1-03 星祭
聖女の護衛になって、ひと月が過ぎた。時間が経つのがやたら早く感じるのは、慣れない仕事に四苦八苦しているからだろうか。
そうしてる内に、いつの間にか、リーヴェの巻き起こす理不尽な騒動も日常の一部になっている事に気づく。
慣れとはつくづくおそろしい。
諦めて受け入れつつある自分がいる。無駄に忍耐強くなったとも言う。
自分から辞めてやるものか、と意地になった結果だが……正直嬉しくはない。
ただ慣れたといっても、リーヴェの脱走などは一度として阻止できたためしがなく、ギルは毎回逃げられていた。
脱走阻止。それがいつしかギルの目標になっていた。
そうしてリーヴェを追い回している間に──落日の時刻は少しずつ早くなり、朝晩の空気がひんやりしたものに変わっていく。
王都は今、夏の終わりを迎えていた。
この時期は、誰もが楽しみにしている"星誕祭"の季節でもある。祭を前に、王都には華やいだ空気が流れていた。
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────祭の幕開けにふさわしい、よく晴れた晩夏の午後。澄んだ蒼穹に、数本の白いすじ雲がたなびくほかは、天は深い青一色。
聖騎士ギル・ガディットは、控え室の窓から神殿前の広場を見下ろした。
広場は、大勢のひとびとで埋め尽くされている。聖女が現れるのを、今か今かと待ちわびているのだ。
…………夏から秋へとうつろう、この時期。
年に一度の祭───"星誕祭"を迎えて、国内は大いに盛り上がりを見せていた。
星誕祭とは、"星海"の神々を讃える祭。
夏の終わりの五日間、王国は祭一色となる。
聖誕祭は大陸各地で行われるが、ゼラフィールのそれはとくに規模が大きい。さらに今年は、四英雄による"悪鬼"討伐後の、初の開催となる。
王国の民はみな、祭を心待ちにしていた。
新しい護衛をおちょくって遊ぶことに励んでいたリーヴェも、祭初日は、"麗しの聖乙女"としてひとびとの前に立つ。
その大役を果たすため、リーヴェは大神殿の控え室で待機しているところだった。
「お時間です、こちらへ」
神官の声で、大人しく待っていた聖女はすっと立ち上がった。
透かし模様が織りこまれた、純白の衣装を着た彼女は、星の光を纏っているかのように美しい。
……普段とはまるっきり別人だ。
かすかな衣ずれの音をさせ、優雅に歩く聖女のあとに続き、ギルも部屋を出た。
主礼拝堂の大扉の前まで移動し、聖女と控えの者たちは足をとめた。神官の合図で、衛士たちが扉を押し開ける。
ギィ……と軋んだ音を立てて扉は開かれた。
薄暗い礼拝堂に光が射す。聖女はわずかに白銀の目を細め、扉の外へ歩み出た。
同時に、歓声が沸きおこる。
(みんな騙されてるよな……)
ギルは思わずため息をついた。
聖女リーヴェ。
ゼラフィール王国で、その名を知らぬ者はいない。
朝露を纏った花のように美しい、可憐な聖なる乙女にして、救国の英雄の一人でもある。
────神託に選ばれた四人の英雄が、古神殿跡に封印されていた強大な魔物、"悪鬼"を討伐し、王都に凱旋したのは一年ほど前のこと。
英雄たちは熱狂的に迎えられ、ひとびとの喝采と称賛を浴びた。
現在、彼ら四英雄は国の中枢でも活躍している。……ただ一人、聖女リーヴェをのぞいては。
凱旋後、聖女は表舞台からほとんど姿を消して、ひとびとから不思議がられていた。
いろんな憶測がまことしやかに流れ、その中でもっとも支持を得たのは、
「リーヴェは極端に人見知りで、奥ゆかしく、人前に出ることを好まない」
というものだった。
リーヴェは大神殿の奥でひっそり暮らしているので、そんな噂も立つのだろう。
──だが。
その噂は、現実との乖離が甚だしい。
噂を聞くたび、ギルは鼻から茶を噴きそうになる。奥ゆかしいリーヴェとか絶対にありえない。
人前に出ないのも、粗暴な性格がバレたらいろいろ困るからだろう。
ギルが護衛候補に選ばれたのも、真面目で口が固いのを見込まれてのことらしい。乾燥野菜のような彼だからこその、適材適所というべきか。
「聖女について知り得た情報を口外しない」という誓約も、単に秘密保持である。
……まあ、現実はこんなもんだろう。ギルはそう自分を納得させた。どんなに粗暴でも聖女は聖女。がっかりはしていない。
そんな傍若無人なリーヴェだが、星誕祭では、最上位の聖職者として民の前に立つ。
めったに人前に姿を見せない聖女が、祭のはじまりを告げるとあって、神殿前の熱気は最高潮に達していた。
────リーヴェは群衆に向かって、たおやかに手を振る。それに反応した群衆が、再び、わぁっと歓声が上がった。
ギルは主をちらりと見た。
あの儚げな横顔……どう考えても詐欺。
その時、大神殿の上空に、ポン、ポンと軽い破裂音が響いた。音につられて、聖騎士も目線を上げた。
大きな魔術花火が打ち上がる。
大輪の花のような炎の環。オレンジや赤、青の色鮮やかな炎の欠片が、燃え落ちる途中で、小さな花にかたちを変えていく。
舞いおりる花を捕まえようと、子どもたちは、きゃあきゃあと手を伸ばす。大人たちは、その様子を微笑ましく見守っていた。
それは、とてつもなく平和な光景で。
…………護衛として、リーヴェに言いたいことは山ほどある。
しかし命がけで"悪鬼"と戦って、国を救ったのもリーヴェなのだ。強烈すぎる第一印象でうっかり忘れていたが、それは紛れもない事実だった。
ゼラフィールに生きる者として、聖女への尊敬と感謝は忘れないようにしなければ…………と、彼は大真面目に思い直した。
その辺が彼の長所であり、乾燥野菜的なところでもある。
聖騎士はふと、その主に視線を向けた。
白の正装を纏い、晴れた空から降りそそぐ花を見上げる聖女は、無垢で可憐な笑みを湛えていた。
その幻想的な光景から、目が離せない。
瞬きも忘れ、リーヴェに見入っていた聖騎士は、はたと我にかえった。
………傍若無人な中身を知ってて見とれるなんて、自分も大概どうかしている。