17.君が好き
アコーディオン弾きが陽気な音楽を奏でるのを聴きながら、ニーナは露店を覗き込んでいた。
「何を見ているのだ、ニーナ殿」
「これは飴ですか?」
ニーナが指差したのは飴ではなく宝飾品だった。露店に並べるようなものなので、さほど高価ではないようだが、硝子や銀細工が陽光にきらめくさまは美しかった。
「残念だがこれは食えん。装飾品だ」
「綺麗」
「いらっしゃい、別嬪さん。気に入ったのがあれば、そっちの好い人におねだりして買ってもらいな」
店主に茶化されて、十六夜は真っ赤に茹で上がった。
「お、俺たちは、そういった関係ではないのです」
「そんなのどっちだっていいさね。ほれ、この髪飾りなんかどうだい? その刺繍の花とおんなじ色だよ」
店主が手に取ったのは貝殻と珊瑚の髪飾りだった。貝殻はニーナのワンピースに刺繍されているサクラと同じ薄紅色をしている。店主はニーナの白い髪にそれを留めて「そら、よくお似合いだ。どうだい彼氏」と笑った。その姿を見た十六夜が「な、なんと可憐な! うう、俺はもう駄目だ」と、顔を覆って蹲る。そうかと思えばすぐに立ち直り、潔く懐から財布を取り出した。
「ニーナ殿、俺からの頼みだ。これを君に贈らせてほしい」
「構いませんが」
「毎度ありぃ! お兄さん、隅に置けないねえ」
十六夜が会計を済ませていると、別行動をしていたパコが焼き立てのバゲットを手にして戻ってきた。
「二人とも、そろそろ腹ごしらえしようよ。わ、ニーナちゃん、それどうしたの? とっても似合ってるよ。まるで春の妖精みたい」
ニーナの髪飾りに気づいたパコが、ウィンクと共に賛辞を送る。その背後で、十六夜がわざとがましく咳払いをした。
「十六夜に貰いました」
「ええっ、まさか十六夜にそんな甲斐性があったとはね」
「どういう意味だ」
「褒めてるんだよ。良かったね、ニーナちゃん」
ニーナは露店の軒先に吊るされている鏡を覗き込んだ。薄紅の髪飾りがニーナの白い髪をほのかに彩っている。女将が施してくれたサクラと同じ色の装飾品を身につけるのは、なかなかどうして気分が良かった。
「ありがとうございます、十六夜」
「れ、礼には及ばん。俺が勝手にしたことなのだから」
十六夜が再び耳まで赤くなって俯くので、パコと店主は声を上げて笑ったのだった。
***
その後は広場の階段に腰かけてバゲットを頬張ったり、手回しオルガンの演奏に聴き入ったり、パレード終わりの騎士に手を振ったりして、めいっぱい休日を楽しんだ。帰りの列車を降りる頃には、とっぷりと日が暮れていた。
「今日は楽しかった」
三人で宿に戻る道すがら、ニーナは呟いた。見たことのない景色、聴いたことのない音楽、食べたことのない料理。何もかもが新鮮で、心が躍った。かつて小さな城の中で完結していたニーナの世界が、また一段階広がったような気がした。
「楽しんでもらえて何よりだ。今度はもっと遠くの街まで行ってみるのはどうだろうか」
十六夜の提案に、パコが「そりゃいいね」と同意を示す。
「パコ、お前はどこか行ってみたいところはあるか?」
「僕? 僕はいいから二人で決めなよ」
「そうはいかん。お前にも付き合ってもらわねばならんのだから。どこでもいいから言ってみろ」
パコはわずかに躊躇した後、思い切ったように言った。
「言ったな? じゃあ言うぞ。僕は一度でいいから東の国に行ってみたい」
「東の国に?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする十六夜を、パコはやや気恥ずかしそうにじろりと見た。
「いいだろ。こちとら多感な頃にあんたや親父さんから散々東の国の話を聞かされて育ったんだ。憧れの一つや二つある」
「そうだったのか。それは知らなんだ」
「そりゃそうだ。言わなかったもん」
ニーナは二人の顔を交互に見比べた。東の国とはいったいどんなところなのだろう。十六夜のような変な格好をした人間が大勢いるのだろうか。ニーナの好物の一つであるサケの握り飯も、元は東の国の料理であると聞く。今度右京が帰ってきたら、詳しく話を聞いてみようとニーナは思った。
「次は東の国へ行くのですか?」
「ううん、無理なんだ。東の国は遠くて、船で片道二ヶ月はかかる。行き来だけで四ヶ月。そんなに長く店を空けられないなあ。ましてや三人でなんてとんでもない。言ってみただけ! 十六夜がどうしてもって言うからさ」
パコがあっけらかんと笑う。十六夜はというと、口もとに手をやって何事か考え込んでいるようであった。
「まあ、ちょっとした戯言だよ。忘れておくれ。あ、そうだ。僕ちょっと寄り道して帰るから二人は先に帰っててよ」
