24.鋼の岩峰
「工事?」
「そうだよ。水道管の修繕をしなけりゃならなくなってね。そういうわけで二週間ほど宿を閉めることになったのさ」
女将の宣言を聞いて、食堂に集まった従業員たちはざわめいた。アップルが「それじゃ私たち、工事の間はどこかに移らなくちゃならないのかしら」と疑問を口にすると、「宿舎の方はそのまんまだよ。あんたたちも里帰りするも良し、残るも良し、好きにしな」と返ってきた。
降って湧いた休暇の話に、一同は思い思いの反応を示した。ハッサンは里帰りの算段を立てており、アップルとシナモンは日雇いの仕事について相談している。
「急なことで面目ないな、ニーナ殿。君はどうする?」
「一度山城に戻ろうと思います」
「城に?」
十六夜は眉を跳ね上げた。同じく疑問を抱いたらしいパコが、「どういうこと? 場所がわからないんじゃなかったの?」と口を挟む。ニーナは二人の顔を交互に見て頷いた。
「当てが出来ました。この後、話を聞く約束をしている」
爺に促されるままに決別した故郷。そこに戻れば、爺の行方についての手がかりが掴めるかもしれない。
***
「ほれ、これがドラゴンちゃんの空路図よ」
ライオンハートがテーブルに広げた地図を、ニーナはぐいと覗き込んだ。使い込まれた緻密な地図に、ぐるりと線が書き込まれている。
「おれらの街は山から流れる河の中流にあんのね。こっからうちのドラゴンちゃんに乗って空路沿いに進むと、人の足では到達し得ない鋼の岩峰の頂上を臨めるっつーわけ」
「鋼の岩峰」
「そ」
ニーナが幼子のように復唱すると、ライオンハートはにやけた顔で煙草を噛んだ。
昨日の多忙な昼飯時、ニーナはこの男とネズリーが山の上の城について話しているのを小耳に挟んだ。詳しい話を聞かせてほしいとニーナが頼むと、ライオンハートは二つ返事で受け入れた。
彼は疾風町の竜騎士であるらしい。竜騎士とは世にも珍しい、ドラゴンの飼育をする者のことを指す。疾風町では町おこしの一環としてドラゴンの騎乗体験を実施しているそうだ。
ライオンハートは騎士という単語が想起させるイメージとは程遠い、軽薄そうな男であった。癖のある灰色がかった金髪に無精髭を生やし、だらしなく胸もとをはだけるそのさまは、騎士というよりならず者に近い。竜騎士に憧れを抱く者が彼の様相を見れば、少なからず失望することだろう。
「んで、城らしきものがあるのはこの辺ね。鋼の岩峰の中腹。とても人が立ち入るような場所じゃないから、おれらの間では人ならざるもんの棲家だってもっぱらの噂だったんだがな。まさかこんなまぶい姉ちゃんの故郷かもしれないたぁ、度肝を抜かれたぜ」
言葉とは裏腹に、男は気だるげに青い瞳を細めた。ニーナは地図に書き込まれたバツ印をじっと見つめる。確かに人間にはあの険しい山道を登るのは困難だろうが、狼であるニーナにとっては朝飯前だ。
「ま、下りてきたからには登る方法もあるんでしょ。知らんけど。うちに来りゃ、ドラゴンちゃんに乗って空から見てみることもできるぜ」
「行きます」
一も二もなく首肯した。まずはこの目で確かめてみなければ何もはじまらない。
「私を疾風町まで案内してください」
「おれが? ふーん。ま、どうせ町に戻るんだから構わんよ」
話がまとまりかけたところで、黙って聞いていた十六夜が横槍を入れてくる。
「っ、ちょっと待ってくれ、ニーナ殿。それはライオンハート殿と二人旅をするということか」
「何か問題があるのですか」
「そらぁ問題大有りだよなあ、旦那。おれみたいな輩に年頃の姉ちゃんを預けたら、どんな間違いがあるかわかったもんじゃないしな?」
ライオンハートに茶化されて、十六夜は眉間の皺を深くする。
「ニーナ殿の前で尾籠な話は控えていただきたい」
「おやおや。あんたが言ってんのはそういうことだろ、旦那。あんたが見てくれで人を不埒者と決めつけてんだ」
「む……」
十六夜は口籠ったが、気持ちを切り替えるように咳払いをした。
「仰る通りです。私は貴殿の人となりを存じ上げない。故に、ニーナ殿をお預けするのは憚られるのです」
「ごもっとも、ごもっとも。で?」
「責任者として私も同行させていただきます」
真面目くさって宣言する十六夜の顔を、ニーナはまじまじと見つめた。大の人狼嫌いである十六夜に、白狼の城について来られては困るのだ。しかしパコから十六夜は足が悪いと聞いている。あの険しい山道を越えられるとは思えない。
「あなたは山に登ることが出来るのですか」
「それは難しい。だが町まで同行するくらいは問題ない」
ニーナは一考する。城について来ないのならば断る理由はない。
「わかりました。ではついてきてください」
「あ、ああ。任せてくれ」
十六夜が表情を明るくして胸を叩くと、ライオンハートは肩をすくめて煙草を揉み消した。
「ニーナちゃん」
話が済んで庭に出ようとしたニーナを、パコが呼び止める。
「十六夜と一緒に行くの?」
「ライオンハートも一緒です」
「あー、うん。そうだね」
目を泳がせるパコを不審がって、ニーナは回り込んで覗き込んだ。さしものパコも気圧されて、頬を赤くして目を逸らす。
「何かあるのですか」
「うーん。あのさ、僕、どさくさに紛れて君に告白したんだけど、気づいてる?」
「告白」
「君のことを特別に好きだと言ったってことさ」
「ええ、わかっています」
「あ、はい」
妙に項垂れたようすのパコをますます不審がって、ニーナは首を傾げた。遠くからはらはらと見守っているアップルの存在には、どちらも気づいていないのだった。
***
ニーナたちが店の奥に引っ込んだ後、ネズリーはライオンハートに声をかけた。
「ライオンハートさん。この度は興味深い話を聞かせてくだすって、ありがとうございました!」
「いんや、おれはありのままを話しただけなんでね。しかしこんなことで何か収穫があったのかい」
「あったと思いますよ。まだ霧は晴れないっすけどね」
ネズリーは手帳を広げて、ライオンハートから聴取した内容を見直した。青珊瑚町の議会が疾風町のドラゴンたちを一時的に借り受けていたらしいこと。竜騎士団は相応の見返りを受け取ったらしいこと。
「それが狼と何か関係あんの?」
「まだなんとも。しかし僕の記者の勘が、必ず関係していると告げてます」
「ふーん、そうなのね。ま、いいや。クロエちゃんによろしく言っといてねぇ」
ライオンハートはいっそう気が抜けた声を上げて、店を後にした。
路地裏の壁に凭れかかった彼のもとに、小さなドラゴンが舞い込んできた。一見カラスと見紛う黒いドラゴンは、おとなしく男の肩に留まって一鳴きする。
「……あの山は、到底人間の住めるような土地じゃあない。なあ、そう思わんか?」
わかっているのかいないのか、ドラゴンは何度も首を捻っている。
「血に飢えた狼さんがおれらの町に下りてきたら一大事だわ。盗人を見てから縄を綯うようじゃ、遅いってな」
鞄から取り出した紙に走り書きをして、ライオンハートはドラゴンの足首に括り付ける。太い親指で顎を撫でられると、ドラゴンは犬のように喜び、再び空に舞い上がった。




