3-02 遺孤、再び
二人はあちこち寄り道して、リーヴェの気が済むまで人助けに励んだ後、菓子と花を大量に買いこんだ。
ご機嫌なリーヴェと大荷物を抱えたギルは、前回も行った孤児院に向かう。
裏通りに面した古びた建物につくと、リーヴェは傾きかけた扉を軽くノックした。
「……リーンさん、ギルさん!よくいらしてくださいました。さぁ中へどうぞ」
笑顔で出迎えてくれたのは、ここの責任者の老女────神官のアニタだった。
リーヴェは、寄ってきた子どもたちに、
「よぉ!みんな、元気か?」
と明るい笑顔を見せた。
「わぁ、リーンお姉ちゃん!」
「ギル兄ちゃんもいる!」
「ねえねえギル兄ちゃん、またパンケーキつくってー」
「ぱんけーきー!」
「けーきー」
子ども達の言葉を聞いて、リーヴェが怪訝な顔で護衛を見上げた。
「お前、いつここに来たんだよ。パンケーキって何の話だ?」
「…………いいだろう別に」
青年は居心地悪そうに目をそらす。そこで、アニタが笑って種を明かした。
「ふふ、前にお二人でいらっしゃった後、ギルさんが時々、ここを訪ねてくださるようになったのですわ。この間は、厨房に立ってパンケーキを焼いてくださいましたの。子どもたちも大喜びでした」
「ギルにーたんのパンケーキ、すっごくおいしかったのー」
「またたべたい!たべたーい!」
ギルは屈んで、パンケーキをせがむ子ども達に目線を合わせた。
「悪いが、今日は材料を持って来てないんだ。その代わり、菓子と花を持って来たぞ」
「わぁーい!」
「おかし!おはな!」
走り回る子ども達を横目に立ち上がると、こちらをじとりと睨む、薄茶の瞳と視線が合った。
「……あたしはまだ、お前が作ったものを食ったことねぇぞ」
「そうだな。作ってやったことがないからな」
「……まぁまぁ、お二人ともそちらにお座りくださいな。今お茶をいれますわ」
動揺と照れで、ギルはついぶっきらぼうな口調になる。リーヴェも何となく仏頂面だ。気まずい空気を取りなすように、アニタが朗らかに声をかけて、台所に消えた。
「…………あたしにもパンケーキを作れよ」
リーヴェがぼそりと呟く。
「まだあんまり上手くないぞ」
「失敗したら、指差して笑ってやる」
「ならもう少し先だな。もっと練習してからにする」
「絶対だからな」
「ああ。約束する」
そう言うと、リーヴェはニヤリと笑った。とりあえず機嫌を直してくれたらしい。
笑われないように練習しないとな……と考えながら、ギルは主の隣の椅子を引いた。
二人はアニタがいれたお茶をいただいた後、子ども達と少し遊んで暇を告げた。
「……今日はこれで失礼します」
「また来るぜ。みんなもいい子にしてろよ」
「お二人とも、いつでもいらしてくださいね。お待ちしておりますわ」
「リーン姉ちゃん、ギル兄ちゃん、また遊びに来てねー」
「じゃーねー!」
アニタと子ども達に見送られて裏通りに出る。太陽は随分と西に傾いていた。
茜色に染まった雲を見上げて、ふと一日を振り返る。
リーヴェは今日もかなりの時間を人助けに費やしていた。足の悪い爺さんの荷物を持って、行方不明になった犬を探し、薬屋の前で涙ぐんでいた女の、病気の娘を癒すなどして。
聖女になる前の、親友との約束────「弱い者のために力を使ってほしい」。その約束を律儀に守ろうとしているのだろう。
リーヴェは彼女なりに筋を通して、弱いひとびとを救おうとしている。その行為は清廉そのものだ。
リーヴェが聖女に選ばれた理由は、こんな性格だからかもしれない、と今は思う。
そんなことを考えていると、少し先を歩いていた主がぱっと振り返った。
「────なぁ、今日も鐘楼に上ろうぜ!」
「本当にそこで最後だぞ。鐘楼に行ったら帰るからな」
「わかってる!」
念を押すと、リーヴェは機嫌よく頷く。散歩にいく猫のような足取りの聖女に、聖騎士の青年は並んでついていった。
