5-11 孤影
それからさらに一週間が過ぎた頃。
静かに、王都の北門をくぐる、馬上の影があった。
辺りに人影はない。城壁を見上げたその影は、誰に聞かせるでもなく、そっと息を吐いた。
…………ゼラフィールの王都を取りかこむ城壁には、東西と南に、大きな門が設置されている。王都と街道を往来する者は、いずれかを通るのが常だ。
だが北にもう一つ、古めかしい小さな裏門があることは、あまり知られていない。
通常は固く閉ざされた北門が開くのは、大罪を犯した者が、王都を去っていく時だけ。そのため、門の存在を知る者も気味悪がって近づかない。
この"裁きの門"を、物言わぬ骸となって通る者もいれば、生きたまま通る者もいる。
セラは、後者だった。
太陽が西に傾きかけた、夕刻。
馬上に鎖で繋がれたセラは、ひっそりと門をくぐった。
罪人として"裁きの門"を出た者は、二度と王都に戻ってはこれない。彼女は修道院に幽閉され、監視を受けながら、生涯を終えることが決まっていた。
馬に揺られながら、遠ざかる城壁をちらりと眺めたセラは、無感情に視線を前に戻した。
命を長らえただけ、自分は幸運だったのだろう。
あれだけの騒ぎを起こしたのだ。死罪を与えられ、死者として"裁きの門"をくぐってもおかしくはなかった。
だが、空っぽな心は何も感じない。自分の未来なんてどうでも良い。投げやりにそう思っていた。
しばらく進むと、付き添いの警吏が急に立ち止まった。彼は無言でセラを馬から下ろすと、すっと退がった。
何があるのだろう。
不安になって周辺を見回したセラの目に、遠い丘の上に立つ、一本の大木が映る。
その大木の下。大小四つの影が、こちらを向いて静かに佇んでいた。
セラを見つけたのだろう。
弾かれたように、一番小さな人影が、自分の方に駆けてくる。勢いよく走る影の後ろを、慌てた様子で、もう一つの影が追ってきた。
羊のような角が生えた影と、腕組みをした大柄な影は、木陰に立ったまま、彫像のように微動だにしない。
近づいてくる小柄な影が誰かわかって、セラは黒い目を見開いた。
藍色の髪をなびかせて、全力で疾走してきたのは、────幼い頃、苦楽をわかちあった親友。そしてほんの十日ほど前、この手で殺そうとした聖女リーヴェだった。
「セラ!」
名を呼ばれた。
…………ここで、自分はリーヴェに殺されてしまうのだろうか。セラは無意識に頬に触れた。
彼女に殴られた頬は、殴った本人が治癒を施し、きれいに元通りになっている。
でも……あれは、本当に痛かった。自分も他人を瀕死に追いこんでおいて何だが、あの一撃は、思い出しただけで気持ちが萎えるくらい痛かった。
無意識に体をこわばらせたセラは、痛みが来る瞬間を覚悟して待った。
「……セラっ!」
だが、痛みはいつまでもやってこない。
代わりに、リーヴェは泣きそうな顔で腕を伸ばし、セラの体を捕まえて、ぎゅっと強く抱きしめた。
驚く女の耳元で、震える声が囁く。
「………殴ってごめんな。それと、迎えに行く約束を、守れなくてすまなかった」
言葉に詰まったセラの黒い瞳が、じわりと涙で滲む。視界がぼやけて、そっと目を閉じた。熱いものが溢れてくるのを止められない。
その喉から、堪えるような嗚咽が漏れた。
空っぽだった器に水が注がれるように、温かさが満ちてゆく。
……リーヴェは、あの娼館で別れた時から、何も変わっていない。それが嬉しかった。
「………いいの。クラウス王子から聞いたわ。あなたはずっと、わたしを探してくれてたって」
おずおずとリーヴェを抱きしめ返し、その肩にそっと顎を乗せる。二人はしばらくそうして、黙って抱きしめあった。
────やがて、セラの方からゆっくりと体を離した。
「ありがとう、リーヴェ。会いにきてくれて」
「当然だろ。だってあんたは、今までも、これからもあたしの親友だ」
リーヴェは涙混じりの声で言うと、「……セラに、星の導きがありますように」と、指先で女の額にふれた。
「今、聖女のありったけの全力で祝福しといたぞ。この先ずーーーっと、あんたには良いことしか起こらねえよ。あと星誕祭が来たら、来年も再来年も、あんたの幸せを祈ってランタンを飛ばす。それから……」
「ストップ。もう十分よ。それに、そういうことはうしろの聖騎士さんに言ってあげたらいいと思うわ」
「うっ……」
苦笑したセラにからかうように言われて、リーヴェの喉から変な声が出る。
そばに控えていた聖騎士は、彼女の言葉を聞かなかったことにするつもりらしい。顔があらぬ方を向いている。
口をぱくぱくさせたリーヴェに、穏やかな笑みを向けたセラは、「じゃあね」と一歩さがった。
無言の警吏が、彼女を馬に乗せる。
景色が茜色に染まる中、馬上の影が、次第に遠ざかっていく。
セラはこれから、罪を悔い改めながら、修道院で暮らしていくのだろう。────その彼女を、王位継承権を放棄したクラウスが追いかけるのは、まだ先の話である。
そうして、馬上の影が夕闇にまぎれて見えなくなるまでずっと、ギルの主はその場に立ち尽くしていた。




