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2-03 群星

五日間通して行われた星誕祭も、ついに最終日。

祭がもっとも盛り上がるのがこの日だ。だが、大神殿最奥にその喧騒が届くことはない。

神殿が常の静謐さを保つ中、リーヴェは淡々と前を向いて歩いていた。聖務に向かう主に付き従うギルも、その後に続く。


今日のような日も、聖女リーヴェは普段と変わらぬ一日を過ごす。祭に参加せず、一人の来客さえない。

聖騎士は何となく、納得がいかない。

国を救った聖女リーヴェこそ、誰より祭を楽しむ権利があるのではないか。そう思えて仕方なかった。


────今までの彼なら、考えもしなかった事だろう。

だが祭の初日、リーヴェと王都を歩き、彼女の本質に触れたことで、ギルの内面にはささやかな変化が起こっていた。

一粒の滴が、水面に落ちて波紋を描くような、小さな変化。だが彼自身、それをまだ自覚していなかった。




++++++




「リーヴェ様、今から主礼拝堂の屋上に行きませんか。エミリ殿の許可はいただきました」


夕食後、ギルは聖女に小声で話しかけた。


「屋上?」

「ええ」

「何しに。もう夜だぜ」

「夜だからこそです」


訝しげなリーヴェに、ギルは手を差し出した。彼は珍しく、悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「……何を企んでんだよ」


白銀の瞳がじとっと半目になる。

野性動物のようにこちらを警戒するリーヴェが、エミリに視線を移して、「ほんとに行っていいのか?」と尋ねた。


「ええ、ギル殿の付き添いもあることですし。神殿内の散策でしたら、今回に限り目を瞑りますわ。神官長には内緒ですので、くれぐれもお気をつけて行ってらっしゃいませ」


リーヴェに一礼した上級神官は、そのあとこっそりギルにピッと親指を立ててきた。

まだ誤解してる……

彼は断じて、リーヴェに特別な感情はない。聖女という存在への忠誠があるだけだ。


何度かそう伝えても、一度生じた思いこみはなかなか解けないらしい。埒があかないが、今は時間がない。後でまた否定しておこう。


「リーヴェ様、お早く」

「きっと楽しいと思いますわ!」


口々にいう側近たちを、リーヴェは交互に見た。そして少し躊躇ったあと、きゅっとギルの手を握った。




三人はそっと廊下に出る。

扉の外には誰もいない。ギルが夜の警護担当を代わったからだ。


エミリに見送られて、ひと気のない廊下を足音も立てずに進んでいく。

途中、すれ違った神官と衛士を、物陰に隠れてやり過ごした。物陰で息をひそめながら、ギルとリーヴェは思わず顔を見合わせて笑った。

大人の目を盗んで、友人と秘密を共有した子ども時代を思い出す。リーヴェもきっと同じように思ったのだろう。


ひと目を避けて上階へ向かう。そしてあっという間に、二人は細い梯子(はしご)の前に到達した。


「ここから天蓋の上に上れます。リーヴェ様、どうぞお先に」

「わかった」


こくりと頷いたリーヴェは、危なげなくするすると梯子を上っていく。彼女はすぐに最上段に達し、「お前も早く来い」と護衛を見下ろした。


「今行きます」


小さく笑って、ギルも梯子を上った。

……普通の高貴な女性なら、これほど高くて細い梯子を「自力で登れ」と言われたら、怒るか卒倒するだろうな、と思う。それが何だか面白かった。


「失礼します。開けますよ」


狭い梯子の最上部で、リーヴェを抱きかかえるようにして背後に立つ。体が触れるほど近づいて、リーヴェの耳が少しだけ赤くなった。だが梯子の天辺は薄暗く、護衛は気づかない。


丸い出口をぐっと押し上げると、蓋のような扉が向こう側に倒れた。そして二人は、ぽっかり開いた穴から顔を出した。




────ほんの少し冷たさの混じった夜風が、するりと頬を撫でていく。

祭が終われば、本格的な秋が来る。訪れる秋の気配を包摂した、夏の終わりの夜。


見上げた夜空は深い藍色の帳に覆われ、無数の星が輝いていた。二人は穴から抜け出して、礼拝堂の天蓋の縁近くに立って地上を見下ろす。

そこに広がっていたのは、ため息が出そうなほど綺麗な夜景だった。灯りを敷きつめた光の絨毯に、聖女は「すげえな!」とはしゃいだ声をあげる。


「屋根の上に登ったのは、子どもの頃以来だ。昔はしょっちゅうやって怒られたなぁ」

「なるほど。何とかと煙は……ってやつでしょうか」

「それ以上言ったら落とすぞ」

「冗談です」


じろりと睨まれて、ギルは軽口をしまう。この天蓋はかなりの高さがある。落とされたら骨折ではすまない。


「ここから、リーヴェ様に見せたいものがあったんです。今夜は……」


その時、ポンポン、と軽い破裂音が遠くから聞こえた。王都のそばを流れる大河の砂州から、魔術花火が幾つも上がる。やがて、花火が打ち上がった辺りから、一粒の小さな光がふわりと浮き上がった。


「始まったようですね」


空中で揺れる光は、どんどん増えていく。

夜空に向かって、ふわふわと上昇する光の群れに、リーヴェは目を凝らした。


「……なんだ、あれ」

「紙製のランタンです。とても軽いので、内側の空気を蝋燭で温めると、かなり上空まで飛ばすことが出来るんですよ。

あれが"星華の夜"、星誕祭でいちばん有名な祭事ですね」

「へぇ……光が増えてきた」


数えきれないほどの光が闇を漂い、空へと上っていく。その光景は、幻想的なまでに美しかった。


「"星華の夜"……聞いたことはあるけど、見るのは初めてだ。魔術も神術も使わねえのに、あんなに高く飛ばせるんだな」


聖女は身を乗り出して、熱心に光を見つめている。

最初の光は、星と変わらない大きさになって、最後は夜空に溶けるように消えていった。


「神々に祈ってから飛ばすと、願いが叶うと言われてますね」

「なら、来年は千個飛ばそうか」


リーヴェは冗談めかして笑った。その無邪気な笑みに、ギルの胸がかすかに痛んだ。

……それだけ飛ばしても、リーヴェは他人の幸せばかりを願ってしまうのではないか。自分を後回しにして。

そんな気がした。




今回は成功だったかな、とギルはほっとした。主が喜んでくれたなら、連れて来た甲斐があったというものだ。


────"星華の夜"をリーヴェに見せたいと思ったのは、正直にいうと罪悪感からだった。

以前、彼女自身が言ったように、リーヴェは「籠の鳥」だ。立場上大切にされてはいるが、神殿の奥に閉じこめられ、世間から隔絶されて生きている。

その証拠に、今日まで彼女は"星華の夜"を見たことすらなかった。


そして自分もまた、リーヴェを閉じこめる側だったのだろう。でも、本当の彼女を知ってしまったら、もう知らない振りはできない。

自分にできる範囲で主に尽くしたい。そう願う。




地上と中空。そして天上に輝く無数の光。

深い藍色の空に浮かんでいく光の群れを、リーヴェは楽しげに眺めている。その横顔は、どこまでも無垢で美しかった。

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