5-08 帰還
「あれは、ぼくの幻じゃないから!」
目の前のリーヴェは、真っ赤になって震えている。
天使はそんな聖女にビシッと指をつきつけ、高速で首を横にふった。
ギルの思考が静止した。
じゃあ、これは本物…………?
聖騎士は天使を見下ろして、また聖女を見た。
今、オレは主に何をやった?
抱きしめて、そして…………
その時、リーヴェがハッと我にかえった。ようやく、彼女もここに来た目的を思い出したらしい。
自分は護衛の魂を連れもどすために、はるばる"星海"まで来たのであって、こいつをどついてる場合じゃない、ということを。
「……こいつは渡さない。絶対に連れて帰るからな!」
天使とギルの間に割りこんだ聖女は、殴りかかりそうな勢いで天使を睨みつけた。
うーうー唸る猫のように、リーヴェは天使を威嚇している。
それを見て「本物だな」とギルは妙に納得した。こんな聖女、幻でもありえない。
「……本当にリーヴェ様なんですね」
「当たり前だろ!」
くるっと振り向いたリーヴェが、鋭く護衛を睨む。
「今さら約束を無しにはさせねぇからな!」
「そのために"星海"まで来たんですか。どんだけ食い意地はってるんですか……」
「うるせえな。さっさと帰るぞ。あたしが直々に"蘇生"してやったんだ、感謝しろ」
不機嫌な主に、ぐいぐいと乱暴に腕を引かれて、ギルは微妙な心境になった。
……亡くなった者の魂を呼び戻すとされる、"蘇生"。最高難易度として知られるこの神術は、全聖職者の憧れといっても過言ではない。
しかし実際、使われてみると……想像してたのと違う……
ぜんぜん神秘的じゃないのはリーヴェだからか……
何となく脱力する。
なすがままのギルを連れていこうとした聖女は、天使に慌てて止められた。
「ちょっとまって!」
「ちっ、何だよ」
「いちどこっちにきたタマシイは、ふつうは地上にもどせないんだよ」
「あ゙ぁ゙?なら、神を敵にまわしてでも連れて帰る」
「おぃ!聖女のくせに何を口走ってんですか!」
神々の領域で何てことを。
我にかえって焦るギルと、好戦的な目をしたリーヴェを交互に見て、天使は困ったように笑った。
「おちついて、さいごまで聞いて。
ふつうは地上にもどせないけど、聖女の"そせい"だから、あなたはかえっていいよ。でも、シルシをつけるひつようがあるんだ」
「…………オレは、帰れるのか?」
「うん」
目を見開いたギルに頷くと、天使はそっと二人に近づいた。
疑わしい目を向けてくるリーヴェを、彼は「祝福をおくるだけだから」と宥めた。
シャーッと威嚇する猫のような聖女と、目を瞬かせるギルの額に、少年のほそい指先が触れる。
「あなたたちに、星のみちびきがありますように」
にこりと笑った天使をちらりと見て、リーヴェは、二度と離さないというように強く握っていたギルの腕を引いた。
「…………許可が下りたぞ。帰るぜ」
リーヴェと向かい合って、両手を繋ぐ。
「目を閉じろ」と言われてその通りにした。すると、瞼の裏の暗闇に、白い一本の道が浮かび上がった。
「それが、帰り道だ」
リーヴェが言い終わる前に、ギルは道の上に立っていた。
────道の両側には、深い闇が広がっている。
一寸先は闇、というが、その言葉の如く、目を凝らしても何も見えない。
しかし不安にはならなかった。彼を導く誰かの気配が、すぐそばにある。きっとリーヴェだろう。
『行こう。道を外れるなよ』
「はい」
気配が囁いた。聖騎士の青年は頷いて、白い道の上を歩きはじめた。
────ひたすら歩き続けた。歩いて歩いて……たどり着いた終着点。そこには、ギルの目の高さに大きな丸い光が浮かんでいた。
光のなかに、何かが映っている。
目を凝らすと、そこに浮かび上がったのは、主礼拝堂の床に寝かされたギル自身の姿だった。
