4-02 礼拝
小礼拝堂の、壇上の横の扉。
控え室につながるその扉から。神官長と神官たちが先に礼拝堂に入っていく。
神官長の短めの挨拶が終わると、次いでリーヴェの出番となった。まずは、先導のギルが足を踏みいれる。
彼は壇上から全体を見渡し……チカチカした目を思わず閉じたくなった。
……成金趣味の部屋に、成金が集まった。そんな印象だ。
列席者の多くは、派手に着飾った貴族たち。そして礼拝堂全体に漂うのは、金の気配や自己顕示欲だ。
敬虔に祈るために彼らがここに来ているとは誰も思わないだろう。
彼らが欲しているのは、好奇心や権力欲を満たす何かで…………たとえば「平民から聖女になった女を見てやろう」とか、「神殿の権力と繋がりたい」とか、そういう類いのものだ。
今なら、「客寄せの珍獣になりたくない」とリーヴェが言ったのもよくわかる。
無表情の聖騎士は、一礼して下がった。
……とはいえ、この場での揉め事は望ましくない。リーヴェには考えがあるようだが、大きな問題にならないように祈るしかなかった。
続いて、壇上奥の扉からリーヴェが姿を現す。
待ちくたびれた貴族たちも、類い希なその美しさに、思わず目を見張った。
「お美しい方だ」
「なんて神々しいのでしょう……」
一瞬で空気を塗りかえる圧倒的な存在感。
平民出の女だと侮っていた貴族たちも、間近に見る聖女に目を奪われ、口々に称賛のため息を零す。
優雅に壇中央に来たリーヴェは、長い睫毛の下に伏せていた目をすっと上げた。
神秘的な白銀の瞳があらわになる。同時に、すさまじい神気が礼拝堂を覆っていく。
普段のリーヴェは、身の内に抱える神気を抑えている。だが、今は隠そうともしていない。
誰かを威圧する時、リーヴェはあえてそうするのだ。
ほんといい性格してるよな……
後ろで見ていたギルは、半眼になった。
「……わたくしが聖女リーヴェでございます。皆さま、本日はお集まりいただきありがとうございました。
それでは、さっそくではありますが、これからわたくしと共に、神々への感謝の祈りを捧げましょう」
厳かに告げたリーヴェは、聖句の詠唱をはじめた。続いて、貴族たちが同じ聖句を繰り返す。
そこにいたのは、誰が見ても「完璧な聖女」。
その気になれば、リーヴェは神々しい聖女を演じることも出来る。────しかしギルの目には、主のかぶっている、巨大で高性能な"猫"がはっきり見えていた。
何度でも言いたい。
あれは詐欺だ。
「……これにて、本日の礼拝は終わりにいたします。皆さまに星の導きがありますように」
リーヴェの挨拶で、我にかえった。いつの間にかギルも祈りに聞き入っていたらしい。
貴族たちを窺うと、誰もがリーヴェに見とれてうっとりしている。これが聖女の本気だ。おそろしい。
とりあえず無事終わった……と、ギルが安堵した矢先、
「…………最後に、皆さまより善意のご寄付を賜りたく存じます。エミリ・オージュ上級神官が、皆さまの元に参りますので、何とぞよろしくお願い申し上げます」
リーヴェの台詞に、ギルはぎょっとした。
エミリが集金するとか聞いてない……!
