番外編・02_聖女と聖騎士、その後
バハートとハロが提示した条件。
それは、結婚式を挙げるなら、クラウスとセラの出席許可をもぎ取ってくる、というもので。
職権濫用……とギルは思わなくもなかったけれど、リーヴェへの効果は抜群だった。
さすが"兄貴分"。聖女の動かしかたをよくわかってる。
「……バハート、その首をかけて約束しろよ」
「約束しよう、脳筋娘」
聖女の部屋にその知らせを持ってやってきたバハートを、まるで決闘の果たし状を叩きつけるかのように睨みつけるリーヴェ。
相変わらず、仲がいいのか悪いのかわからない。いや、これはこれでいいんだろうけど。
当事者の一人であるギルは、白目がちにそんな二人を眺めていた。その隣でエミリが目をキラキラさせている。
「リーヴェ様の花嫁姿が見られるなんて、嬉しいです。ね、ギル殿」
「ええ、まあそうですね」
たんたんと返したギルを見上げて、エミリは「すべてわかってます」と言いたげにニヤニヤした。
だからその顔。やめて。
…………というわけで、翌日から、リーヴェは別人のように結婚式に前向きになった。
猛然と準備に取り組むリーヴェを見て、呆れる反面。
こんな状況になって初めて、ギルは、自分が彼女の花嫁姿を楽しみにしている事に気づく。
エミリはつくづく慧眼だ、とギルは思ったのだった。
そうして順調にことは進み。
あっという間に日々が過ぎて。
二人の式は、もう目前に迫っていた。
+++++
「ギルさん、大変です!」
とある街の宿に到着して早々。
荷物を整理していたギルの部屋に、血相を変えた髪結師の女性が飛びこんできた。
何かトラブルだろうか。身構えながら、ギルは彼女に問いかける。
「どうしました?」
「リーンさんが見当たらないんです!」
トラブルの原因は花嫁だった。
ギルは眉間をおさえた。
ひさびさの脱走だ。
彼女が行きそうな場所に、素早く当たりをつける。
「すぐ連れ帰りますので、部屋で待機してください」
髪結師に伝えて、即座に駆け出す。
……ギルとリーヴェの結婚式は、とある事情で、王都近郊の街で挙げることになった。
今日は式の三日前。二人はたくさんの荷物とともに街に移動し、最終的な調整に入る。やることは山積みだ。早めにリーヴェを連れ戻さねばばらない。
ちなみに多忙を極めるバハートとハロ、エミリは、当日に転移魔術で来る予定になっている。
だが、もう一組の招待客は、今日別の宿に到着する。リーヴェはきっとそちらに向かったのだろう。
町を疾走しながら、ギルはそう予測を立てていた。
はあ、はあ、と息を切らし、ギルはもう一つの宿の前に立っていた。
中から、「ちょ、お待ちください!」「うるせえ、そこをどけ!」と言い争う声が聞こえる。
あの声。リーヴェに間違いない。当たりだ。
宿に飛びこんで階段を駆け上がると、リーヴェが騎士風の男に殴りかかろうとしているのが見えた。
ギルは彼女をとっさに羽交い締めにして、すんでのところでその暴挙を回避した。
危なかった……
「リーン、落ち着け。殴ったら式が中止になるかもしれない」
「ちっ」
リーヴェが舌打ちしたその時、騎士が背にしていた扉がすっと開いた。
「いったい何の騒ぎ?」
扉から顔をのぞかせた青年の目が、大きく見開かれる。
「おー殿下!元気そうだなぁ!」
羽交い締めにされたリーヴェに、ニカッと笑いかけられた美貌の青年──クラウスは、驚きを浮かべ、青い目をパシパシ瞬かせた。
「リーヴェ……じゃなかった、今はリーンだったね。
君、どうしてここにいるの。それに僕はもう殿下ではないけど」
「えーと、クラウス様と、セラに会うために脱走してきたんだ!」
「……そういうことか。君は相変わらずなんだね」
クラウスはくすりと苦笑して、護衛の男に目配せする。そして、「せっかくだから、二人とも少し休んでいって」と部屋に招き入れてくれた。
「セラ!あんたも元気そうだな!」
部屋に入った途端、リーヴェは中にいた美女に飛びついた。
「ちょっと、危ないわ」
抱きつかれた美女──セラは慌ててリーヴェを押しやって、手にしたカップをソーサーに戻す。
クラウスは、セラとお茶を飲んでいたらしい。テーブルには二人分のセットが用意してあった。
セラは優雅な仕草で立って、ひとしきり再会を喜んだ後、リーヴェに呆れた視線を投げかけた。
「聞こえてたわよ。貴女、自分の結婚式の準備を放り出して、脱走してきたんですって?」
「ああ。二人が来てるって聞いて、いても立ってもいられなかったんだ!」
「聖騎士さんを困らせちゃダメでしょ」
「だいじょーぶ」
へへっと笑ったリーヴェにますます呆れ顔になったセラは、「あなたも大変ね」とギルに苦笑した。
そう────ハロとバハートは、きっちり約束を守ってくれた。結婚式への出席を特別に許可されたセラとクラウスは、監視付きだが、この街に数日滞在することになったのだ。
