26.嫌いな男
疾風町は風車の町だ。山間から吹き下ろす風が、巨大な羽を回して小麦を挽いている。初夏の頃には黄金色の麦畑が海原のように広がり、風に吹かれて一斉にさざめくという。この町で採れた麦は穀物の育ちにくい青珊瑚町にも出荷され、パンやビールとなって人々の胃袋を満たしている。山から流れる川のほとりには洗濯場が並び、水車小屋が軒を連ねる。
往来には観光客の姿が数多く散見された。ニーナは仕立ててもらったばかりのフード付きのアイボリーの外套をはためかせて、先導するライオンハートの背中を追う。
「人がたくさんいます」
「でしょ。皆ドラゴンちゃんに乗りたくってこんな辺鄙なとこまで来るんだよ。酔狂なこった」
ライオンハートは肩をすくめた。ドラゴンはかつては神獣として畏怖される存在であったらしいが、今や観光の目玉となっているようだ。
「ドラゴンの背に乗って空を駆けるとは、浪漫があるな!」
十六夜が子どものように目を輝かせる。
「浪漫」
「ああ。俺は何度も空を飛ぶ夢を見たことがある。箒に跨ったり、鳥になったりしてな」
「ほらな。こういう物好きが絶えないお陰で、おれらはおまんまにありつけるっつーわけ」
「なるほど」
ライオンハートに案内されて、竜舎へと辿り着く。いかにも頑丈な鉄扉の向こうに、巨体を丸めて眠っているドラゴンの姿が見えた。ニーナは鉄格子の隙間から覗き込む。狼より一回りも二回りも大きい。黒光りする鱗は鎧のようで、牙は槍の穂先のようだ。折り畳まれている翼を広げると、家一軒くらいの大きさになるのではないだろうか。
「大きい……」
「ドラゴンちゃんたちは今休憩中なのよ。先に顔合わせを済ませちまおうや」
「顔合わせとな?」
十六夜の疑問の声に答えないまま、ライオンハートは竜舎と併設されている煉瓦造りの建物へ足を向けた。彼は受付嬢にいかにも軽薄な挨拶をすると、すれ違う職員たちが深々と頭を下げるのを軽くあしらいながら廊下を進んでいった。二階の突き当たりの大仰な扉の前に立ち、軽くノックをする。
「おーい、お待ちかねのお客人を連れてきてやったぞ」
ライオンハートは返事を待たずに扉を開ける。部屋の中は書斎のような造りになっていた。壁際には本棚が並んでおり、溢れた書物が床に積み上げられている。奥の執務机の上にも本の塔がそびえ立っており、何冊かは焼き菓子の入ったバスケットの下敷きになっていた。
その手前に位置する革張りのソファに、行儀悪く寝転がっている人物がいた。褐色の肌。プラチナブロンドの三つ編み。胸もとから覗く薔薇の刺青。忘れもしない風変わりな容姿。ニーナは全身の毛が逆立つのを感じて身構えた。
「サルマン殿ではないですか!」
十六夜は素っ頓狂な声をあげたが、すぐに「ご無沙汰しております」と礼儀正しく頭を下げた。サルマンは緩慢な動作で身を起こす。
「よう。待ちくたびれて化石になっちまうところだったぜ」
「なんと奇遇な。貴殿もドラゴンを目当てにこちらへ?」
「ンなもんのために海賊がわざわざ陸に上がるかよ。姉貴がこの町のお上をやっててな。顔繋ぎついでに滞在中ってだけよ」
「我々が来るのをご存知だったのですか」
「律儀な『盟友』の報せを受けてな。ったく、俺様にガキのお守りを押しつけるような太ェ野郎は他にいねぇよ」
サルマンが皺のついた手紙を机の上に放った。差出人は十六夜の父・右京であった。手紙には「十六夜とニーナが疾風町を訪れるので便宜を図ってほしい」との旨がしたためられていた。
「そう言えば、父上が友人に連絡をとっておくと……まさかサルマン殿のことであったとは」