「リーヴェ様」
「いいから」
低く声をかけると、リーヴェは表情を変えず、小声で彼を制した。
いつの間に用意したのか、立ち上がったエミリの手に、美しい螺鈿の箱が乗っている。彼女は通路を練り歩き、貴族たちに寄付を募りはじめた。
寄付金を集めるのは、神官長の側近の役目だったはず……
おそるおそる振り返ると、並び立った神官長や側近たちは、穏やかな表情に、目だけを怒りで燃えたぎらせていた。こわい……
「皆さまからお預かりした浄財は、わたくしが責任をもって、孤児院と施療院に寄付させていただきます。ありがとうございました」
澄んだ声音で告げたリーヴェは、優雅に一礼して礼拝堂を退出した。その際、ちらりと神官長を見て、ニヤッと笑うことも忘れない。
リーヴェが礼拝に出ると言い出したのは、これを狙ってたからか……
上機嫌な主の後に従ったギルは、頭を抱えたくなった。なんだか胃も痛い。
その時、ふと────強い視線を感じた。
列席者をさりげなく見回して、礼拝堂奥の席に目をとめる。
そこには、若い令嬢が静かに座っていた。つばの広い帽子で顔半分を隠しているが、誰かはすぐわかった。……クラウス王子の恋人、アドニア嬢だ。
アドニアの視線の先に、リーヴェがいる。
令嬢の黒曜石のような瞳には、以前会った時のような輝きはない。代わりに────冥界に通じるという南大陸の裂け目、"奈落"を思わせる、底知れぬ闇と虚無が漂っていた。
++++++
「…………小娘が!勝手な真似をしおってッ!!」
「金をあるべきところに戻すだけだ。あんたの愛人には、自分の給料で贅沢させてやればいいだろ」
控え室にもどった途端、老人の怒声が響く。
リーヴェはとんでもないことをさらりと言ってのけ、不敵に笑った。
「ぐっ……貴様ぁ……!」
「この金はあたしが預かる。使い道は後日、明瞭に報告するから安心しろよ」
「……卑しい"野良猫"めが!覚えておれ!!」
神官長が顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。その時、控え室に入ってきた側近が、怒り狂う老人に、そっと耳打ちした。
「神官長、アドニア嬢がお会いしたいと申されておりますが、いかがいたしましょう」
「……王太子の婚約者候補だという令嬢か」
「ええ」
ギルは耳が敏い。小声でも、二人の会話はしっかり聞こえていた。
老人が思案げな顔つきになる。現在、アドニアはもっとも有力な妃候補だ。彼が損得勘定をしているのが、手に取るようにわかる。
「いいだろう、会おう」
側近に答えて、神官長は怒りを抑えるように深呼吸した。彼はリーヴェと側近二人を忌々しげに睨み、取り巻きを引き連れて、控え室から去っていった。
……彼らがいなくなって、ギルは肩の力を抜いた。隣のエミリも大きく息を吐く。リーヴェだけは、扉に向かって元気よくべーっと舌を出した。
「けっ、くだらんジジイどもめ!」
「はぁ……まったく貴女ってひとは……。あんなことして、絶対にただじゃすみませんよ」
深々とため息をついたギルに、リーヴェは「それがどうした」と鼻で笑った。頭が痛い。
「これだけ好き勝手やって、気がすみましたか?」
「この上なく清々しい気分だぜ!」
「……そうですか。で、この多額の寄付金はどうなさるおつもりですか」
「あたしが直接配り歩く。収支報告書は、お前とエミリで作れ」
「えぇっ、まぁやれと言われればやりますけどぉ……」
エミリはがくりとうなだれた。
「寄付金の計算なんて、勘弁してくださいよ……オレの仕事は一応護衛なんですから」
抗議するギルをじろりと見て、主は「どうしてだ」と言いたげに片眉を上げた。
「エミリはともかく、お前は聖騎士を引退したら、自分の店を持つんだろ。これくらいできなくてどうするんだよ」
「……お店?ギル殿が?」
不思議そうに首をかしげるエミリに、
「いえ、まったくの未定です。リーヴェ様が勝手に言ってるだけなので気にしないでください」
とギルは否定する。
「なんだそれ」
口を尖らせたリーヴェは、ふと何かを思い出したように眉を寄せた。そして腕組みして考えこんだ。
「…………そういえば、さっきの礼拝で、妙な気配があった気がしたんだよなぁ。エミリは何か感じなかったか?」
「いえ、わたくしは何も……」
「そうか。神殿に魔物が入りこむなんて、普通は考えられねえしなぁ」
「気のせいか」と呟いて聖女は腕組みを解いた。
ギルはアドニアの様子をリーヴェに伝えようか迷ったが、確信が持てなかったので結局黙っていた。しかしこの件は、ハロに相談した方がいいかもしれない。
「……とにかく、あのくそジジイに一泡吹かせてやったぜ。ざまぁみろ!」
悪戯が成功した悪ガキのような顔で、うひひ、とリーヴェは笑っている。神々しく美しい聖女は、巨大な猫のかぶりものと一緒に、きれいさっぱりいなくなっていた。