鐘楼の管理人のカイルに、「またデートか?」とからかわれながら、二人は塔に入れてもらった。
階段を駆け上がって、大鐘が吊るされた天辺から眼下に広がる街並みを見下ろす。
「やっぱいい眺めだよなぁ!」
「……そうですね」
こうして一望すると、王都は平和そのものだ。ゼラフィール最大の脅威であった"悪鬼"も、四英雄に倒されて消滅した。
だが────ギルは軽く息を吐く。
ハロもバハートも、いまだ王都に入りこんだ魔の正体を掴めていない。手がかりになる情報もないという。
今日のお忍びは、不測の事態に備えて、何かあれば即座にハロとバハートが駆けつけることになっていた。多少不安はあったが、ハロに貰った指輪の出番はないまま、何事もなく一日を終えられそうだ。
安堵したギルの肩を、隣のリーヴェがちょんちょんとつついた。
「……何ですか、リーヴェ様」
「相変わらずシケたツラだな。眉間の皺を何とかしろよ。ずうっとそんなツラしてたら元に戻んなくなるぞ」
しなやかな手が伸びてきて、眉間をぐりぐりと押された。痛い。リーヴェはわりと馬鹿力だ。
ギルは一歩下がって、その手をやんわり外した。
「元々こういう顔なんです」
「なんで敬語に戻ってんだ」
「こっちの方がオレは落ち着くんですよ」
「あたしは嫌だ。ふつうに話せよ」
子どものように頬をふくらませて、主はギルを睨む。顔全体で不満を主張するその頬を、つつきたくなる。
「……わかったよ」
「ん」
降参すると、リーヴェはころっと満足そうな顔で頷いた。"変容"で薄茶になった瞳が、ちらっとこちらを見上げる。その視線は、少々気まずげな色を帯びていた。
「…………護衛にお前を指名したのは、悪かったと思ってる。初対面の時のお前の暴言があまりに面白かったもんだから、当てつけで抜擢したんだ。
でもお前は、辞表を出して、聖騎士を辞めるつもりだったんだろう。あたしの専属護衛になったせいで、辞めにくくなったんじゃないのか?」
「は?……いや、別にそんなことはないぞ。最終的に、オレは自分の意思で神殿に残ったんだ。リーンは気にしなくていい」
ギルは、青碧の瞳を軽く見張った。
以前彼が辞表を出そうとしたのを、リーヴェはどこかから聞いたのだろう。自由奔放で暴虐な主がそんなことを気にするなんて、少し意外だった。
「…………揚げ菓子の店主みたいに、お前も聖騎士を辞めて、店をやるつもりだったんじゃねえのか」
「あー、まぁ、そうだな。衝動的にそんなことも考えたけどさ。やるにしても、もう少し資金を貯めてからだ」
ギルの言葉に、聖女は安心したように「そうか」と頷いて、はにかむように笑った。
「いつか、お前が自分の店を持ったら、あたしが常連になってやる」
朝の光を浴びた蕾が静かに綻ぶような、可憐な笑顔に息が止まる。…………これは、直視したらダメなやつだ。さっさと視線を外せ。
心の声に従って、ギルは何とかリーヴェから視線を引き剥がした。そしてあえて軽い口調で返す。
「常連もいいけど、どうせなら一緒に店をやるか?」
「…………え、なんで、お前なんかと」
聖女の声がわずかに上擦る。だが、自分の動揺を抑えるのに必死な聖騎士は、それに気づかない。
「リーンは、見た目だけはいいだろう。黙って立ってるだけで客を呼びこめそうだもんな。あ、でも間違っても喋るなよ、絶対客が減るか」
ドガッ!
言い終わる前に、ギルは反対の壁まで吹っ飛んだ。目の奥で火花が散る。何が起こったのかわからず、主の逆鱗にふれたのだと気づくまで、数瞬を要した。
「いって……」
「あたしは看板じゃねえ!この大バカ野郎、馬のクソ食って冥界に落ちろッ!」
怒声が夕闇に木霊する。呆気にとられた聖騎士を置き去りに、素早く身を翻した主は、だだだっと階段を駆け下りていった。
この日、大神殿に戻った後、何度謝ってもリーヴェは口をきいてくれなかった。