「どこへ行くのだ」
「ドロンゴさんのところ。ラム酒を切らしちゃってるから注文してくる。じゃあ、また後で!」
パコは身を翻して、大通りの方へと駆けていった。夕闇の中に、ニーナと十六夜が取り残される。
「やれやれ、慌ただしいな」
「十六夜」
「うん? どうした。ニーナ殿」
──坊ちゃんはニーナさんのことが好きなの。ニーナさんのことを考えると夜も眠れずご飯も喉を通らないの。それが恋の病というものよ。
ニーナはかねてからの疑問を十六夜にぶつけた。
「あなたは私のことが好きなのですか?」
「な……っ!?」
十六夜が絶句して飛び退る。夕暮れの中でもわかるほど、その顔は真っ赤に染まっていた。
「そ、それは、その」
ニーナは十六夜の顔を穴が空くほど見つめる。答えを待っているうちに、十六夜の顔はさらに紅潮していった。やがて十六夜は観念したかのようにかぶりを振って、ニーナの目を見た。
「ああ、その通りだ。俺は君に惚れている」
十六夜はきっぱりと告白した。ニーナから見ても、十六夜はすっかり冷静さを取り戻しているように見えた。
「しかし君が俺のことを特別に思っていないことは、さすがに朴念仁の俺でもわかる。俺のことを好いてほしいという気持ちがないといえば嘘になるが、俺から君に何かを強いるつもりはない」
「そうなのですか」
「ああ。ひょっとすると俺のせいで周りからとやかく言われているかも知れんが……何も気にすることはない。君は君の思うがまま、今まで通り、好きなようにしてくれ」
「私の思うがまま?」
「そうだ。そういうわけでこの話はお終いだ」
そうして十六夜は見たことのない表情で微笑んだ。何かを振り切るように踏み出す十六夜に、ニーナはついて歩く。
十六夜の想いを知ったからといって、ニーナはそれについて語る言葉を持たず、十六夜もだんまりを決め込んでいる。二人の間に沈黙が流れるうちに、空は朱色から葡萄色に変わっていった。ガス灯に明かりが点きはじめた頃、
「やっと見つけたわぁ」
と、砂糖を入れすぎた紅茶のように甘ったるい女の声がした。
二人が振り返ると、そこには見知らぬ女が立っていた。年の頃は二十ほど。背中まである山吹色の髪の毛はゆるやかに波打っており、左右の耳の上から伸びる編み込みが、真鍮のバレッタで一纏めにされている。身体に張りついた夜色のワンピースが、ハイヒールと相まって婀娜っぽい雰囲気を醸し出していた。
「ずうっと探してたのよ、あたしの騎士様」
女は無遠慮に十六夜の腕に絡みつき、鼻にかかった声を上げた。瞳の色に合わせたターコイズのアクセサリーが、ほんのり色づいた耳たぶと、大胆にはだけた胸もとに揺れる。
「だ、誰だ君は」
十六夜は困惑しきったようすで女を引き剥がそうとするが、そうしようとすればするほど、彼女はますます強く抱きついてくる。
「まあ、いけずねぇ。あたしのことを忘れちゃったの? あんなに劇的な出会いだったのに。私がこうしていられるのも、ぜんぶあなたのお陰よ。本当にありがとう」
「待ってくれ、本当に覚えていないのだ。どこかで会ったことがあるだろうか」
「もう、ひどいわ。あんなに情熱的だったじゃないの」
「じょ、情熱的?」
「そうよぉ。あら? 暗くてよくわからなかったけれど、あなた左右の目の色が違うのね。あのときも暗かったから、気づかなかっただけかしら?」
女は網み手袋に包まれた手を十六夜の頬に伸ばす。十六夜は険しい顔をしてその手を振り払った。
「気安く触らないでくれ。悪いが俺には心当たりがない。ニーナ殿、行こう」
「ニーナ?」
初めて気がついたように女がニーナを見る。女はニーナの頭のてっぺんから爪先までを、値踏みするように眺めた。
「あら、この子あなたの恋人なの?」
「い、いや。そういうわけではないのだが」
「そうよねぇ。そうだと思ったわ」
紅を引いた唇が吊り上がる。勝ち誇ったような女の笑みの真意はわからないが、ニーナは本能的に、甘ったるい女の眼の奥に潜む敵意を感じ取っていた。
「あたしねぇ。狼に襲われていたときに、この人に助けられたの。そのときのときめきが忘れられなくて、ずうっと探していたのよ。一言お礼が言いたくて……いいえ、一言なんかじゃ済まないわ。あたしの全てをあげてもいいとすら思っているの」
女がニーナに見せつけるように、十六夜に寄り添う。しかし十六夜はどこかぼうっとして、宙に視線を彷徨わせるばかりであった。
「俺が、助けた? 狼から?」
***
夜闇に身を潜めながら、パコは目の前の光景を窺った。視線の先にはニーナと十六夜と、十六夜にしなだれかかる顔見知りの女の姿がある。
「ど、どうしてここにバター姐さんが?」




