夜の前に、バターカップが慌てて膝をつく。

「大丈夫!? 宿の人を呼んだ方がいいかしらぁ?」

 十六夜は首を振った。誰にも知られるわけにはいかない。何としても隠し通さなければ。バターカップは真剣に熟考し、やがて十六夜の腕を自らの肩に回した。

「立てる? ともかくこっちへいらっしゃいな」


***


「パコ。寝ているのですか」

 ニーナが声をかけると、パコはうっすらと目を開いた。

「起きてるよ……どうかした?」

 身じろぎをした拍子に首筋を汗が伝っていく。まだ寝かせておいた方が良さそうだ。ネズリーの話は後ですることにして、ニーナは今しがた目にした不思議な光景について口にした。

「庭に干してあるあなたの服、何かおかしい」

「僕の服?」

「破けたところが金色に光っています。どうなっているのですか」

「きん、いろ……?」

 ぼんやりと呟いてから、パコはいきなり跳ね起きた。呻きながらベッドを這い出るパコのただならぬ様相に、さしものニーナも戸惑いを覚える。

「何をしているのです。傷口が開く」

「そんな、まさか、どうして」

 ニーナの声に耳を貸さず、パコは体を引きずるようにして窓辺に近寄っていく。しかしここからでは洗濯物がよく見えないとわかると、開け放った窓から躊躇なく飛び降りた。

「パコ、いったい何を!」

 ここは三階だ。人間の身でこの高さから飛び降りて、無事で済むはずがない。ニーナが窓の外を見下ろすと、パコは四つん這いになってしっかりと着地していた。わけもわからぬままニーナも後を追う。

 金色に染まったシャツの前で、パコは立ち尽くしていた。足もとに転がっている空っぽの瓶を拾い上げようとして、がっくりと膝をつく。


「パコ?」

「あーあ。ばーれちゃった」

 圧しかかるような暗雲が、檻のように町を覆っている。

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