22.狩り
ハッサンはネズリーを自室に案内し、プレートを裏返した。勧められるがままに椅子に腰かけたネズリーは、ハッサンの部屋をきょろきょろと見回す。豪快な印象のある男だが、部屋の中は意外なほど殺風景だった。壁にかけられている半月刀の他には、水差しと酒器くらいしか見当たらない。
「おや、剣をやるんすか?」
「今となっちゃ無用の長物だと思ってたんだがな」
ハッサンはベッドに腰を下ろしてネズリーと向き合った。普段の陽気さはなりを潜め、赤銅色の瞳に暗い炎を灯している。
「変に勘繰られるぐらいなら喋った方がましだ。お察しの通り、俺は狩りに参加したよ。仲間と一緒にな。この手であの忌々しい狼どもをやってやったんだ」
ハッサンがきっぱりと告げる。ネズリーは武者震いを抑えるべく腕をさすった。睨んだ通り、ハッサンは町を救った姿なき英雄の一味だったのだ。広場で耳にしたハッサンの呟きを聞き逃さなかった自身の勘の良さを、思わず自画自賛する。
求めてやまなかった真実が当事者の口から語られようとしている。一言一句聞き逃すまいと、ネズリーは手帳にペンを添えた。
「だが一匹たりとも殺しちゃいねえ。俺たちは尻尾を刈っただけよ」
「尻尾を、刈った?」
言葉の意味を図りかねるネズリーに、ハッサンが説明を加える。
「狼の姿で尻尾を切られると、奴らは心を失うんだ。もとの姿に戻っても、まるで魂が抜けちまったみたいに呆けたまんまで、なんにも喋らなくなって、動こうともしなくなる。死んじゃいねえが、生きているというにはあんまり虚しい有様になるのさ」
ハッサンの語る人狼の生態は、ネズリーの調査の範疇にないものだった。なるほど「狩り」とは「刈り」であったのだ。しかし心を失うとはいったいどういったことなのだろう。ネズリーは生まれ故郷の耄碌した老人のことを思い出してみる。町外れに住んでいた老人は、たまに水を汲みにくる他には何をしているのかてんでわからない人物だった。誰とも口を利かず、日がな一日ぼうっとしているだけ。町の人々は彼を気味悪がって遠巻きにしていた。
かの恐ろしい狼があの老人のような有様になったのだろうか。俄かに信じがたいことであったが、わざわざハッサンが嘘をつく理由もない。
「なるほど、そいつは奇妙な生態っすね。しかしあなた方はなぜそんなことを知っていたんすか?」
ハッサンは口を閉ざした。彼の胸中では、答えてもよいこととそうでないこととが確と線引きされているようであった。ネズリーはその境界を見極めようと試みる。
「質問を変えますね。あの凶暴な狼の尻尾をどうやって刈ったんすか? よっぽどの手練れでもなけりゃ、敵わないでしょうに」
「なに、薬でちょいと眠らせてやったのさ」
「薬……?」
ネズリーは心当たりを探る。町医者から薬を買ったのかとも思ったが、町中の人狼をいっぺんに眠らせるだけの量を用意できるとは考えにくい。となると魔女の店から仕入れたか。
魔女は金さえ積めばどんな薬も調合してくれるともっぱらの噂であるが、毒薬や麻薬の類を所望する客は一も二もなく警察に突き出されるらしい。魔女は殊のほか社会秩序を重んじているのだとか、そうでないとか。だが所望されたのが単なる眠り薬ならば、魔女の方にも取引を拒む理由はないだろう。
しかし薬を飲んで眠れば暴れなくて済むというのなら、自ずから服薬すれば良かったものを。そこまで考えて、ネズリーは彼らの信仰するオロ教の戒律で薬が禁じられていることを思い出す。
「オロ教信者の奴らに薬を飲ませるなんて、それこそ至難の業なんじゃないっすか?」
ハッサンは再び口をつぐんだ。彼は判り易い。明らかに「誰か」を庇っている。無理に聞きだそうとしたところで、彼が口を割ることはないだろう。ネズリーは頭の中で、今の質問は線の外と定義づけた。
「まあいいでしょう。それで尻尾を刈られた狼たちは、その後どうなったんすか?」
話を変えると、ハッサンが困惑気味に頭を掻いた。
「それが……わからねえんだ」
「わからない?」
