5-04 決戦
アドニア…………いや、セラ・ガードナーに取りついた魔物は、魔術に囚われたリーヴェを一瞥した。その紅い唇がゆるく弧を描く。
《貴様を殺す前に、存分にいたぶってやろうか。生贄が苦しめば苦しむほど、我らの王はお喜びになるのだからな》
「は、趣味悪すぎだろ、クソの分際で」
《貴様、状況を理解してそんな口をきいているのか》
「わかってるから言ってんだ、バーカ」
《……口の減らない小娘が。どこまで強がれるか、試してやる》
リーヴェの挑発に、女はすっと笑みを消して、ほっそりした腕を水平に薙ぐ。途端、リーヴェに幾重にも巻きついた光のロープが、その首や体をきつく締めあげた。
聖女の細い体から、みしり、と骨の軋む音が聞こえた。
「て、めぇ、こそ、調子乗ってんじゃねえぞ……!」
燃えるような白銀の瞳が、セラを睨みつける。そして聖女は鋭く指示を飛ばした。
「……聖騎士、どこでもいいから、魔方陣に傷をつけろ!」
リーヴェはエミリにも目配せする。それに頷いたエミリが、よろめきながら魔方陣の外に退避した。
「やれッ!!」
「はいっ!」
合図とともに、聖騎士の青年は魔方陣に駆けよる。そして光の線上に、ガリッと剣を突き立てた。
「ハロの陰険きわまりない"捕縛"に比べたら、こんなん大したことねえんだよッ!」
瞬間、リーヴェの体から、とてつもない量の神気が放出されていく。金粉をばら撒いたかのように辺りが金色に輝いて、場を圧した。
「あぁぁああああっ!!!」
聖女を拘束していた魔方陣が、気合いの声とともに、細かな光の粒子になって散った。次いで光のロープも、空気に溶けるように消え去る。
余裕を漂わせていたセラの顔が、わずかに驚きに染まった。
その時、
────ドゴォッと地響きを上げて、主礼拝堂の真横の壁が崩れた。飛んできた細かな破片を腕で避けて、壁の方を見たギルは、青碧の瞳を丸くした。
ぶち抜かれた穴の向こう。
舞い上がる粉塵と逆光のなかに、獅子の獣人と鬼人の影が立っていた。
「……誰が陰険ですか」
「待たせたなぁ、お前ら」
「魔術師長閣下、騎士団長閣下……」
ハロとバハートの予想外の登場の仕方に、ギルは呆気に取られた。
……クラウスが「ハロとバハートにも声をかけた」と言っていたのは、やはり嘘だったのだろう。ハロの指輪で緊急を知らせたから、このタイミングで来てくれたのだろうが……
ギルの隣で、"捕縛"を力業でぶっちぎったリーヴェが、肩で息をしながら不満をぶちまけた。
「はぁ、はぁ…………てめぇら、来るのおっせーよ。亀かよ」
ギルはぎょっとしてリーヴェを見下ろす。この二人を亀呼ばわりして大丈夫なのか。
だが、ハロもバハートも全く動じなかった。
「悪いな、いろいろ手間取った。この礼拝堂も結界が張られてて、壊すのに時間を食ったんだ」
「とりあえず、殿下を正気に戻しましょう」
「…………あーわかった」
息を整え、肩をコキコキと鳴らしたリーヴェは、寄り添うセラとクラウスに、好戦的な目を向けた。
「いくぜ。聖騎士、援護しろ」
「承知しました」
「……君たちでは僕らに勝てないよ」
王子が剣を構えてせせら笑う。
「やってみないとわかんねえだろ?」
リーヴェは鼻を鳴らした。
次の瞬間、リーヴェ、バハート、ギルの三人は、クラウスとセラに切りかかった。
───クラウスに庇われるように、セラが一歩下がる。王子はリーヴェとギルの剣を神速で弾いて、バハートの重い剣を難なく受け止めた。
間髪入れず、クラウスの後ろから、セラの火炎弾が放たれる。
「おっと」
集中砲火を浴びたバハートは、だが、斜め後方に大きく飛びのくことで避けた。
直進した炎は、三人の後方にいたハロの目前で、結界にぶつかって四散する。
ギルは、ハロの方を振りかえった。
彼のそばには、縛り上げられた神官長とエミリがいる。エミリの肩は血まみれだが、傷は塞がったようだ。"治癒"を使ったのだろう。
二人はハロの結界に守られている。心配ないと判断して、目の前の敵に集中する。
「全力で殿下を足止めしろ!」
「今やってんだろ!」
バハートの指示に、リーヴェが怒鳴り返す。
三対一であっても、神剣を操るクラウスは圧倒的な強さを誇っていた。ギルも何合か斬り結んだが、まったくと言っていいほど歯が立たない。
