4-01 遅刻
王都に本格的な冬がやってきた。
早朝の雪は街全体を白く染めて、雪化粧をほどこしている。神殿の中もひんやりと寒い。そんな冬の日のお昼時。
「……リーヴェ様、そろそろお支度をなさってください」
「いやだ」
「礼拝の予定に間に合いませんよ」
「知るか」
リーヴェは長椅子に寝転がって、こっちを見もしない。今日は特に手強い。ギルは辛抱強く声をかけた。
「今日の礼拝は、神官長に『必ず参加せよ』と言われてますよね」
「うっせえ!行かねえっつったら行かねえんだよ!」
聖女はがばっと体を起こし、護衛を睨みつけた。……まるで癇癪を起こした子どもだ。
呆れていると、隣に控えていたエミリ・オージュ上級神官が苦笑しながら小声で話しかけてきた。
「リーヴェ様は、神官長と折り合いがよろしくありませんものね……」
「……ですね」
ギルはため息混じりに同意する。
そうなのだ。この国の聖女と神官長は、とてつもなく仲が悪い。
……聖女の護衛になって、約五ヶ月。
以来、ギルは何度か、リーヴェと神官長が顔を合わせる場面に居合わせた。が、いずれも険悪さを煮詰めたかのような空間で、たいへんな精神的苦行だった。
リーヴェは平気で神官長を挑発するし、神官長は明らかにリーヴェの出自を見下している。関係修復?なにそれ?という状況。
だが、リーヴェを蔑む老人の態度は、ギルにとっても受け入れ難いものだった。
リーヴェはたった六歳で兄とともに孤児になった。親の庇護もなく、次いで兄も失った子どもに、選択肢などほとんどない。神の慈愛を説くべき聖職者が、それすら想像できないのはどうなのか。
そんな相手なので、主が毛嫌いするのも仕方ない……とギルは思っていた。だが、礼拝に行きたくない理由はそれだけではなかったらしい。
「あのジジイは嫌いだ」
リーヴェが盛大に舌打ちする。それはいい。とりあえず殺気はしまってほしい。
「ですが、それとこれとは別でしょう。今日の礼拝は、とても重要なものだと聞いてますよ」
「聖騎士、お前は世間知らずだからわかってない。その礼拝は、貴族から金を集めるためのもんだぜ」
護衛を睨みつけて、聖女は苛立たしげに続けた。
「その寄付金の一部、あるいは大半は、神官長と側近の懐に入るんだ。だけど考えてもみろ。貴族たちがポンと寄付するその金は、元は平民があくせく働いて納めたものじゃねえかよ。
あたしに、その客寄せの珍獣になれって?」
思いきり顔を顰めて、リーヴェはきっぱりと言いきる。
「絶対に、嫌だね」
「……」
断固とした拒否に、護衛は黙りこんだ。
聖女として「見せ物」にされることに、リーヴェは強い抵抗があるらしい。
……そういえば、鐘楼でリーヴェを看板扱いした時も、彼女はひどく腹を立てていた。悪いことを言ったな、とギルは反省した。あの時リーヴェが怒ったのも、同じような理由だったのだろう。
そして、今日の礼拝がリーヴェの言う通りなら、行きたがらないのも無理はない。
リーヴェは幼い頃、"野良猫"────路上生活の孤児を経験している。そして娼館に拾われ、下働きになった。
のちに聖女として見いだされ、王都に行くことになった時、リーヴェは同じ境遇の親友に「力は弱い者のために使ってほしい」と言われている。
リーヴェは、その約束を忘れていない。
「権力者の私腹を肥やすことに協力できない」と彼女が言うのも当然のことだった。
これは梃子でも動かないな……
聖騎士はため息をついて、別の提案をした。
「でしたら体調が悪いという事にして、欠席にしましょうか?」
「そうだな────いや待て。気が変わった。やっぱり出席する」
今の今まで不機嫌だった聖女は、突然、にいっとあくどい笑みを浮かべた。
ギルは何度かこれを見た覚えがある。リーヴェが悪戯を思いついた時に見せる顔だ。
非常にまずい。この聖女は、絶対に良からぬことを考えている。太陽が東から上るのと同じくらい明白に。
「やっぱり体調が悪いって事にして、欠席にしませんか?お腹も頭も痛くて、全身筋肉痛だと伝えておきますから。そうしましょう、ぜひ!」
「……いや、出る。出るつったら出るね。エミリ、支度を頼む」
「あのぅリーヴェ様、今からだと遅刻ですけど、大丈夫ですか……?」
「問題ねえよ。ちょっとくらい待たしとけ」
「お待ちください、リーヴェ様……!」
「しつこい。さっきまで出席しろって言ってたのはお前だろ!」
腕組みしてギルを睨みつけたリーヴェは、「さっさと支度だ」とエミリに向き直った。
「……ひぇ、かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
エミリはうろたえながら一礼し、慌てて衣装室に入っていく。天井をあおいだギルも、先方に遅刻を知らせるために扉の方に向かった。
頑固な主は、一度言い出したら譲らない。こうなったら、トラブルが大きくならないことを祈るしかなかった。
++++++
三人が控え室に到着した頃には、開始時刻を少し過ぎていた。
今日の礼拝は、一般に開かれた主礼拝堂ではなく、その奥の小礼拝堂で行われる。そしてこの礼拝堂は、現神官長が巨費を投じて改装したとされ、いっそ悪趣味なくらいに豪華絢爛だった。
金箔や螺鈿の調度品。有名画家の絵。天井から吊りさがったシャンデリアは、王宮のそれにもひけをとらない。
要するに────、一部の神官と貴族が特権に浸る場所なのだ、とギルはやっと気がついたのだった。
リーヴェ達三人が入ってきた途端、控え室で待機していた神官長は、わざとらしく大きなため息をついた。
鋭い眼光と尖った鼻が猛禽類を思わせる老人は、冷やかな視線を聖女に浴びせた。
「…………遅刻だ、聖女リーヴェ」
「はっ、来てやっただけありがたく思えよ」
不遜に言い返した聖女は、白銀の瞳で相手を見据えた。老人は白髪混じりの眉を顰めて、忌々しげに言う。
「…………なぜこのような、下賎な輩が聖女に選ばれたのだろうな。神々の御心は、人知のおよばぬものとはいえ、到底理解できぬ」
「そうかよ。でも、あたしこそが聖女であり、"悪鬼"を倒した四英雄だ。悪いがあんたは、序列ではあたしに到底およばねえ。残念だったな」
神殿の長を堂々と挑発するリーヴェにハラハラしながら、ギルは二人を見守る。
神官長や側近たちが、敵愾心に満ちた目でリーヴェを睨んだ。だが、聖女は彼らを意に介さないどころか、鼻でせせら笑った。
「気に食わないあたしを、金集めの客寄せに呼んだのはあんたたちだろ。で、どーするよ。やめるか?」
「…………礼拝堂へ」
心底悔しげに神官長は呻く。リーヴェが勝ち誇った笑みを浮かべた。
だからその顔やめろ……とギルは思わずこめかみを押さえた。あれ、絶対わざとだろ。
「じゃぁ、行くか」
側近の二人を顎で促して、不敵に唇を吊りあげたリーヴェは、小礼拝堂に続く扉に向かって顎をしゃくった。