十六夜は気まずそうに頬を掻いた。サルマン率いる砂薔薇の海賊衆に父の船が拿捕された件について、十六夜の中には未だ蟠りが残っているが、当人はそうではないらしい。
「かたじけない、サルマン殿。世話になります」
「あ? 誰があんたらの面倒なんか見るっつった。俺様はベビーシッターじゃねえんだぜ、お坊ちゃん」
「む……」
「ンな怖ぇ顔すんなって。歩いてるだけで身ぐるみ剥がされてケツ毛まで毟られるようなスラムじゃねえんだ。心配しなくてもそこのチンピラ竜騎士がおもてなししてくれるってよ」
サルマンが顎をしゃくると、ライオンハートは肩をすくめて両手を上げた。
「はいはい。仰せのままに。じゃ、ひとまずしち面倒臭い手続きをしてもらいますか」
ライオンハートに促されて十六夜が部屋を出る。ニーナも後に続こうとして、
「あんたにはまだ話があるんだよ、小娘」
サルマンに呼び止められて足を止めた。十六夜が訝んで引き返してくる。
「何か用向きであれば、私がお伺いします」
「十六夜。先に行っていてください」
「ニーナ殿、しかし……」
「いいからいいから、旦那はこっち。ほんじゃね」
ライオンハートが強引に十六夜を締め出す。彼は一瞬だけ険しい目つきでニーナとサルマンを見やってから、静かに扉を閉めた。
「んな怖い顔すんなっつったろ?」
ニーナは金色の瞳を鋭くした。サルマンはニーナが人狼であるということに気づいている。この男が気まぐれに吹聴して回れば、今までのような暮らしは出来なくなるだろう。町中から忌避され、排斥され、宿の皆とも離ればなれになってしまうかもしれない。ここは慎重に立ち振る舞わなければ。
「何か私に用ですか」
「鋼の岩峰にある城は狼の棲家なのか?」
サルマンが厭らしい笑みを掻き消して尋ねてくる。どうしてそれを、と訊き返そうとしたが、ライオンハートからの報告と照らし合わせたのだろうと思い至る。
「そうだと思う」
「何だ、いやに曖昧だな」
「それを確かめるためにここへ来たのです。私は故郷を見失っていましたから」
「あんたはあの峻険な山に登ることが出来るのか?」
「造作もない」
ニーナの答えを受けて、サルマンの眼に思案の色が浮かぶ。
「なるほどな。そんじゃ、俺様も同行させてもらおうかね」
「……何故?」
「ここは姉の町だ。もし狼共が人里に下りてくるようなことがあっちゃ困るんでな。偵察させてもらおう」
「白狼は山を下りないし、人間を襲ったりもしない」
「どうだかなァ。この目で確かめるまで信用できねえな。同行を許可しなけりゃ、俺たちはあんたが去った後にそうするだけだぜ」
「白狼が安全でないと判断したら、どうするというのです」
「さてな?」
「あなたこそ、人間の身で山城に到達できるとでもいうのですか」
「おいおい。侮ってもらっちゃ困るぜ」
サルマンは鼻を鳴らした。確かにニーナの攻撃を躱してみせた身のこなしからしても、ただものではないことは伺えた。それに、場合によってはサルマンがいることでニーナ一人では知り得ない情報を手に入れられるかも知れない。少しでも多くのことを把握するために、背に腹は代えられない。
「わかりました。私もあなたを利用させてもらうことにしましょう」
「そうこなくっちゃな。あんた、前に会ったときよりいい女になったじゃねえの」
気安く伸ばされた手を、ニーナは冷たく払い除けた。
「喉笛を噛みちぎられたくなければその口を閉じなさい」
「おっと、おっかねえの」
サルマンがわざとらしく首をすくめた。




