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28.報復

「尻尾を刈られた、か。間違いねえな」

 机の上に寝そべりながら、サルマンは古書のページをめくった。堆く積み上げられた書物が、彼の周りに山脈を築いている。

「ここにいた狼連中は、青珊瑚町の人間に狩られたんだよ」

 ニーナは瞳を鋭くする。

「どういうこと?」

「本当にわからねえか、この有り様を見て。あの町の狼と同じ末路を辿ったんじゃねえかと、少しも思わなかったか?」

 サルマンは手の中の書物をニーナに放った。

「あの町の連中がどうやって狼を片付けやがったのかずっと疑問だったが、これでようやく腑に落ちたぜ」

 そこに記されていたのは人狼の起源にまつわる言い伝えだった。月の女神の呪いを受けて伴侶を手にかけてしまった狼が、尻尾を食い違って自害したという伝説。そこまではニーナも聞いたことがある。しかし物語には続きがあった。「悲劇に見舞われた合いの子は深く傷つき悲しんだ。人狼が尻尾を失うと心を失うのはそのためである」と。

「……心を、失う?」

「そのようすじゃ、あんたも知らなかったんだな」

 ニーナは頷いた。幼い頃、狼に変化するときは尻尾を大事にするようにと言い含められた記憶はある。しかし意図的に切ろうとしない限り、尻尾を失うようなことはまず無い。ましてや他所からやってきた侵入者に尻尾を切られるなど、誰一人として予想しなかったに違いない。

 その本には尻尾を失った人狼の末路が詳らかに記されていた。言葉を話すことも感情を露わにすることもなくなる。与えなければ一人で餌を食べることもしない。赤子ならば少しずつ自我が芽生えていくものだが、一度心を失った狼がそれを取り戻すことは永久にない。

 想像を絶する話に、ニーナは腰の辺りが粟立っていくのを感じた。

「何故……どうして、人間がそんなことを知っていたというのですか」

「さァな」

「……あなたが青珊瑚町の人間の仕業だと断定する理由は?」

「あんたの使用人の日記に、人間がドラゴンに乗ってきたという記述があっただろう。疾風町の竜騎士団は、連中に請われてドラゴンを貸し付けたことがある。そうでもしなけりゃ、まともな人間の足じゃこの城には辿り着けねえからな」

「白狼は銀狼と違い、人間との交流がありませんでした。ここに住んでいることを知っている、はずは……」

 ない、とは言い切れないのかもしれない。爺は妻子に先立たれたことをきっかけに山城へ移住したらしい。銀狼の群れにいた爺が白狼の城の存在を知っていたのならば、他の誰かの耳に入っていてもおかしくはない。

「だとしても、白狼には人間から恨みを買う理由など」

「あんた、思い違いをしてるようだな」

 サルマンはプラチナブロンドを掻き上げて、ニーナと向き合った。

「白狼だ銀狼だとあんたは区別しているようだが、人間にとっちゃ毛色の違いなんか瑣末なことだ。まとめて報復されたのさ。狼は人間の敵だからな」

 違う。そんなことはない。白狼に報いを受ける謂れはない。あまりの理不尽に心が追いつかない。

「納得いかねえってツラしてんな。だがあんたの使用人も、彼奴らと同じことをしようとしてるんじゃねえのか?」

 サルマンはニーナの手もとにある日記帳を顎で示した。

「爺、が……?」

「最後にしたためられていたのが、人間への呪いの言葉でなけりゃ何だって言うんだ」

 許すまじ、人間。私とお嬢さまの安住の地を奪い去った人間よ。このままにしてなるものか。

 サルマンの言う通りなのだろうか。爺が行方を眩ました理由も、ニーナを巻き込まないためだったというのだろうか。しかし心優しかった爺が人間に報復するところなど、ニーナには想像することができなかった。

「で、あんたはどうするつもりだ?」

 質問の意味を図りかねて、ニーナは顔を上げる。

「どうするとは?」

「人間に復讐するのかと聞いている。人間はあんたの故郷を奪ったんだぜ」

「……っ」

 受け入れがたい現実に打ちのめされて麻痺していた感情が、サルマンの揺さぶりを受けて波立った。そうだ、人間は無実の白狼の尊厳を踏み躙ったのだ。ニーナから大切な故郷を、爺との慎ましやかな暮らしを奪ったのだ。

 憤怒の炎が身体中に走る。ああ、満月が近い。目の前の人間を掻きむしりたいと爪が疼く。噛み砕きたいと牙が疼く。

 人間、人間、人間。憎い、憎い、許せない!