横たわる自分の顔は蒼白で、服は血にまみれている。自分で言うのも何だが、ひどい有り様だ。
『先に行って待ってる。早く来いよ』
「リーヴェ様」
はっと辺りを見回すと、気配は完全に消えていた。見知らぬ空間に一人放り出され、少し心もとない。
その時────ふいに、優しい少年の声が耳に届いた。
「よかった、間にあった」
いつの間に来たのか。すぐ隣で、あの天使が穏やかに微笑んでいた。
やはり誰かに似てるな、と思いながらギルは口を開く。
「…………やっぱり帰ったらダメ、とかは無しだぞ」
「そうじゃないよ」
軽く首を振って、天使はふふっと笑った。
「…………あなたに、妹をよろしくとつたえたかったんだ。ほんとはさびしがりなのに、ぼくはあの子をおいて、ここにきてしまったから。
でももう、だいじょうぶだね。ぼくも神さまのところで休めそうだよ」
「君は……」
「リーヴェにはないしょね。小さかったしいろいろあったから、ぼくのカオ、わすれちゃったみたい。
でもこれでいいんだ。あの子が、ぼくもつれてかえるって言いだしたら、こまったことになっちゃうし」
いたずらっぽく指を唇に当てると、天使は「ありがとう」と小さく手をふった。
その姿が、ふっとかき消える。
…………前に、リーヴェの過去を聞いた時。
主はこう言っていた。"野良猫"だった頃、彼女に食べ物を優先して分け与えてくれた、年の近い兄がいた、と。
彼はきっとその子だ。
胸にこみあげる感情で、視界がぼやけそうになる。
その瞬間。
ぐんっと力強く引っ張られるような感覚が来て────ギルの魂は、元通り、自分の体におさまっていたのだった。
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「ゲホッ、ゲホッ」
使われていなかった肺に、ひゅっと空気が入る。その途端、盛大にむせた。あたたかい血が廻りだし、こわばっていた体が緩んでいく。
咳が落ち着いて、ゆっくり視線を上げると、
「おせぇよ。どこに寄り道してた」
何食わぬ顔で、リーヴェが自分をのぞきこんでいた。
貴女の兄君に会ってました……と心の中で呟いて、「ただいま戻りました」と掠れ声で返す。
リーヴェの後ろには、涙ぐむエミリや、安堵するバハートとハロの姿があった。
「さすが聖女。"蘇生"成功だな」
「あたしが失敗するわけねぇわ」
獣人の誉め言葉に、リーヴェは相変わらずの軽口で返す。直後、ほっそりした体がかしいで、藍色の頭がぽすんとギルの胸に倒れこんだ。
「……リーヴェ様、大丈夫ですか!?」
「心配ない。力を使い果たしただけだろう。その娘は、一日二日、ぐっすり寝たら回復する」
リーヴェの頭を抱えてうろたえる護衛に、バハートは肩をすくめる。
言われてみれば、聖女は自分の胸の上で、すうすうと穏やかな寝息を立てていた。……どう見ても熟睡。
よかった。深く安堵の息を吐いて、小さな頭をそっと撫でる。限界を超えた力を使って、"星海"まで迎えに来てくれた主に、彼は感謝を捧げた。
「リーヴェは部屋で寝かせてやれ。後の処理は俺がやっておく」
バハートは告げると、集まった騎士たちにてきぱきと指示を出しはじめた。
セラとクラウスは、ギルが寝ていた間に収監されたらしい。
エミリは一連の事件を証言するために、バハートに同行することになった。肩の傷は本人の治癒で完治して、体調は問題なさそうだ。
リーヴェを横抱きにして立ち上がったギルに、ハロが声をかけた。
「……私も行きましょう。君も本調子ではないでしょうしね」
エミリが「眠っているリーヴェを男性と二人きりにしてはいけない」と言い張った事もあるのだろう。
"星海"での前科があるので、ギルは一切反論できなかった。




