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1-08 鐘楼

孤児院を出て空を仰ぐ。遠い西の空は、茜色に染まりかけていた。

ギルが「大神殿へ戻ろう」と言いかけた時。

踊るような足どりで数歩先にいた聖女が、くるっと振り返って、王都中央に建つ塔を指でさした。


「せっかくだからあの鐘楼に登ろうぜ!」

「…………あのなぁ」

「ここまで来たら、もう一ヶ所寄り道したって変わんねぇだろ。あの塔、すげえ見晴らしが良くて、今日みたいな晴れた夕方は最高に眺めがいいんだ」

「…………」

「今日付き合ってくれた礼に、特別に見せてやる」


自分の物でもないのに、リーヴェは自慢気だ。

聖騎士は躊躇った。だが、少しして大きく息を吐きだした。


「……本当の本当に、最後だぞ」

「わかってるって。お前、顔はシケてるけどいいやつだなぁ!」


「早く行こう」と嬉しそうに自分の手を引くリーヴェに、今日何度目かわからないため息を零す。エミリにしたたか怒られるだろうが仕方ない。彼は腹を括った。




街のほぼ中央に建つ古い鐘楼は、王都の建築群でもひときわ高い。天辺に吊るされた鐘は、毎日決まった時刻に鳴らされ、時の移りかわりを知らせていた。


リーヴェが裏口の扉を叩くと、ひとりの男が顔を出した。

鐘楼の管理を任されているカイルという中年の男は、彼女を見て、途端に相好を崩した。


「おお、しばらく見なかったが元気そうだなぁ、リーン!」

「久しぶりだな、カイル。今日もちょっとだけ上に登りたいんだけどいいか?」

「もちろん構わねえが……なんだ、そっちの兄ちゃんとデートか?なかなかいい男じゃねぇか。

お前さんみてぇなじゃじゃ馬に付き合ってくれる男なんて、そうはいねぇからなぁ。大事にしろよ!」


……また妙な誤解をされてしまった。ギルはむっと眉を寄せる。


「リーンとはただの知り合いだ」

「そういうのじゃねぇってば」


二人同時に反論すると、カイルは「息はぴったりだな」と噴きだして、上階に続く階段に二人を案内した。




「早く来いよ、日が沈んじまう!」


リーヴェは膝丈のスカートをひらめかせて、一気に段を駆け上がった。

相変わらずとんでもない身体能力だ。ギルが本気を出して追いつくかどうか。

二人はあっという間に階段を上りきって、最後の一段に足をかけた。


……そしてたどりついた最上階には、想像を越える美しい景色が広がっていた。


赤く染まった雲がたなびく空は、どこまでも高い。

視線を下げると、夕陽に照らされた王都の街並みが、整然と続いていた。眼下の小さな建物は、まるで玩具のように愛らしい。

薄く靄がかった街の向こうは、長閑な田園風景が続いている。さらに遠くへ目を凝らせば、聖峰クルカカーンを擁する山陵が、夕墨にうっすらと浮かび上がっていた。


「……すごいな」

「な、言っただろ」


思わず感嘆すると、得意げな相づちが返ってきた。悔しいが、たしかにこの風景は一見の価値がある。


二人は暫く、地平線に沈む夕陽に見入った。その時、隣から「くぅ……」と小さな音が鳴った。


「…………空腹なんですか」

「空いてねぇよ」


言い終わる前に、もう一度「くぅ」とさっきより大きな音が鳴る。ギルは笑いを堪えながら、がさごそと荷物から菓子を取り出した。


「どうぞ」

「……でもこれ、お前のだろ」

「リーヴェ様は、ご自分の菓子を全部孤児院にあげてしまったでしょう。だからこちらは貴女に差し上げようと思ってました。気にせず召し上がってください」

「…………」

「手が疲れます。早く受け取ってくださいよ」


まったく手のかかる聖女だ。

ずいっと包みを差し出すと、リーヴェはしかめ面でそれを受け取った。彼女はびりびりと雑に包みを破き、菓子をひとつ口に放り込む。


「……うまいな」

「でしょう」

「お前、口調が戻ってるぞ」

