1-07 遺孤
「あれ、誰もいねえ」
隣のリーヴェが辺りをぐるりと見回した。
噴水前の小さな広場は閑散としていた。大道芸人も見物人も見当たらない。
芸の名残か、石畳の上にきれいな色の紙吹雪が散っているが、通行人も少ない。あとは、野良猫が噴水の縁でのんびり欠伸している。
「ここに来るまで二刻はかかったしなぁ。どっかに移動したのかもな」
リーヴェはうーんと唸って、「でも、一日一善どころか十善はしたな!」とけろりと笑った。聖騎士は、彼女を疲れた顔で見下ろす。
「リーンはなんでそんなに元気なんだよ……」
「お前が軟弱なんだろ。鍛え方が足りねえぞ」
フフンと笑う聖女。それに言い返す気力もない。
さんざん人助けに巻きこまれたギルは、心身ともにぐったりしていた。
────そもそも、アル爺さんの店からこの噴水まで、普通に歩いて四半刻もかからない。
その途中、リーヴェは盗人を捕まえ、木から降りられなくなった子猫を助け、荷物を抱えたお婆さんを家まで送り、転んでケガをした小さな子の傷を癒し……
人助けにかなりの時間を費やした。
時間を食った理由は他にもある。
リーヴェは王都に知人が多く、少し歩くごとに声をかけられるのだ。盗人を連行した王都警備隊にも顔見知りがいて、「またあんたか」と呆れ顔で言われていた。
ここに来ようと言った本人は「あー大道芸見たかった!」とぐっと伸びをしている。そんな聖女に、ギルは呆れ気味に尋ねた
「そりゃあんだけ道草食ったら無理だろ。……がっかりしたか?」
「いや、全然」
リーヴェは肩を竦めた。あっけらかんとした顔を見ると、強がってるわけでもなさそうだ。しかしなぜかギルに同情心が湧いてしまった。
「これからどうする?」
「んー、あとは夜のイベントしかねえからなぁ。仕方ない、そろそろ神殿に帰るか?」
銀から薄茶に変わった瞳が聖騎士を見上げた。
「同意すべきだ」とギルの理性が囁く。だが、口をついて出たのは別の言葉だった。
「……少し寄りたいところがあるんだ。良かったら一緒に行かないか?」
「なんだ、すぐ帰ろうって言われるかと思った。別にいいけど、どこ?」
聖女が軽く眉を上げる。ギルは自分に「もう少しだけ」と言い訳して、行き先を告げた。
+++++
二人が来たのは、"金糸雀通り"と呼ばれる王都の一角。宝飾店や花屋、カフェが立ち並ぶきれいな通りで、王都の女性に人気の場所だ。
星誕祭の今日は、店先に赤や黄、緑などの色とりどりのランタンがたくさん吊り下げられ、通りを華やかに彩っている。
手近な花屋に歩み寄ったギルは、所在なさげなリーヴェを手招いて、小さな花束を指さした。
「せっかくだし、花でも買って帰ったらいいんじゃないか。……これはスールという花だな。花言葉は"永遠の愛"」
「けっ、何が"永遠の愛"だ。愛や花じゃ腹はふくれねえよ」
「そうかよ。オレは記念に一束買って帰る」
リーヴェの悪態にはすっかり慣れてしまった。これくらいなら腹も立たない。
仏頂面のリーヴェを店先に待たせ、幾つかの花束を真剣に見比べる。
「なぁ、いつまで選んでんだよ」
「うるさい静かに待ってろ」
「はーやーくー」
リーヴェに背中をちょいちょい突つかれながら、ギルは棚に並んだ花束から一つ選んだ。レモンイエローのスールに、薄い青と白の小花の組み合わせだ。
騎士服や剣をまとめた背負い袋に、花束を潰さないようにしまって、彼は通りの奥を指した。
「確かに花じゃ腹はふくれないな。リーン、あっちの菓子店に行こう。あの店は王都でも有名なんだ」
「ふーん……」
気のなさそうな返事が返ってくる。
人助けには熱心なのに、花や甘いものには興味がないらしい。ここに連れてきたのは失敗だったかな、と思いながら、ギルは彼女を連れて次の店へと向かった。