 怒りに支配されかけたニーナの脳裏に、ふいにカリンの顔が過った。すると、曇りかけた眼が洗い流されたようにはっきりとしてくる。

──だってアタシに酷いことをしたのは狼だけど、アンタじゃないもの。


「……いいえ」

「何故だ。復讐は何も生まないだの、陳腐な台詞を口にするつもりか?」

「山育ちの海賊がいるように、それが人間の全てじゃない」

 ニーナが努めて冷静に話すと、サルマンはナイフの柄を握る手から力を抜いた。

 もし人間のことを何も知らないままであったのならば、あるいはそうしたかもしれない。しかし今のニーナは知っている。仲間に入れてくれた十六夜とパコ。女将やハッサン、右京やギルドの面子、アップルとシナモン。そしてカリンのことを。彼らの敵に回ることは、今は考えられない。

「それにまだわからないことがあります。白狼がここにいないのならば、どこかに連れて行かれたのだと私は思う」

「ああ。それに関しちゃ俺様も同意見だ」

「私は白狼の行方を探します。そして爺を見つけて、何をしようとしているのかをこの目で確かめる。それが私のすべきこと」

「真実を知って、何もかもを無茶苦茶にしたくなるかもしれねえぞ?」

「もしそうなったら、あなたが私を止めればいい」

 赤銅色の瞳がニーナの腹の底を探らんと光る。しかしニーナが揺るがないことを確かめると、サルマンは立ち上がって拳を胸に当てた。

「そうかい。白狼のニーナ。今はあんたが狼の頭だ。俺はこの海を統べる砂薔薇の海賊衆の頭領として、あんたの選択を狼の総意と受け取ることにしよう」


***


 数日ぶりに執務室に戻ったサルマンは、ライオンハートに一部始終を伝えた。さしものライオンハートも面食らったようで、無精髭をこすってしきりに考え込んでいた。

「おいおい、どうした。めでたしめでたし、じゃねえの。部下を引き連れて命懸けで狼退治に乗り出さなくて良くなったんだぜ」

「なに、心底ほっとしてるよ。ただなぁ、どうにもつまらなくってさ」

 ライオンハートは言葉通り、ひどく興醒めしたように酒を煽った。

「大将。おれには彼女が、ちょっと変わっているだけの普通の女の子にしか思えんのよ。だからどうにも哀れで仕方ない」

「同情なんざ一銭の価値もねえ。もしも狼が狩られていなかったらどうだった。あんたは絆されて討伐をやめたのか?」

「やめないよ。本当に意地が悪いねえ。そんなんじゃ女の子たちに愛想尽かされるよ」

「あんたのようなすけこましと一緒にすんなよ」

 サルマンは鼻で笑って、なみなみと注いだビールを一気に傾けた。麦畑の向こうで、全てを焼き尽くさんばかりに落日が燃えている。満ちかけた月が、夜の気配を嗅ぎつけてうっすらと顔を出す。

