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1-01 聖女

この娘が聖女……?

いや、何かの間違いでは……

石のように固まったギルの脳裏に、去年の記憶がさーっとよぎっていく。




彼は以前、遠目に聖女を見たことがあった。

あれは──約一年前。

四人の英雄が"悪鬼"討伐に成功し、このゼラフィール王国を危機から救った。

"悪鬼"とはすなわち、冥界の王者にして、強大な魔物。

その"悪鬼"を倒した四英雄の一人、それが聖女リーヴェであったのだ。


彼ら四英雄が王都に戻った際は、王都を上げてのお祭り騒ぎ。盛大な凱旋パレードも開催され、沿道には群衆が詰めかけた。

その沿道で、警備係のギルは「みなさん押さないでくださーい!」と、群衆に向かって叫んでいた。

その時に、遠くで手を振るリーヴェをちらっと目に入った。


純白の衣装を纏い、穏やかに微笑むリーヴェは儚げで、とても美しかったのは覚えている。

楚々とした雰囲気の彼女は、"悪鬼"に立ち向かう勇敢なイメージからは遠かったが、「あの方が英雄なのか」と内心感嘆したものだ。


しかし……あれは、影武者か何かだったんだろうか。

そう思ってしまうほど、目の前の人物と、あの時の聖女は重ならない。

だいたいこの殺気は何だ。これほど凶悪な空気を放つ聖女なんて聞いたことがない。


だが、目を瞬かせて何度見しても、娘の瞳は純然たる白銀で──それは王国の民なら誰でも知ってる、紛うことなき聖女の証であった。




「あー、そういや、新しい護衛候補が来るとか聞いたような気がするぜ」

「すみません、申し遅れました」


聖女リーヴェが、フンと鼻を鳴らした。

我に返ったギルは、慌てて片膝をつく。


「護衛候補としてお目通りに参りました、聖騎士ギル・ガディットと申します。よろし……」

「はーん、つうかお前、すげえシケたツラしてんなぁ」


シケたツラ…………?


一瞬「シケたツラ」の意味がわからず、ギルの思考が止まる。聖女が発する言葉として認識しなかった脳が、プツリとエラーを起こしたらしい。

聖女の横に控えていた若い女神官も、「リーヴェ様……」と呟いて額を押さえた。


なんなんだ、この聖女。

呆然としていると、


「どうせ神官長の差し金だろ。 護衛なんかいらねえつってんのに、しつけえよな。体面ばっか気にしやがってよぉ。

なーお前さぁ、あたしの護衛とか止めといた方がいいぜ。厄介ごとばっかだしな。

……あぁ、でもよく見たらお前、すっげえ弱そうだな。護衛とか勤まんの?」


はっ、とリーヴェはつまらなそうに笑った。


「…………」


これにはさすがに、ギルもカチンと来た。

彼は忍耐強い方だ。だが、堪忍袋の緒が無限にあるわけでも、地雷が皆無でもない。ここに来て何かがブチっと切れた。


────この、口の悪い小娘が。


「神官殿、つかぬことを伺いますが」

「何でしょうか、ギル殿」


額を押さえていた女神官は、ギルの呼び掛けにぱっと顔を上げて、にこりと笑う。

彼女は聖女の世話役だろうか。上級神官の服を着た彼女は、さすがというか、笑顔に隙がない。


「あそこにいる、無作法で口の悪い、下品な小娘が聖女でしょうか」

「……えぇと、まぁ、はぃ」


女神官は戸惑ったように曖昧に頷く。


「……あ゙?今なんつった」


ドスのきいたリーヴェの声がぐっと低くなる。優美な曲線を描く頬が、ひくりと震えた。


「無作法で、口の悪い、下品な小娘、と申し上げました」


ここまで来たら絶対に引くものか。今度は一言ずつ、区切って言ってやった。


白銀の瞳が険しさを増す。ギルの方も、目を逸らしたら負け、と言わんばかりに睨み返す。

二人の視線がぶつかって、バチバチと激しい火花を散らした。




……しばらくの沈黙のあと。

リーヴェはふっと口角を上げた。


「……ふぅん。聖女のあたしに喧嘩売んのか。おもしれぇじゃん。

そのシケたツラに、うっかりカビとか生やさねえように気をつけろよ。……退がれ」

「仰せのままに。御前を失礼いたします」


リーヴェは、ぞんざいに顎をくいっと動かした。

ギルはそんな聖女に一礼し、女神官に目礼する。

こんな場所に長居は無用。所作だけは折り目正しく、さっと踵を返す。


「…………」


そんな聖騎士を見送るリーヴェの口許に、にいっと物騒な笑みが浮かんだ。

だが、聖女に背を向けていたギルは、それに気づかない。


「わぁ……これは気に入られちゃいましたかねぇ……」


聖女の様子を窺っていた上級神官は、何とも言えない顔でため息をこぼした。その呟きも、閉じた扉に遮られ、ギルの耳に届くことはなかった。




+++++




────後から考えれば、この時のギルは、相当鬱憤が溜まっていたように思う。


そもそも彼は聖騎士になりたいわけではなかった。半ば強制的にこの道を選ばされただけで。

それでも、聖騎士になったからには……と血の滲むような努力で"朱炎"にまで上りつめた。

だが、心は乾いて虚しかった。まさに乾燥野菜。


……そんな葛藤を、リーヴェがバッサリ切り捨ててしまったのだろう。

彼が自棄(やけ)ばちになったのも、後から思えば当然の成り行きだった。


何もかもうんざりだ。これからは自分の人生を生きよう────


神殿を追放されたって構うものか。むしろせいせいする。

大神殿の廊下を歩きながら、ギルは「楽しい脱・聖騎士計画」に胸を躍らせていた。今までになく爽快でスッキリした気分だった。




────そして翌朝。


「おぅ、ギルか」


いつも通り出仕した彼は、通りかかった上司に呼び止められた。


「いいところで会った。お前に話があるんだがな」

「何でしょうか、隊長」


ギルは姿勢をただした。

おそらく聖女への暴言を理由に、処断が下されるのだろう。今さら、やってしまったことに後悔はない。

覚悟して続きを待っていたが──ギルは、次の上司の言葉で目が点になった。


「聖女様が、ぜひお前を護衛にと仰ったそうだ。気に入られたみたいで良かったな!」

「え、はい……?」

「みんな羨ましがるぜ、聖女様ってすげぇ美人だしな!あぁそうそう、お前は真面目なくせに、妙に自己評価が低かったからなあ。これを機に自信つけとくといいぞ。ま、しっかり頑張れ!

……あ、あの五股男は、絶対に聖女様に近づけんなよ」


ギルの肩をポンと叩いて、上司はにこやかに去っていく。ひらひらと手を振る彼を、唖然としながら見送ったギルは混乱の極致にあった。


意味がわからない。

聖女に気に入られた?そんな要素一切なかったはずだ。

なぜ……と考えて。


「……ダメな方に振り切ったせいで、逆に興味を持たれたとか……?」


呆然と呟く。

ほかに理由なんて思いつかなかった。




次の日。

"朱炎の聖騎士"ギル・ガディットは、正式に聖女の護衛となった。


もう一度言いたい。

意味がわからない。


彼は必死に辞退した。しかしいくら"朱炎"といえども、一介の聖騎士に拒否権はない。

勢い余って辞職願を出したが、上司に説得され、受理されずに終わった。


ギルが夢見た「楽しい脱・聖騎士生活」は幻と消え、粗暴な聖女に振り回されまくりの、波乱の日々が幕を開けたのだった。


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