「ここには誰もいませんから。身分を隠す必要もありませんし」

「屁理屈だな」


聖女は肩をすくめた。その後は、隣からポリポリと小気味の良い音が続く。

黙々と菓子を食べる聖女をちらっと見て、ギルは今日一日、ずっと気になっていたことを尋ねた。


「……神殿を脱走したら、貴女はいつもこんなことをしていたんですか?」

「こんなことって何だよ」

「人助けとか、そういうことです」

「あぁ、うん。そうだよ」


紺色から茶色に変えた髪をふわふわと風に遊ばせて、菓子をかじっていた聖女は、事も無げに頷く。


「なんでまた?」

「だってあたしは、聖女だから」


リーヴェはあっさり回答する。


「────力は、弱いひとのために使わなきゃいけねぇの。そんで、あたしはあたしのやり方でひとを助けたいだけ。大神殿に閉じこめられてたら、本当に困ってるひとには会えねぇからさ」

「…………」


幼い子どものような無垢な横顔が、ふとこちらを向いた。菓子の欠片が口の端についている。

星の色を隠して薄茶色になった瞳が、夕陽を映してギルを覗きこんだ。


「お前はなんで聖騎士になった?」


何の気負いもない、純粋に疑問に思ったから聞いた、という響きの問い。だからこそ正直に答えようと思ったのかもしれない。

誰にも言えなかった、自分の本音を。




「笑いませんか?」

「内容によるな」


リーヴェは軽く肩を竦めた。その正直さに思わず苦笑する。


「…………オレは子どもの頃、花屋か菓子屋になりたかったんです。でも、騎士の親父にふざけんなと殴られまして」


そこで一旦言葉を切り、軽く息を吐いた。


「それで、嫌々騎士になったんです。でも、親父と同じ騎士団は御免だったので、聖騎士を選びました。

そこから本気で努力して、親を見返すために"朱炎"になるまで頑張ったんですが……」

「…………ふぅん」

「最近……自由気ままに振る舞う貴女を見ていたら、そういうのが全部、バカらしく思えてきたんですよね。

聖騎士を続けるべきなのか、とか悩んだりして。………オレはどうしたらいいと思います?」

「なんだそれ。そんなのあたしが知るかよ」


呆れたようにこちらを見る瞳が、何かに気づいたように細められた。


「あぁ……だからお前は、そんなシケたツラしてんだな」


……相変わらずこの女は口が悪い。そして鋭い。

顔をしかめたギルに、聖女は悪どい笑みを浮かべた。


「初めて会った時、お前は、わざとあたしを怒らせようとしただろ。おおかた、聖女に嫌われたら、大手をふって神殿を出ていけるとか思ったんじゃねぇの?」


ギルは図星をつかれて、ぐっと口を引き結んだ。そんな彼を見て、リーヴェはおかしそうににやっと笑った。


「その顔、当たりだな」

「……黙秘します」

「思い通りにならなくて残念だったな」


リーヴェは、ふんと鼻で笑って何かを言おうとした。だが、


「あたしは…………いや、この話はまた今度にしよう」


茶色の頭を軽く振って、彼女は口をつぐむ。

そして、遠くへ飛び去る鳥の群れを見ながら、「あたしもお前も、籠の鳥かもしれねぇな」とポツリと呟いた。


ギルは頭上を見上げた。

西の空はまだ明るいが、すでに天の半分は深い藍色に染まっている。夕方というより、夜と呼べそうな時間だった。


「そろそろ帰りましょう。エミリ殿が待ちかねています」

「そうだな」


踵を返して階段に向かおうとしたギルを、「なぁ聖騎士」と涼やかな声が引き留めた。

振り返ると、宝石のような深い輝きを湛えた瞳が、真剣に自分を見つめていた。


「…………夢は叶うよ。お前が忘れなければ、な」




二人はカイルに礼を言って、転移の呪符で神殿に戻った。そして、彼らの不在を必死で隠していたエミリから、涙ながらの激しい非難を浴びてしまった。

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