「俺たちは確かに一匹残らず奴らの尻尾を刈ってやったんだ。だが次の日の朝には群れごと丸々、忽然と消えちまってた。どこかに行っちまったのか、誰かが連れ去ったのか、それすらもわからんときたもんだ」
「ふむ。そりゃまた不可解っすね」
「……なあネズミさんよ。あの張り紙を出した奴が誰なのか、わからねえのかい? この町に狼が潜んでるっていうんなら、俺はもう一度この剣を抜かなけりゃならねぇ」
半月刀を見やるハッサンの眼差しには覚悟が宿っていた。
「面目ない。それが皆目見当もつかないんすよね。いったい誰が何の目的であんなことをしたのやら……そんなことより」
ネズリーはハッサンに負けず劣らず、ぎらついた瞳で彼に詰め寄った。
「議会からはどんな報酬をもらったんすか? ここまで体を張ったんだ、きっと弾んだことでしょう」
ハッサンが拍子抜けしたように目を丸くする。
「議会だあ? 何だってまた、そこで議会が出てくるんだよ」
「えっ?」
「奴らは俺たちがどれほど狼に苦しめられていようがなんにも手を打とうとしなかった腰抜けどもだぜ」
「ありゃ……? うーん、なるほどなあ」
ネズリーは最後の書き込みをして手帳を閉じた。わかったことはいくつかある。一つ、英雄の正体。二つ、狩りの方法。三つ目は、狩りに議会が関与していることを、彼らが知らないということ。
「よくわかりました。今日はありがとうございます、ハッサンさん」
「……なあ、あんた俺を警察に突き出すか? もしそのつもりなら、もう少しだけ待ってくれ。俺には狼を放っておくことはできん」
「とんでもない! 自分は真実を知りたいだけっす。あなたの名前は誓って出しませんとも。ご協力感謝します」
訝しげなハッサンと固く握手を交わして、ネズリーはその場を後にした。
***
新聞社に戻ったらクロエに報告しなければなるまい。興奮気味に海猫のスプーン亭の玄関を出ると、ちょうど帰ってきたニーナと顔を合わせた。ニーナの手にした買い物籠には、うずたかく新鮮な果物が積まれている。彼女は見かけによらず力持ちであるらしい。
「ニーナさん、こんにちは。今日もお美しいっす!」
「こんにちは」
ニーナが会釈をしてくる。はらりと頬にかかった白い髪を耳にかける仕草が、この上なく絵になっていた。思わず目を奪われていると、ニーナの方から話しかけてきた。
「ネズミ。爺はまだ見つかりませんか」
「ああ、例の爺やさんのことっすね。目撃談も寄せられてないし、本人からの連絡もないっす。お力になれず面目ない」
紙の月新聞に彼女の尋ね人の広告を載せてしばらく経つが、いまだ何の手がかりも得られていなかった。
「そうですか」
ニーナは何やら考え込んだ。
「では、人狼は見つかりましたか」
「へっ? いいや、見つかってないっすけど」
脈絡のない質問にネズリーが疑問符を浮かべていると、ニーナは「そう」と呟いて店の中に入っていった。ネズリーは首を捻ったが、手に入れたばかりの情報を早くクロエと共有したい一心で、深くは追及せず新聞社への帰路についた。
しかしネズリーは後になって思い返す。彼女は最初から一つのことしか問うていなかったのだと。
***
「ニーナちゃん、お疲れさま。今日は大変だったでしょ」
厨房に立って賄いのパスタを茹でながら、パコが労いの言葉をかけてくる。
「いいえ」
ニーナは樽に腰かけて、パコの後ろ姿を眺めていた。
客船が港に停泊しているため、今日の海猫のスプーン亭は盛況であった。昼を過ぎても客足は途切れることなく、日が落ちてからも酒盛りをする船乗りたちで酒場は大いに賑わった。ニーナとパコがまともに言葉を交わせるようになったのは、やっとのことで店じまいをした後のことだった。
「はい、熱いから気をつけてね」
パコが差し出してきた木皿には、トマトとベーコンのパスタがこんもりと盛り付けられている。「ありがとうございます」礼を言ってニーナが食事にありつくのを見届けて、パコは自分の分をよそった。
「パコ」
「うん?」
「あなたは私に何か隠してる」
大皿からサラダを取り分けようとしていたパコの手が止まった。




