形にならない
ハロ視点。
「ある聖女の幸福論」の少し後。ややシリアス。
リーヴェの護衛の試作品だというチョコレートケーキ。それを手土産に執務室を訪ねて来たのは、ハロの友人であり、騎士団長を務める獅子の獣人だった。
鍛えられた長身と、枯れ草色の髪と髭。獅子の獣人に特徴的な、丸耳と細い尾。
彼はハロ同様、神託に選ばれし"四英雄"の一人で、共に"悪鬼"討伐を果たした仲間だ。
だがゼラフィールきっての魔術師は、馴れ合いがあまり得意ではない。ぐいぐい押して来る友人の遠慮のなさに、引いてしまう事もよくある。
今もそうだ。
「何の用ですか」と尋ねたハロに、彼は「特に無い。悪いか?」とふんぞり返って開き直っていた。
「用が無いなら帰ってください」
「断る」
退去の要請を、友人──バハートは、忌々しいほどの笑顔で却下した。ハロは冷たく石榴色の瞳を眇める。
彼の冷え冷えとした視線に構わず、バハートは側に控えていた侍従に「ここで食うから準備しろ」と食器とお茶を用意させた。そして侍従を追い出すと、客用のソファに陣取り、ガツガツとケーキを食べはじめたのである。
……遠慮がないにも程がある。
「何をしに来たんですか、あなたは」
ため息をつくと、バハートは軽く眉を上げた。
「美味いぞ。お前も食え」
「私は甘いものが苦手なんです。たくさんは要りませんよ」
「なら、残りは俺が食う」
そこから無駄に集中力を発揮した獣人は、瞬く間に、ケーキの九割を胃におさめてしまった。
先に食べ終わったバハートの満足そうな顔に、毛繕いでも始めそうだな、と思いながら残りの一割を口に運んでいると、ひと呼吸おいた友人はふと真顔になって尋ねてきた。
「───お前はあれで良かったのか?」、と。
「……良かったのか、とは?」
「俺から見れば、"妹分"の成長は喜ばしいがな。お前の感情はまた別だろう」
「どういう意味ですか、バハート」
「お前はリーヴェをかなり気に入っていたのではないか?このまま順当に行けば、あいつは護衛と結婚するぞ」
カタリ、とフォークを置いて、鬼人は冷やかに獣人を眺めた。
「私があの娘に懸想していたとでも言いたいのですか?……あり得ません」
「そうか。なら、出過ぎた真似をして悪かった」
肩をすくめる獣人を、鬼人の魔術師は冷たく睨む。
「下らない事を言いに来たのなら、今すぐ叩き出しますが。それとも、その尻尾を消し炭にして差し上げましょうか」
「別に下らなくはない。俺は、お前を応援してもいいと思ってたんだ。お前の方が付き合いが長いからな」
「…………戯言を」
石榴の瞳を逸らして呟く。同時に、ハロの脳裏に、幾つもの記憶が泡のように弾けて消えた。
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牡羊の如く捻れた、漆黒の巻き角。暗い銀灰色の髪。星のような光が散る、石榴のような赤紫の瞳。
膨大な魔力と、五百年をゆうに超える長き寿命を持つ、不老の一族。それがハロの種族、鬼人族だ。
鬼人族は"悪鬼"の末裔であるとされ、ほんの百年前まで神殿の迫害対象でもあった。その苛烈な蛮行で、ハロの親族も何人か犠牲になっている。子供の頃、目の前で友人が殺されたことさえあった。
約百年前。
フォルターナ聖導王国に降臨した天使が、鬼人族は"悪鬼"だけではなく、虹の女神の血を引くと宣言した。彼らは地上に属する、魂を持った生命である、と。
そこで迫害の時代は終わったかのように見えたが──
迫害がなくなっても、凄惨な記憶が消えてなくなるわけではない。
人の百年と鬼人の百年は違う。鬼人の世代が入れ替わるには、たった百年では短すぎた。
ハロは当初、"神託の英雄"に加わるつもりはなかった。さんざん殺しまくった迫害対象を頼るなど、吐き気がするほどのご都合主義だとしか思えなかったからだ。
そんな自分の前に、王国の遣いとして現れたリーヴェはこう説得したのだった。