「ここの焼き菓子はおすすめなんだ。あ、祭限定の商品もあるな。これは買って帰ろう」
「……お前、詳しいな?」
「いいだろう別に……ていうかリーン、なんでそんなに買いこんでんだよ!一人で食えないだろその量は!」
自分用の菓子を選んで横を見ると、主はワゴンの菓子を両手いっぱいに抱きかかえていた。
さっきの気のない返事は何だったんだ。幻聴か。
「いいからいいから。お前は荷物持ちやれ」
「待て!こんなに買って帰って見つかったらどう言い訳するんだよ!」
「あ゙あ゙?悪いか。てか、ここに連れてきたのはお前じゃねぇかよ」
「……あーあー、わかったよもう」
店の前で口論になりかけて、店員のお姉さんが困惑しているのに気づく。聖騎士は仕方なく引き下がった。ここが出禁になったら困る。
ほくほくした顔で菓子を大量購入したリーヴェを眺めて、彼は深くため息をついた。
店を出たら、ギルは菓子の入った紙袋をたくさん持たされた。周囲から生ぬるい視線を集めてしまい、とても居心地が悪い。
大の男が大量の菓子を持たされている図が、そんなに微笑ましいか。このやろう。
「もういいだろ……帰ろう」
「その前に、あたしも寄りたいところができた。本当に最後にするから頼む」
急かすギルに、リーヴェはやけに真剣に頼みこんだ。
「ここからそんなに遠くないから、」
「………………本当に最後だからな」
「やった!恩に着る!」
ここで強硬に断って逃げられても困る。
渋々承諾したギルに、聖女はにいっと笑みを浮かべた。
……彼女が行きたがったのは、"金糸雀通り"から歩いてすぐの、何の変哲もない、古ぼけた石造りの建物だった。こんな場所に何の用だろう、とギルは内心首を傾げる。
コンコンと扉をノックして待っていると、内側から明るい子どもの声が近づいてきた。
傾きかけた扉がギィ、と開かれる。その隙間から顔をのぞかせたのは、初老の女神官と、数人の子どもたちだった。
「まぁ、リーンさん!よくいらっしゃいました。どうぞ中へ入ってくださいな」
「おねえたん!」
「わぁ、リーンおねえちゃんだぁ!」
「今日はお連れの方もおいでなのですね。あなたもどうぞこちらへ」
にこやかな神官に促され、戸惑いながら建物に足を踏み入れる。
「……ここは孤児院なんですの。リーンさんにはいつも良くしていただいておりますわ」
ギルの困惑に気づいた老女の神官は、そう言ってにこりと微笑んだ。一方リーヴェは、じゃれつく子どもたちに、見たことのない優しい笑みで応じていた。
「今日は土産があるんだ。あのシケたツラの兄ちゃんが持ってる袋に菓子がたくさん入ってるから、みんなで分けて食え」
彼女がそう言うと、子どもたちからわぁっと歓声が上がった。
「誰がシケたツラだ……」
ぼそりと呟きながら、「まぁまぁ!」と感激している老女に紙袋を渡す。眉を寄せた聖騎士は、振り返ってニヤッと笑ったリーヴェと目が合った。
……本当に小癪な娘だ。
「こんなにたくさん……ありがとうございます」
「気にすんな」
涙目になった神官に歩み寄って、彼女の肩をポンと叩くと、リーヴェは子どもたちに向き直った。
「じゃぁまたな。みんな、あたしが次来るまでいい子にしてんだぞ」
「えっ、リーンお姉ちゃんもう行っちゃうの!?」
「あそんでよぅ!」
「ごめんな、今日は時間がねえんだ。見張りもいるしな。また今度遊んでやる」
見張りだと紹介され、非難の視線を一身に浴びたギルは、眉間の皺を深くして黙りこむ。そんな彼を見て、聖女は年相応の、屈託のない笑顔になった。
……古びた建物の中庭で子どもたちに囲まれたリーンは、大神殿にいる時より、ずっと幸福そうに見えた。そのことに、ギルは小さくない戸惑いを覚えていた。