「なあ、チンピラ竜騎士さんよ」

「何かね、海賊風情」

「腑抜けになった獣を捨て置かずにわざわざ連れて行く理由は何だと思う?」

「そりゃ、奴隷でしょ」

 ライオンハートは視線を上げないまま煙草を噛んだ。夜の帳が下りる前に、サルマンはオイルランプに火を点ける。煌々と燃える炎の向こうに、金色の光が差して見えた。

「奇遇だな。同意見だよ」


***


「ニーナ殿、お帰り!」

 宿に戻ると、早速十六夜に出迎えられた。出入口に据えられたベンチに腰掛けて、わざわざニーナを待っていたらしい。

「久方ぶりの故郷はどうだっただろうか。あまりゆっくり出来なかったのではないか? 君のようすが気にかかって、原稿が捗らなかったぞ」

 ニーナの姿を見て心底ほっとしたように、十六夜が捲し立てる。擦り合わせる手は小刻みに震えていた。

「まあ、積もる話は後だ。山歩きは草臥れただろう、中でゆっくり茶でも頂こう」

 ニーナは踵を返そうとする十六夜の着物の裾を掴む。「おわっ、な、なんだ?」驚いて振り返った十六夜が、身を屈めてニーナの顔を覗き込んでくる。

「……どうした?」

 ニーナは首を横に振った。十六夜には言えない。言えるはずがない。ニーナが人狼であることも、もう故郷に帰れないことも、その故郷を奪ったのが人間であることも、爺が人間への報復を企てているかもしれないことも、何もかも。

「サルマン殿は、君の力になってくれたか?」

 探りを入れるような問いかけに、ニーナは何度も頷いた。悔しいほどにサルマンは頼もしかった。彼がいなければ今頃何もわからないまま途方に暮れていたことだろう。

「ならば何故そんな顔をしているのだ。俺には話せないことだろうか」

 ニーナがもう一度頷くと、十六夜は眉を八の字にした。

「そうか。君が話したくないというのなら無理には聞かない。だが話したくなったら、いつでも言ってくれ。俺は如何なるときも君の味方だ」

 十六夜がニーナの手を両手で包んだ。その手を強く握り返すと、十六夜は急に我に返って頬を赤らめた。

「あー、ええとだな。そうだ、この町の風景から新作の着想を得たのだ。よかったら話を聞いてもらえないだろうか。小麦粉をこねて動物や妖精を生み出す魔法使いの話なのだ。面白そうだろう。さあ、中に入ろう」

 普段より饒舌な十六夜に手を引かれながら、ニーナはここに十六夜がいて良かったと心から思った。


***


 パコは窓辺に腰かけて、満月を見上げていた。今頃ニーナと十六夜はどうしているだろうか。何事もなくニーナは城に戻ることが出来たのだろうか。うっかり十六夜に狼の姿を見られていやしないか、少し心配だ。

 早くニーナに会いたい。顔が見たい。ニーナのことを思うと無性に胸が締め付けられる。こんな調子ではとてもじゃないが十六夜のことを笑えない。

 いよいよ誤魔化しがきかなくなっただけだ。本当は森の泉で出会ったときから、ずっと。

「ニーナちゃん……」

 窓枠に肘をついてぼうっとしていると、不意に人影が見えた。ぞろぞろと連れ立って歩く集団を、ガス灯の明かりが浮かび上がらせる。

「……料理長?」

 先頭に立って歩いているのはハッサンだった。目を凝らすと、後ろにはドロンゴやヤン・トンをはじめとしたギルドのメンバーの姿もある。物々しい雰囲気の面々は、一様に何かしらの得物を手にしていた。訝しく思って見ていると、ハッサンが夜闇に声を張り上げた。

「隠れてないで出て来やがれ、狼!」

「出てこい、腰抜け野郎!」

「そうだそうだ、この町にお前の居場所はないんだよ、化け物!」

 男たちが口々に叫び散らす。パコは驚いて身を乗り出した。

「料理長、いったい何やってるんです!」

 パコに気づいたハッサンが、血走った目で見上げてくる。

「パコ、大丈夫だ。俺たちがなんとかしてやる。必ず狼を見つけ出して、この町から追い出してやる。だから、安心して待っていろよ」

「なんとか、って、料理長!」

 ハッサンはパコに背を向けて、声を張り上げながら離れていく。パコは力無くその場にへたり込んだ。


「どうしよう、ニーナちゃん……十六夜」

第四章終わり

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