リーヴェとギルが、結婚式を王都ではなくこの街で挙げることに決めたのは、他でもないセラのため。
罪人として追放された彼女は、王都に入ることができない。それが理由であった。
────大神殿の事件後、結局、クラウスは王太子位を返上し、彼の代わりに王太子に選ばれたのは、国王の甥で、クラウスの従兄にあたる青年だった。
去年クラウスの父である王も退位し、彼が新たな王として即位している。堅実に物事をすすめる若き王は、国民の間でも評判がいい。
王の代替わりに伴って良いこともあった。クラウスとセラが、特別に恩赦を賜ったのだ。
魔物の憑依とは関係なく、二人は出会った頃から、本当に想い合っていたらしい。憑依が解けて、クラウスがセラの事情を知った後も、クラウスの想いは揺らがなかった。
恩赦の後、クラウスはすぐにセラを追いかけ、二人は近々結婚式を挙げる予定になっている。その後は小さな領地を賜り、慎ましく暮らしていくという。
もちろん、ギルとリーヴェも彼らの結婚式に招待されていた。
「……大丈夫じゃないぞ。髪結師の方が真っ青になってた。打ち合わせもまだだ」
「いいじゃねえか、ちょっとくらい。ケチ!」
ギルの苦言に、べっと舌を出したリーヴェは、クラウスとセラに向き直った。
「二人に聖女の祝福かけたら行く」
「普通、花嫁が祝福される側だと思うけどね」
「そんなんどうでもいい。あたしは、あんた達に幸せになってもらいたいだけだ」
クラウスの冗談めかした言葉に、リーヴェはフン、と鼻を鳴らす。そして並び立つ美しい男女の額に、そっと指でふれた。
「二人に、星の導きがありますように」
祈りを捧げたリーヴェは、「すげえ強力なやつにしといたぜ!」と自慢げに胸を張った。
「ありがとう。でも僕たちはとっくに幸せだよ。……君も幸せになって」
隣のセラを抱き寄せたクラウスは、その滑らかな頬にキスを落とし、リーヴェに片目を瞑ってみせた。
セラの美しい顔は平静を装っているが、その耳は赤い。
「あーはいはい、ごちそうさま。そろそろ邪魔者は消えるぜ。じゃあ行くぞ、ギル」
「リーヴェ、護衛殿、またね」
「次来るときは、前もって知らせなさいよ」
「おい待て!……すみません、失礼いたしました」
せっかちなリーヴェは、挨拶もそこそこにギルを置いていなくなってしまった。ギルは二人に一礼し、慌てて宿を出る。
早足でどうにかリーヴェに追いつく。
並んで歩きはじめたギルを、聖女はちらっと見上げた。その横顔は、鼻歌を歌いだしそうなほど機嫌がいい。
「……なあ。あいつら、聖女の祝福なんて必要なさそうなくらい幸せそうだったな」
聖女はそう言って、それは嬉しそうに笑ったのだった。
……そのようなドタバタを乗り越えて、ようやく結婚式当日がやってきた。
ギルとリーヴェの親族の出席はなかったが、代わりに、ハロとバハート、エミリ、クラウスとセラが立ち会う。
ステンドグラスが美しい神殿を貸しきっての、ごくささやかな、小さな式。
白い花で控えめに飾りつけられた、小さな礼拝堂の壇上。聖騎士の正装に身を包んだギルは、緊張しながら花嫁の入場を待っていた。
ここに来るまで、いろいろな事があった。つい感傷に浸ってしまうのは、聖女の護衛になってからリーヴェに振り回されてばかりだったからだろう。
これからも振り回されるのだろうが、きっとそれも悪くない。
この式を終えたら、リーヴェは聖女をやめる予定だ。
そしてただの「リーン」になる。
ギルも聖騎士を引退し、本格的に菓子屋を開く準備に入る。
──やがて扉が開き、その向こうに美しい純白の花嫁衣装を纏ったリーヴェが立っていた。
入場のエスコートを買って出たのは、チョコレートケーキ争奪戦で、聖女と死闘を繰り広げた"兄貴分"。バハートである。
二人はゆっくりと祭壇に向かって歩いてくる。
バハートをちらりと見る。今日は乱れなく髪を撫でつけた獅子の獣人が、ギルに向かって、片目を軽く瞑ってみせた。
招待客の席では、エミリが感極まって号泣している。ハロはいつもの無表情のまま、エミリにハンカチを差し出していた。
クラウスとセラは穏やかな笑みを浮かべて、歩いてくるリーヴェを見守っている。
やがてリーヴェはバハートから離れ、一人で壇に上がり、ギルと静かに向かい合った。ギルは手をのばし、繊細なレースのヴェールをそっと上げる。
素顔になった美しい花嫁は、眩しそうに美しい瞳を細めた。
「きれいだ、リーヴェ。誰よりも」
「……そうか。なら頑張った甲斐があったぜ」
心からの賛辞を送ると、花嫁は小さく首を傾けて、はにかむような笑みを浮かべた。ギルは、その微笑を一生目に焼き付けていこうと思った。
二人の結婚式編でした。
番外編もお読みいただき、本当にありがとうございました!




