5-10 陽光
「ふぁあー、よく寝た!」
バハートの言った通り、リーヴェは丸二日ほど寝たらすっきり起きてきた。まるっきり子どもだ。
……ギルの方も体調に問題はなく、相変わらず護衛としてリーヴェに仕えている。
彼は、"星海"でのことやスールの花束を見たことを、いったん全て胸にしまった。そうして何食わぬ顔で主のそばに従っている。
リーヴェもまた、"星海"での出来事は忘れたふりをするつもりらしい。あの時の事は口にしない。
ただ時折、探るような視線が向けられる。彼はその視線に、素知らぬ顔を通していた。
一方、水面下で、ギルはある準備を進めていた。主にバハート対策を。
天使の祝福を受けると能力値が上がる、という都市伝説じみた逸話がある。それは、紛れもない事実だったようで、実際にギルの能力値も上昇していた。
それを生かせばきっと……何とか……なると思う。いや絶対何とかせねば。
……とにかく時間が足りない。
ぐっと拳を握りこむ。
そんなギルを見て、エミリは「すべてお見通しだ」とばかりに微笑んでいる。
だからその顔。やめてほしい。
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「クラウス殿下は、王太子位の返上を申し出たそうです。自分は王になる資格がない、と仰っておられるとか」
「……そうか」
ギルの言葉に、リーヴェは小さく頷いた。
魔物との死闘から、数日後。
大神殿はいつも通りの日常を取り戻しつつあった。
その奥まった場所にある聖女の私室で、聖騎士の青年は、リーヴェが寝ていた間の出来事を、かいつまんで説明しているところだった。
「……殿下ご自身が、何らかの処分を望んでいるとのことですが、処遇はまだ決まっていません」
「まぁ、揉めるだろうな。王太子なんて簡単にやめられるもんじゃねぇし」
リーヴェが肩をすくめる。
彼女の言うとおりではある。だが、クラウス王子が魔物に魅いられ、悪鬼復活に加担した事実は重い。
王子の処遇を巡って、王国は揺れている。結論が出るのはもう少し先のことになるだろう。
「アドニア嬢……セラさんの方は決まったそうですよ」
言った途端、リーヴェはぱっとギルを見上げ、緊張して息を詰めた。
「……近く修道院に幽閉されると、魔術師長閣下が仰ってました」
「良かった。死罪は免れたんだな」
その決定に、聖女は安堵の息を吐いた。
────王子を唆して身分調書を書きかえさせたり、大神殿での悪鬼復活などに主犯として関わったセラは、死罪になっても不思議ではなかった。
そうならなかったのは、生い立ちに情状酌量の余地があったのと、王子の嘆願が大きい。
魔物が最初に取り憑いたのは、クラウスだった。彼は、「一連の事件は自分の弱さが招いたことだ」として、すべての責任を負うつもりらしい。
「弱い自分に、国を統治する資格はない」とも。
「殿下は、お坊ちゃんだからなあ」とは、バハートの評だ。
太陽のような王子だからこそ、重圧や過酷な戦闘に心が耐えきれなかったのだろう。そこを魔物につけこまれた。
彼が魔物に魅いられたのは、古神殿で悪鬼を倒した直後だったという。
その正体は、幽鬼の上位種。幽鬼は、ひとの心の弱さや欲につけいり、操るのを得意とする。
光あるところに影ができるように、王子の闇に幽鬼は入りこんだ。そしてセラを支配し、地上に破壊をもたらそうとしたのだ。
「……殿下も、あたしくらい図太けりゃ良かったのになぁ」
リーヴェがぽつりと呟く。
「あたしは一応聖職者だから、国の政には関われねえんだ。…………殿下やセラを助けてやれたらいいんだけど」
「そうですね。でも、オレたちにできることを考えましょう」
「……だな。ところで、」
白銀の瞳が、ふいに聖騎士を見上げた。
「お前はあの時、どうしてセラを斬らなかった?」
真剣に尋ねられて、ギルは押し黙った。
……リーヴェを庇って、セラに刺された時のことを彼女は言っているのだろう。
たしかにあの時、盾にならずに、セラごと魔物を斬り伏せることも出来た。技量的にもきっと可能だった。むしろ、その方が確実に魔物を倒せたかもしれない。でも。
「あの方を斬って、貴女を悲しませたくなかったんです。彼女は、貴女の大切なご友人だったので」
「……それで自分がやられたら世話ねえだろ。ほんと、バカだな」
聖女は心底呆れた顔をした。
だが、彼女は一歩ギルに近づいて、彼の手を取った。そして、祈るように自分の額にこつんと当てて、目を閉じる。
「けど、あれで斬ってたら、セラの魂も幽鬼もろとも冥界に堕ちて、"蘇生"できなかった。……セラを救えたのはお前のおかげだ。ありがとう」
ひねくれ者の主が、素直に感謝を口にするなんて、天変地異の前触れかもしれない。
驚いていると、彼女はギルの手をぱっと離して、出窓の方を向いた。その横顔は、いつもの悪ガキめいた表情に戻っている。
「でもさぁ」
明るい窓際に立ったリーヴェは、陽射しをあびながら「んーっ」と伸びをして、そばに立つギルを見上げた。
「あの魔物の計画、阻止できて良かったよな!仮にあっちが勝ってたら、あたしは生贄、王子と神剣はあっち側。悪鬼復活の上に、魔物大量召喚だぜ。
確実にこの国詰んでたわ。いやーやばかった!」
そう言って、リーヴェはにいっと笑った。
「これって、肝だめしのおかげだよなぁ。てわけで、またどっか行こうぜ!」
たぶんあんまり関係ない。というか、結局それが言いたかったのか。
ギルはつい半眼になる。その一方で、前向きな彼女らしいとも思う。
「肝だめしも悪くありませんが……たまには、大神殿の外に行きませんか。脅威もなくなったことですし、神官長もご自分のことで手一杯ですから。
……オレはまた、貴女と町を歩きたいです」
「えっ」
本音をするっと言ってみる。
リーヴェは猫のようにぴょんと飛び退いた。その耳がうっすら赤い。
神官長の退任は、決定事項だ。
幽鬼に誑かされての事とはいえ、エミリを傷つけた罪もある。後任は決まってないが、あの騎士団長と魔術師長が裏から手を回すだろう。
新しい神官長の元で、リーヴェは今よりも自由になれたらいい。
にこにこしてリーヴェを見ていたら、彼女は居心地悪そうに目をそらした。
「……お前、熱でもあんのか」
「嫌ですか?貴女と町に行くの、オレは結構楽しかったんですが」
わざと眉を下げてみる。
うっすら頬を赤くしたリーヴェは、暫しわたわたした後で、「行くに決まってんだろ……ばぁか……」と小さな声で呟いた。




