1-04 脱走
祭の開催を告げる挨拶は、無事に終わった。
控え室の前で、主が着替えるのを待つ。
ギルは扉を警備しながら、これから降りかかるであろう災難に、頭を悩ませていた。
「……このお祭り騒ぎで、リーヴェ様が大人しく出来るわけないだろうな」
一人ごちて、ため息をつく。
聖女に仕えて約一ヶ月。その間、ギルは、主の性格や行動様式の把握につとめてきた。
その理解に照らせば、リーヴェはまさに「嵐」としか言いようがない。
傍若無人で勝手気まま。子供のように無邪気なところがあって、それは一万歩譲ってかわいいと言えなくもないが、何かあれば、即座に手も足も出る。
しばしば大神殿を脱走し、こちらが慌てて探している間に、しれっと帰って来る。
神官長に何を言われても、反省する様子は一切ない。
ギルは聖女の脱走を止める立場だが、成功したことは一度もない。毎回失敗に終わっていた。
……だが今度こそ。
あれこれと策を練っていると、小さく開いた扉の隙間から、頭痛の種がひょいと顔を覗かせた。
「おぅ聖騎士、着がえ終わったぜ。入れよ」
ぞんざいな口調はリーヴェのものだ。さっき上品に微笑んでいた聖女はどこにいった……
「詐欺だな……」
思わず呟く。
リーヴェは「なんか言ったか?」と軽く眉を上げた。
「いえ、何でもありません」
「あっそ。ならさっさと入りな」
「……失礼します」
控え室に入ると、中にいた女神官と目が合った。
彼女は、リーヴェとの初対面でも同席していた上級神官だ。名をメアリといい、リーヴェの世話全般を任されている。
困ったように笑ったメアリに、ギルは目礼を返す。それからリーヴェに視線を移し────盛大に顔をしかめた。
「……リーヴェ様、それはどこで買ったんですか?」
「このあいだ新調した。どうだ似合うか?」
くるりと回ってみせたリーヴェは、王都の町娘のような格好をしている。地味な生成りのブラウスに、焦げ茶色のスカートといった出で立ちだ。
「さっきまで、堅苦しいもん着せられてたからな。今日はがんばったから、あとは好きな服を着させてもらうぜ」
「……そうですか」
……似合うかどうかでいえば、よく似合っている。
リーヴェの見目は悪くない。それどころか、美人といってよい。なので大抵の服は着こなしてしまう。
悔しいから、絶対本人には言わないけど。
……造作だけでいうなら、リーヴェは間違いなく美しい。
星明りを集めたかのような、神秘的な白銀の瞳。小さめで形のよい鼻と薄紅の唇。真っ直ぐな紺色の髪は、上質な絹糸のように艶がある。
背丈はやや小柄だが、すらりと伸びた手足は、しなやかな生命力に溢れていた。
誰もが目を奪われる美女。しかも救国の四英雄とくれば、憧れを集めるのも当然だろう。
……しかし問題は中身だ。
現在進行形で振りまわされている彼は、意地でも、リーヴェの容姿を讃える気にはなれない。
今のように嫌な予感がする時は、なおさら。
「…………その服が似合うかどうかは、オレにはわかりませんし、どうでもいいんですが。ただ、ちょっと庶民的すぎませんか?」
「いいんだよ庶民的で。こっちの方が身軽だし、万一泥だらけになったって問題ねえからな。
聖女の服は重くて動きづらいし、汚すと怒られるから嫌いだ」
リーヴェは機嫌よく言う。
ああ、ものすごく嫌な予感がする……
「それってつまり……」
「察しがいいな。このクソみたいな神殿を抜け出して、あたしは祭りに参加するぜ」
「そうじゃないかと思いましたけど!脱走はやめろとあれほど……!」
必死で止めるギルに、リーヴェは悪どい顔で笑いかけた。
「そう言うなって。うまいもん食わしてやるから、ついてこいよ」
「いいですね楽しみです……って言うわけないだろう!却下ですそんなもん!」
「え、お前行かないの?護衛なのに?」
「護衛だから止めてるんです、今日は力ずくで阻止しますよ!」
「ほーぉ、止められるもんなら止めてみろよ」
ふふんと不敵に笑った聖女は、どこからか取り出した呪符を、ギルとエミリに見せびらかすようにヒラヒラと振った。
側近の二人はぎょっとして顔色を変える。
「リーヴェ様、どこからそれ手に入れたんですかぁ?!」
「おい誰だ呪符なんてくれてやったのは!」
「はっはっは。あたしはこう見えて聖女なんで、ツテには困らねぇんだわ」
リーヴェが小さく詠唱すると、彼女の人差し指の指輪がきらりと光った。途端に、彼女の髪と瞳が地味な薄茶に変わる。
「じゃあな」
呪符を奪おうとしたギルの手をするりと逃れ、リーヴェは呪符を発動させた。彼女の足もとに、複雑な文様の魔方陣が現れる。
手が空を切って、ギルは歯噛みした。
彼女を捕まえるのは至難の技だ。
一見か弱い乙女に見えて、リーヴェは体術や剣術全般を得意としている。実際、聖騎士のギルでさえ敵わないほど強い。
一方リーヴェは、頭脳労働に全く向いてないらしい。
以前、「仲間内じゃ"脳筋聖女"って呼ばれてた」とあっけらかんと笑っていた。何だ、その不名誉な二つ名は。
「エミリ殿、オレがリーヴェ様を連れ戻すまで誤魔化しておいてください!」
「は、はいぃっ」
一瞬躊躇したギルは、エミリに向かって指示すると、魔方陣に飛びこむ。明滅する青白い光が聖女と聖騎士を包んで、次の瞬間ふっとかき消えた。
あとには、呆然としたエミリだけが控え室に残されていた。