「…………殿下ってこんなに強かったっけ?」
「どうかな……魔物の影響があるかもしれん」
渾身の一撃を弾かれたリーヴェが、隣のバハートと囁き合う。
「来ますよ!」
ギルが叫ぶ。セラの氷の槍の弾幕を、彼はとっさに"戒域"で弾いた。
直後、飛びこんできたクラウスの神剣を、彼は自分の剣で受け止めた。
「……君は、思ったよりやるな」
クラウスが感嘆したように呟く。
神剣の斬撃を受けて、ギルの体は、五歩分ほど後退していた。手が重く痺れて、持ちこたえたのが不思議なくらいだ。
リーヴェとの特訓がなかったら、受け止めきれず、両断されていたかもしれない。ギルの背中に冷や汗が伝う。
睨みあいは、バハートがクラウスに突きを繰り出したことで強制的に終わった。バハートの大剣を紙一重で避けたクラウスは、床を転がって二人から距離を取る。
そのすぐあと。
バリバリという耳をつんざくような轟音とともに、壁際の神像が粉々に砕け散った。ハロの雷撃がセラを直撃したのだ。
だが、セラの多重結界に阻まれ、彼女は傷ひとつついていない。
「……俺たちの手が読まれてるな」
バハートが苦い顔で吐き捨てた。
彼らは、英雄として生死を共にした間柄。当然、互いの戦い方を熟知している。
セラに憑いた魔物は、クラウスの精神にも潜んでいたと言った。彼の記憶を通じて、英雄たちの戦術を知ったのかもしれない。
剣を構えたリーヴェが、軽く舌打ちする。
「ちっ、まったく厄介だぜ……おい聖騎士。アレやるぞ」
「え、アレって……本気ですか?」
アレとは、以前特訓で見せてもらった「奥の手」だろう。しかしアレを王子に使ったら、かなり問題だと思うが……
「ったりめぇだろッ!」
リーヴェは言うが早いか、おそろしい速さで王子に斬りかかった。右、左、右、と素早く打ち据えていく。
それを、クラウスは流れるような剣さばきで、すべて受け流した。口元には余裕の笑みさえ浮かんでいる。
「リーヴェ、君はこんなものか?」
「ほざけッ!」
聖女の上段からの一撃を、横にかざした神剣が受け止めようとした。だが────
「聖騎士、今だ!」
鋭く叫んで、リーヴェは自分の剣を投げ捨てた。
意表をつかれたクラウスが目を丸くする。手応えのなさに、彼は少しだけバランスを崩し────その僅かな隙が、勝負をわけた。
ギルの"戒域"が王子を捕らえる。ほんの一瞬、王子の動きが止まった。
「いっけぇぇぇええっ!!!」
リーヴェが腕を振りかぶった。強烈な神気をのせた聖女の拳が、クラウスの頬を殴り飛ばす。堪えきれず、王子の長身が、向こうの壁まで吹き飛んでいく。
ドガッ!と激しく壁にぶつかった王子は、ずるずると床に崩れ落ちて、それきり動かなくなった。
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「くっはぁ、手がいてぇ……つうか、殿下もまだまだ甘いな。素手で殴られるとは思ってなかったんだろ」
「まぁ、そうでしょうね……」
「お前もなかなかいいタイミングだったぞ」
リーヴェが機嫌よくギルを誉める。
これが彼女の「奥の手」。神気をこめた拳でぶん殴るという、リーヴェにしかできない荒業だ。
はじめて見た時、「よくこんなの思いつくな」と呆れたものだが、ここに来て役に立った。
「しかし、大丈夫なんですか。"王国の至宝"と呼ばれる殿下の顔面を殴って…………」
「へーきへーき。ちょっと頬骨とか折れたかもしんないけど、あとで治癒しとく。それと、魔物の"魅了"も一緒に剥がしといたぜ」
「よくやった、リーヴェ。お手柄だ」
獅子の獣人が、聖女の頭をぽんと軽くたたく。リーヴェは「だろ?」と満面の笑みで応じた。
頷いたバハートは、壁際で身動きひとつしない王子に大股で歩み寄って、そばに屈みこんだ。
「……問題ない、生きておられる」
バハートがこちらに向かって言う。そうか、問題ないのか……
一般人のギルには、英雄たちの感覚がさっぱりわからない。
「あとはセラか。あいつどこいった?」
リーヴェがあたりを見回した。セラの姿はどこにも見当たらない。その時、
「────リーヴェ、後ろです!」
鬼人の魔術師が叫んだ。リーヴェのすぐそばで、転移と捕縛の魔方陣が、二つ同時に光った。




