1-02 護衛
……正直回れ右したい。
二度と目にすることはないと思っていた重厚な扉。その前で、ギルは何度か深呼吸した。
新たに主となった聖女の居室に来たはいいが、あの罵倒合戦から、数日も経ってない。顔を合わせるのは少々……いや、かなり気まずかった。
凶悪な聖女を思い浮かべて、げんなりする。しかし今さら足掻いても後戻りなどできるはずもなく、腹を括って扉を叩いた。すると「入っていいぞ」と内側から声がした。
「失礼しま……!」
扉を押し開けた途端、ヒュッと何かが飛んできた。ギルはとっさに一歩動いて避ける。
今のは侵入者の攻撃だろうか。聖女は無事か……!?
焦りながら、さっと飛んできたものを確認して。
「……は?」
……聖騎士は、ぽかんとした。
視線の先で、矢じりの代わりに吸盤のついた玩具の矢が、ペタッと扉に張りついて、ビヨンと上下に揺れている。なんだこれ。
「やるじゃねーか」
声の方をぱっと向く。
そこには、安否を心配していた当の聖女が立っていた。
長椅子の後ろで仁王立ちしたリーヴェは、完璧な姿勢で弓を構え、ギルに狙いを定める。そしてニヤッと笑うと、素早く弦を引いた。
「……ッ!」
考える暇もない。 次々に飛んでくる矢を、ギルは反射的にかわした。
部屋の角まで移動したところで……彼は、床に隠された仕掛けを思い切り踏み抜いた。
ばさーっと上から降ってきた謎の粉を頭からかぶって、ギルは驚いて立ち尽くす。その額に、ペタッと矢が命中した。
「…………」
「よっしゃぁ!引っ掛かった!!」
弓を放り出して喜ぶリーヴェを、聖騎士は無言で見返した。
頭から謎の粉をかぶった彼は……全身ど派手なピンクになっていた。まわりも、絵の具をぶちまけたかのような、一面のどピンク。
聖騎士の青年は、見事に額の真ん中にくっついた矢をキュポンと剥がし、冷やかに口を開いた。
「…………何ですかこれは」
「挨拶がわりの悪戯に決まってんだろ」
当たり前のことを聞くな、と言わんばかりの聖女に、白眼になる。……なんで、そんな得意そうに胸を張ってるんだ。
眉間に皺を寄せたギルを見て、リーヴェはくっくと笑う。その顔は完全に、悪戯が成功した悪ガキだ。
「あぁ、その粉は魔術がかかってんだ。時間がたったら消えるから安心しろよ」
そうか。だがありがたくはない。
「しっかしものすごい色だな。なんかの芸術みたいだぜ」
ピンクの彫像と化した聖騎士を、リーヴェは感心したように眺めている。
上から落ちてきたその粉は、微弱な魔力を帯びていた。おそらくドッキリとかに使うやつだ。ギルも町で売ってるのを見たことがある。
だが……いくら消えるといっても、こんな侮辱は許せない。
「…………」
ギルは静かにキレた。リーヴェに無言で近づくと、
「……何だよ?」
「これは、歓迎のお礼です」
怪訝そうな聖女に向かって、水浴びしたあとの犬のように、プルプルプル……と頭を激しく振った。
「ぅわっ!」
リーヴェが思わず声を上げる。
魔術の粉がもうもうと舞った。その煙がおさまった後。
そこにはピンクに染まった聖女が、呆気に取られて立っていた。目を丸くする聖女に、ギルは完璧な礼をとる。
「…………本日付で護衛の任についた、聖騎士ギル・ガディットです。どうぞよろしくお願いします」
「…………ぶっは、あっははは!」
ぽかんとしていたリーヴェは、突然腹を抱えて笑いだした。今度は聖騎士が目を丸くする番だった。
「お前やっぱおもしれーな!」
怒るだろうと思ってたのに、聖女は憮然としたギルの背中をバンバン叩いて喜んでいる。喜ばせるつもりは微塵もなかった。背中も痛い。
最悪だ……そう思った時。
コンコン、ガチャ
「リーヴェ様、今日は新しい護衛の方が……」
部屋に入ってきた女神官が、全身派手なピンクに染まった二人に目を丸くする。
「何をやってるんですか、お二人とも……」
呆れた顔でギルとリーヴェを交互に見て、女神官は、はぁーっと深くため息をついた。
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「リーヴェ様がそういうことばっかりしてるから、護衛の方々がお辞めになるんですよぅ……」
「別にいーじゃん。あたしは護衛なんて必要ねえんだし」
ようやく元通りになったギルは、黙然と部屋の隅に控えている。
もう一度言いたい。
最悪だ。
長椅子に寝ころがったリーヴェは、女神官に呆れられている。
「初日で辞めたのがお二人、二週間がお二人、一ヶ月持ったのがお一人でしたよねぇ……」
「一ヶ月つっても、あいつはなんか変な性癖に目覚めてただろ。『踏んでください』とかキモいこと言ってくるから、遠慮なく再起不能にしてやったけど」
……リーヴェも大概だが、五股男といい聖騎士の風紀はどうなってるんだ。ギルは自分の所属組織に強い懸念を抱いたが、口には出さなかった。二人の会話を黙って聞く。
「……で、お前はいつまで持つんだろうな」
ふと、リーヴェがこちらをチラッと見た。
「…………」
「まぁ、せいぜい頑張れや」
無言の護衛に肩をすくめると、リーヴェは人を食った笑みを浮かべた。
────とまぁ、初日からこんな調子だ。
聖女リーヴェという存在は、真面目なギルの想像を遥かに超えていた。悪ふざけの権化で、あり得ないほど口が悪く、横暴極まりない。
悪ふざけの例など挙げたらキリがない。
ある時は、精巧なサソリの玩具を服にこっそり入れられ、「ここまで寄られて、なんで気づかねえんだよ!護衛だろ!」とどやされた。
別の時は、大神殿を脱走したリーヴェが、池に落ちた子犬を拾って泥だらけで帰ってきた。泥まみれのリーヴェは、
「暑かったし丁度良い。山の猪は、夏に泥かぶって体を冷やすんだぜ」
と得意気に言い放った。
いったいいつから、聖女と猪は同類になったのか。子犬の引き取り先を必死に探したのもギルだった。
そして「護衛は必要ない」と豪語した通り、リーヴェはかなりの武闘派であった。
"朱炎"のギルより遥かに強く、手合わせしたら彼はリーヴェに三回に一回勝てるかどうか。
あれほどの腕なら、中級ていどの魔物など一人で倒してしまうだろう。
そうなると、ギルの仕事の大半はリーヴェの悪ふざけの阻止。もしくは後始末になる。
これのどこが護衛なんだ……
そう思うことはよくある。というか一日五回は思う。
かといって短期間で辞めたりしたら、あの聖女は確実に自分をバカにしてくるだろう。
リーヴェの勝ち誇った顔を想像すると……それだけでとてつもなく悔しい。
ギルは聖騎士の矜持にかけて、「絶対に自分から辞めてやるものか」と誓った。