「別に、人間や他の種族を守るつもりで戦わなくていいだろ。クソ"悪鬼"が復活したら、鬼人もきっとたくさん死ぬ。同胞を救うつもりでやればいい」
続けて、口の悪い娘は言った。
「鬼人が神殿のやつらにたくさん殺されたのは知ってる。いまだに偏見持つバカがいるのも。だから、あんたを侮辱するやつがいたら、あたしが代わりにブン殴っとくぜ。任せろ」
白銀の瞳を持つ聖女は、不敵にニヤリと笑った。
彼女は、その約束を違えなかった。
同胞のため、という言葉にハロが納得し、王都に移ってすぐの事だ。彼を蔑んだ上級神官を、リーヴェは鉄拳制裁し、顎の骨を折ってしまったのだ。
やりすぎだと非難されても彼女はどこ吹く風だったし、クラウス王子やバハートも彼女に味方した。
以来、風向きは変わった。ハロが不愉快な思いをすることも格段に減った。
また、神殿に泣きつかれて、脱走したリーヴェを探しに街に下りた時の事。
通りすがりの鬼人の娘を捕まえ、柄悪く絡んだチンピラに、リーヴェは華麗な飛び蹴りを食らわせていた。
戦意喪失したチンピラを威嚇するリーヴェは、まるで毛が逆立った猫のようで、連れ帰るのに少々骨が折れた。
それからもいろいろあったが、わだかまりの最後の欠片が溶けたのは、"悪鬼"との最終決戦だったと思う。
ハロは一瞬の不意を突かれ、完全に無防備な状態で"悪鬼"の接近を許した。鋭い鉤爪が自分を両断しようと迫るその時、彼は明確に死を覚悟した。
──だが、死はハロを捉え損ねた。"悪鬼"との間に割って入ったリーヴェが、腕一本を犠牲にして盾となったからだ。
片腕で血塗れのままリーヴェは戦闘を続行し、ようやく"英雄"たちが辛勝した後で、彼女は自分の腕を再生した。そしてすぐさま深い眠りに落ちたのだった。
数日間眠り続けたリーヴェが、「うぁー腹減った」と起きてくるまで、ハロは無表情の下で、聖女の回復を心から願っていた。
ちなみに──リーヴェが戦闘中に片腕を失くした事は、「だっせえから誰にも言うな!」と本人が言い張ったため、"四英雄"しか知らない秘密である。
そうしていつの間にか、"四英雄"の妹的な立ち位置におさまっていた聖女。
たまに脱走を手助けする事はあっても、そうするのはあくまで仲間だから。それ以上でもそれ以下でもない。リーヴェは結局、人間なのだから。
ハロは自分にそう言い聞かせた。
だが──その理屈はただの言い訳にすぎない。深みに填まらないための……或いは、自分を騙すための。
バハートも薄々それを察していたのだろう。言い訳の裏に隠した、ハロの本心も。
普段は呆れるくらい大雑把なくせに、気づいてほしくない事には気づく。本当に厄介な男だ。
静かに息を吐いた魔術師は、誰にも言うつもりのなかった胸の内を言葉に乗せた。
「──リーヴェは天涯孤独で、ずっと家族を欲していました。私では、おそらく叶えられない」
「だが、種族の違う夫婦など、幾らでもいるだろう」
「いいえ。鬼人は長命ですが、代わりに子が出来にくいのです。それに私は性格に難がありますしね。
……あの娘は、人と幸せになるべきです」
目を伏せ、鬼人の魔術師は小さく微笑した。
「そうか」
「そうです」
「お前は難儀な性格だな」と獣人は苦笑した。
それには答えず、ハロは自分の皿に残っていたチョコレートケーキをゆっくり味わう。それはほろ苦く、ほどよく甘かった。
彼は腕の良い菓子職人になるだろう。そんな事を思いながら、最後の一口を食べ終えて、紅茶のカップに手を伸ばす。
「応援してもいい」と言いながら、ライバルの焼いた菓子を手土産にする友人の思考は謎だが、脳筋ゆえに、その辺りは深く考えなかったのだろう。
だが、気分は悪くなかった。
鬼人の魔術師は、形にならなかった何かを押し流すように、残りの紅茶を飲み干した。
お兄ちゃん達の裏話でした。
etc.はひとまずここまで。
読んでくださってありがとうございました!




