5-13 約束
「………………俺の敗けだ」
相手の喉元に、ひた、と剣を当てる。
折れた剣を突きつけられた獅子の獣人は、悔しげに呻いた。ギルは肩で息をしながら、剣をおさめて一礼する。
「ありがとうございました」
「……まあ、勝手にしろ」
「そうします」
「ふん」
憮然とした表情で鼻を鳴らしたバハートは、頭をガシガシと片手でかいて空を仰いだ。
「ギル殿、おめでとうございます!」
「やったな!」
はしゃぐエミリの隣で、何も知らないリーヴェが嬉しそうに笑っている。
闘技場から踵を返したギルは、彼女に向かってまっすぐに歩いていった。
緊張した面持ちのギルに、リーヴェははしゃぐのをぴたりとやめて、白銀の瞳を瞬かせる。護衛の様子がおかしい事に気づいたようだった。
「リーヴェ様」
「な、なに?なんだよ……」
戸惑うリーヴェの前で跪いて、そのしなやかな手を取る。聖女の喉がひゅっと鳴った。
構わず、ひと息に思いを告げる。
「貴女を愛しています。オレのものになってください」
「うぁ………!?」
ぽん、と聖女の白い頬が真っ赤に染まった。
声も出せないまま固まる主の手の甲に、聖騎士はそっと口づける。
エミリは二人を見て、「ギル殿素敵……!」と目をキラキラさせている。立ち会いのハロは「やっとですか」と肩をすくめ、バハートは「くそぅ」と悪態をついて腕を組んだ。
────この世界に生きる者は、誰でも多少の魔力を持って生まれてくる。そのため、火を起こす程度の魔術なら、練習さえすればほとんど誰でも使えるようになる。
リーヴェのように「神術全振りで魔術は全くダメ」という者の方が実は珍しい。
ただし、高位の攻撃魔術となると話は違う。
ギルは魔力が元々多い方だ。加えて、蘇生の時に天使の祝福を受けたことで、魔力はさらに増えた。
それを利用しない手はない。
バハート攻略に使えるように、剣技を磨くだけでなく、必死に魔術も特訓した。
結果的にうまくいったと思う。薄氷の勝利ではあったけれど。
ギルは、魔術を教えてくれた恩人をちらりと見た。
英雄の一人であるその鬼人は、闘技場の外で、不機嫌に尾を揺らす獅子の獣人に不満をぶつけられていた。
「ハロ、お前、裏切っただろう……!」
「何の話でしょうか」
「とぼけるな。お前のほかに、あいつに魔術指導するやつがいるものか。リーヴェは神術と剣以外ポンコツだしな!」
食ってかかる獣人に、鬼人の魔術師は涼しい顔で切り返す。
「よろしいですか、バハート。……あの脳筋娘でも良い、という、奇特な男が現れたのです。
あの聖女にとって、この先二度と無いかもしれないチャンスなのですよ。あなたは鬱陶しい口出しを控えて、草葉の陰から見守るべきでしょう」
「草葉の陰って、俺はまだ死んでないわ!」
「……」
「……」
ギルとリーヴェは、つい顔を見合わせた。相変わらずあの魔術師は辛辣だ……
一方で、"兄貴分"たちのわかりにくいリーヴェへの親愛を微笑ましいとも思う。家族を失った彼女に、こうして理解者がいるのは素晴らしいことだ。
ギルは立ち上がって、美しい聖女を見下ろした。
「…………つまり、お嬢さんをくださいってのを一度やってみたかったんです」
「やる相手が違うだろ」
ようやく状況を飲みこめたリーヴェが、口を尖らせてじろりと睨む。一人だけ蚊帳の外だったのが面白くないらしい。
「…………実はですね」
「何だよ」
「蘇生の後、貴女が寝ている間に、寝室の花束を見てしまいまして。黙っててすみません」
「ッ!?」
ばっと顔を上げた聖女は、明らかにうろたえていた。
まったく……「花で腹はふくれない」とか言ってたくせに、うちの主はかわいいが過ぎる。
「……まだ貴女の返事を貰っていません」
「…………」
「リーヴェ様」
「……………………あたしはもう、お前のものだ、ギル」
じっと見つめると、ほんのり頬を染めたリーヴェは、照れたように目をそらして、小声でボソッと囁いた。
それはもう殺人的にかわいかった。しかも、記憶にある限り、初めて自分の名前を呼んでくれた。
何だろう、ふしゅ、と魂が口から抜けていく……
「……なぁおい!ギル!」
ふわりと夢見心地になる。
慌てたリーヴェにガクンガクン揺さぶられ、殴られて正気を取り戻すまで、護衛の聖騎士は、軽く意識を飛ばしていた。
++++++
その後。
「……で、パンケーキはいつ焼くんだ」
「春までお待ちください」
「はァ!?遅すぎんだろ!」
驚愕と不満を浮かべたリーヴェに、ギルは物憂げなため息をついた。
「……材料を吟味するのに時間がかかったんです。クリームもようやく目処が立ちました。ですが、付け合わせのジャムに使う新鮮な苺は、春にならないと手に入らないんですよ……」
「いや、そこまでこだわらなくても良くね……?」
リーヴェが顔をひきつらせている。
でも、ギルとしては意地でもリーヴェに「至高のパンケーキ」を食べさせたい。そして心行くまで満足してもらいたいのだ。
なぜなら彼女が大切で、愛しいから。
けれど、そんな台詞を口に出来るほど彼は器用ではない。一人で勝手に照れてしまったのを隠すために、リーヴェからそっと視線を外す。
「ハァ……わかったよ。春まで待つ」
頑固で生真面目な護衛に、聖女は苦笑した。
リーヴェは軽く背伸びして、「楽しみにしてるぞ」とギルの耳元で囁いた。
護衛の青年は、今度こそ赤い果実のように真っ赤になって、顔を両手で覆ってしゃがみこんだ。
ラスボスはバハートでした!
次が最終回です。




