16.デート
アップルは三度の飯より色恋沙汰が好きなようで、その日もニーナにどこからともなく仕入れてきた浮いた話を聞かせてくれた。曰く、紅茶屋の主人とコーヒー屋の主人は犬猿の仲であるが、その娘と息子は恋仲であるらしい。二人は前々からこっそりデートを重ねていたが、紅茶屋ともコーヒー屋とも交流のあるパン屋の主人が、うっかりそのことを漏らしてしまったらしい。それ以来紅茶屋とコーヒー屋の対立はますます苛烈を極めることになるが、両者の溝が深まれば深まるほど、かえって恋人たちの仲は燃え上がっていったとかそうでないとか。
デートというものの何たるかをニーナは知らない。そういえば以前からパコがしばしば口にしていたような気がするが、全くもって意味はわからないのだった。
「アップル、デートとは何ですか?」
「えっ? それはねえ、深い仲の二人が出かけて食事をしたり、手を繋いだり、愛を確かめ合ったりすることよ」
「愛を確かめ合うとはどういうことですか。どうすれば確かめることができるのですか」
「そりゃもう決まってるわ。珍珍かもかもよ」
「……?」
目が据わっているアップルを尻目に、シナモンがニーナに耳打ちした。
「ごめんなさいニーナさん。姉さんのはただの耳学問だから、あんまり真に受けないで……あいてっ」
「聞こえてるわよ!」
仕事終わりに十六夜から「次の休みに二人で街に出かけないか」と誘われたとき、ニーナは真っ先にアップルの話を思い出したのだった。
「それはデート、ですか」
「デ、デ、デート!?」
十六夜はひっくり返らんばかりに仰天したが、やがて絞り出すように答える。
「ああ、その通りだ。俺は君とデートをしたいと思っている。もしも嫌ならそう言ってくれて構わん。どうだろうか」
「構いません。行きましょう」
ニーナは即答した。人里にやってきてからしばらく経つが、まだまだ知らないことが山ほどある。デートもそのうちのひとつだ。それを十六夜に教えてもらうことができるならば願ったり叶ったりだ。
「本当か?」
「はい」
「そ、そうか」
十六夜は心底安堵したという風に胸を撫で下ろした。
「良かった……断られやしないかと戦々恐々としていたのだ」
「何故?」
「俺と君は、そういった間柄ではないからだ」
ニーナは首を傾げた。含みのありそうな言い方だが、そういう間柄とはどういう間柄なのか。
「いや、いい。忘れてくれ。それより、当日は列車に乗って少し遠出をしようと思うが、どうだろう。君はほとんど乗ったことがないだろう」
「あなたに任せます」
「では、少し大きな町に行こう。目新しいものがたくさん見られるはずだ。きっと君も楽しいと思う」
十六夜はどことなく浮わついたようすで捲し立てる。大きな町とは、どれくらい大きいのだろう。何があるのだろう。魔法のような面白いものも見られるのだろうか。そんなに楽しいところなら、パコも誘えばもっと楽しいに違いない。
「それではパコも誘って、三人で行きましょう」
「うむ、そうだな。では三人で行こう!」
***
前日の夜には雨が降っていたが、朝になると嘘のように晴れ渡っていた。石鹸で磨いたかのようにすっきりとした青空が、水たまりに映り込んでいる。
「おお、遠出するにはお誂え向きの陽気だな」
マントを羽織った十六夜が、空を見上げて上機嫌に呟く。十六夜に続けて玄関を出たニーナが、それに倣って空を見上げた。しかしニーナに続けて表に出てきたパコは、晴天に似合わない渋面だ。
「うんうん、そうだな。まさしくデート日和だよな。なあセンセイ、ちょっと顔貸してくれ」
パコはニーナから距離を取って、十六夜の肩に腕を回した。
「あんたって奴は、いったいぜんたい何を考えてるんだ。ニーナちゃんをデートに誘えとは言ったが、何で僕もついていくことになるんだよ。おかしいと思わなかったのか?」
「しかしニーナ殿がそうしたいと……」
「あの子はデートの意味がわかってないんだよ、察しろよ、この唐変木!」
「な、何をそんなに怒っている。お前だって近頃働き詰めで疲れていただろう。たまには息抜きをしたほうが良い」
「それはお気遣い痛み入るけど! ありがとう! ああ、あまりの望みのなさに涙がちょちょぎれるよ」
「何を話しているのです。早く行きましょう」
密談する男二人を急かして、ニーナが先陣を切って歩き出す。十六夜とパコは顔を見合わせて、慌ててその後を追った。
停留所から路面機関車に乗り込むと、蒸気の白い煙が溢れ返った。窓際に腰かけたニーナが車内をきょろきょろ見回していると、左隣に座った十六夜が声をかけてくる。
「ニーナ殿は、列車に乗るのは二度目か?」
「はい。この町に来るときに乗ったのが初めてでした」
ニーナは窓の外の景色を眺めながら答えた。石造りの街並みが後ろに流れていく。潮の香りが鼻腔をくすぐる。汽笛の音と車輪の音が、重なり合って響き渡った。
「この乗りものは、どうやって動いているのですか?」
「センセイ、この乗りものはどうやって動いてるのかってさ!」
正面に座るパコが、走行音に負けない声を出す。
「うん? ああ、石炭を燃やして動いているのだ。ボイラーで水を熱して蒸気を作り、その圧力によって車輪を動かしている」
「あれっ、機械のことはからっきしのセンセイにしちゃあ、まともな説明じゃないか」
「む……ニーナ殿を見習って、俺も学んだのだ」
ニーナは宙を見上げる。石炭の話は、最近双子が話して聞かせてくれたばかりだ。
「炭鉱で採れるという、石炭ですか?」
「お、ニーナちゃん知ってるんだ。この町は鉱山を有していて、この列車もそこで採れた石炭を使って動いてるんだよ。親父さんの乗る蒸気船もそう。向こうの機関室では今まさに石炭が燃えてるよ」
パコが機関室を指差すと、汽笛の音が鳴り響いた。
「石炭を採るのはとても大変なことだとアップルとシナモンに聞きました。炭坑夫になったら人生がおしまいだと。だから十六夜には感謝していると」
「俺に?」
思いがけず自分の名前が出てきて、十六夜が目を丸くする。髪を切って眼鏡をとってから、十六夜の表情は随分わかりやすくなった。
「しかしまあ、そういった過酷な仕事を引き受けてくれる人がいることに日々感謝せねばならんな。お陰でこうして、町から町をひとっ飛びで移動できるのだから」
「そうですね。私の方が速いけれど」
「済まない、今何と?」
「あーっ、わーっ、ほら、ニーナちゃん見て見て! 橋だよ!」
パコが強引に会話を打ち切ったため、ニーナの発言は十六夜には届かなかった。パコの指差す方を見やると、汽車は運河に架かる鉄橋に差し掛かっていた。
「な、何だ。お前そんなに橋が好きだったか?」
「うん。橋かっこいー」
高々とそびえるアーチ状の橋脚の下を見やると、水路を往く貨物船の姿が見える。水面は穏やかで、陽光を受けてきらめいていた。
「あの船は海から来ているのですか」
「ああ。この運河は水深があるから大型の船でも通ることができるぞ」
「大きな船……」
窓際に頬杖をついたニーナの白い髪を風が弄んでいく。流れる景色を子どものように見つめるニーナの横顔を、十六夜が眩しげに見やる。二人のようすを見守っていたパコは、ほんの一瞬だけ、ほろ苦いものを噛み締めるような表情を浮かべた。
***
路面機関車が停車したのは、靴鳴り町の中心部にある停留所だった。煉瓦造りの建物が建ち並び、道には大勢の人が行き交っている。青珊瑚町も往来が多いほうだが、この街はそれを上回る活気があった。
靴鳴り町がその名で呼ばれるようになった所以は、群雄割拠の時代からこの町を守る騎士団の存在にあった。出征のため、あるいは凱旋のために踵を鳴らして行進する彼らに因んで、この町の名がつけられたのだという。彼らの勇姿を一目見ようと、人々は仕事や用事、果ては煮込んでいる鍋までほっぽり出して駆けつけたため、その日はそこかしこから豆の焦げる匂いがしたという笑い話まである。太平の世となった今でも、騎士団の行進はパレードに形を変えて、町の名物行事になっていた。
「すごい人出だね。ニーナちゃん見える?」
「見えません」
パレードを見物するべく繰り出したはいいものの、人垣でろくに前が見えない状態だ。
「ではもっと前に行こう。ニーナ殿、はぐれないようついてきてくれ……痛っ!」
十六夜が先陣を切っていこうとするので、パコが力いっぱい背中を叩く。
「おい、何をするのだ!」
「あのな。あんたは今日いったい何しに来たんだよ。デートだろ、デート。あんたがニーナちゃんをエスコートしなくて誰がするんだ」
「エ、エスコート?」
十六夜はニーナをぎこちなく振り返り、肘を曲げて脇を軽く空けた。
「ごほん。ニ、ニーナ殿、ど、どうぞ。俺に掴まるといい」
「掴まればよいのですか?」
ニーナは右手で十六夜の腕に腕を絡め、左手でパコの手を掴んだ。パコは驚きに目を見開く。
「えっ? いや、僕は」
「何をしているのです。早く前に行きましょう」
「……そうだね」
三人は人だかりをかき分けて最前列に躍り出た。すると鼓笛隊のラッパの音が響き渡り、人々の歓声が上がる。一糸乱れぬ足取りで隊伍を組んだ騎士が、威風堂々と練り歩くのが見えた。屈強な肉体を鋼の鎧に包み、背筋をぴんと伸ばした姿は圧巻である。
「おお、さすが騎士団、勇ましいねえ」
「う、うむ」
感嘆の声を上げるパコに対し、十六夜の反応は歯切れが悪かった。ニーナが掴んだ腕の先を見上げると、十六夜は首まで真っ赤にして硬直している。
「あはは、ニーナちゃんと手を繋いでるからって緊張しすぎだろ」
「これが緊張せずにいられるかっ、俺には何の経験もないのだぞ、お前と違って」
「ばかばか、あんたはニーナちゃんの前で何てことを言うんだよ! ニーナちゃん、僕はこう見えて一途なたちなんだ。誤解しないでおくれ」
「どうだかな。ニーナ殿、気をつけた方がいい。こいつは見ての通りの女泣かせだからな」
自分を挟んでやいのやいのと言い合う二人を見て、ニーナは「あなたたちは仲が良いのですね」と言った。
「まあな。俺たちは兄弟のようなものだからな。家族であり友でもある」
十六夜が深く頷くと、パコが陽に透けるすみれ色の目を細めた。
「こんな手のかかる兄貴がいたら大変だっての。けど、うん、まあ、そうかもね」
白い歯を見せて、パコはパレードの方へ向き直った。ニーナの手を握りしめる力が、微かに強くなった気がした。




